第23話
二週間足らずの冬休みは、ほとんど家の中で過ごした。
今、暮らしている家には炬燵がない。エアコンとファンヒーター、それに毛布で充分に防寒できている。なぜか蜜柑が盛られた竹籠ならある。炬燵の上に置くのに相応しいサイズのやつが。指を染めながら、ビタミンCを摂取して過ごした。ケーキに盛り付けたり、ゼリーに用いたりする缶詰め入りの蜜柑とはまた違う。
三学期の始業式の前日にバイトが入っていた。年が明けて芹香さんと会うのはそれが初めてだった。純玲にはまだ会っていない。姉妹と元旦にメッセージで短いやりとりがあり、純玲とは三日の晩に電話もしていた。十五分の間にこれでもかと情報を詰め込まれていたのを覚えている。が、整理してみれば三嶋家が年末年始を幸せに過ごしている、ただそれだけだった。付け加えておくと、親戚一同とも仲が良好らしい。お年玉を特別手当と呼んで嬉々としていた。
私はというと、親戚の集まりではいまだに腫れ物扱いというか、妙に過保護にされていてうんざりしていた。
久しぶりに会う芹香さんは年末に純玲と共に行きつけの美容院へと出向いたそうで、たしかに記憶にある彼女とは少し雰囲気が違った。恭しく頭を下げて新年の挨拶をしてくるものだから、私もかしこまってそれに応じた。
休憩時、店長から「お年玉」として、彼が地元で買ってきてくれたお菓子をいただく。けっこうな遠方の出身で、この地に行き着いた彼なりの経緯があるのだろう。
「バイト終わったら、時間ある?」
芹香さんが声をかけてくる。わざわざ私がお菓子を飲み込むのを待ってから。
「あ、うん」
「いつものカフェ……って言うほど去年、通っていないか。とにかく、そこでいいわよね。話したいことがあるの」
「わかった。一杯付き合うよ、なんて」
「そんな軽口たたけるのは今のうちだから」
無表情で芹香さんは眼鏡をくいっとして仕事に戻った。どうも、いい話ではないみたいだ。
午後四時過ぎのカフェはそれなりに混んでいた。
私は芹香さんに席をとっておいてもらい、二人分の注文を担うことにする。「キャラメルラテでいいよね?」と確認したら、むっとした表情になって別のメニューを口にした。少し値段が高い季節限定ドリンク。新年だから、そういうのにも挑戦というか関心を持つようになったんだろうか。
「芹香さん、用件は単刀直入かつ単純明快にお願いね」
彼女の前に、頼まれたドリンクを「どうぞ」と置いて向かいの席に着くと、宣言した。初めに言っておかないと、また回りくどい表現に振り回されかねない。
「生意気ね」
芹香さんは両手でその温かな容器に触れる。暖をとるよう。
「いいわ。あんたがそう望むなら遠慮はいらないわね」
「うん」
「隠し事しているでしょ、私に」
「隠し事?」
「そう。秘密にしておくべきではないこと」
芹香さんがゆっくりとドリンクの蓋をとる。キャラメルラテと違って、ホット用のストローで飲む気はないみたい。両手でしっかり持ちあげる。一口飲む前に、香りを嗅ぐ仕草をした。口角が上がる。人のこと言えないけれど、表情に出る子だ。そしてこれまたゆっくりと口をつける。火傷しないように。実は猫舌?
「なに黙っているのよ。さっさと言いなさい」
芹香さんが飲む様子、その一部始終を眺めていた私は、容器をテーブルに置き直した彼女に怒られる。
「あのね、芹香さん。心当たりはあるよ。けれど、それはどちらかと言えば秘密にしておきたいこと。私と……」
「純玲との間で」
言葉を継ぐ芹香さん。私は肯く。顔をしかめさせる彼女に、私は自分の分の抹茶ラテを飲み始めた。迷っている。芹香さんに話すかどうか。純玲はあのクリスマスの帰り道の出来事を妹に話していない? ひょっとして恋人と別れたのも?
「芹香さんはさ、年末年始はずっと純玲と一緒にいられたでしょ」
「だから何よ。それを羨んでいるわけ? 冗談でしょう? あの子は私をただの妹としか見ていないのよ」
「妹は充分、特別だよ」
「ねぇ、誤魔化さないで。どうして今になって立場の確認をしないといけないの。私を怒らせないで。新年早々、怒りたくない」
切実に。芹香さんは気が短いが、人が好い。怒りたくないのは本心だろう。
「何か根拠があるんだよね。つまり、私と純玲の間で何か秘密にしていることがあるって。純玲から何を聞いたの?」
あの日、家に戻った純玲の態度から察したのであれば昨年のうちに連絡があるはずだ。むしろ事情聴取や抗議といった類のやつが。でも、なかった。
それなら、最近になって純玲が私を話題にあげて、それで芹香さんが何かあると考えたとみるのが妥当だ。
「……言いたくない」
「なにそれ」
私は芹香さんの口調を真似て返す。
芹香さんがサイドテールをいじりはじめた。
「はぁ。あんた、どうも余裕があるわね。気に入らない。初めてここに来た時は、もっとこう、おどおどしていたのに」
「それはそうだったかも。でも、今はある意味で芹香さんを信用しているから」
私を本気で傷つけはしないって。それができたのなら、まさに初めてこのカフェにきた日にでも、私に強かで鋭い言葉を投げつけている。
「嫌な奴」
「芹香さんと比べるとそうかもね」
「ほら、そういうの。嫌味ったらしい」
「そうかな。本音のつもりなんだけれど」
「どうしたら教えてくれるのよ」
芹香さんが向けてくるまっすぐな視線。外は日が沈む前、照明も明るい店内では、くっきりはっきりとわかる。やっぱり姉に負けじと美人だな、と場違いなことを思った。
「私は嫌な奴だけれど、これは純玲の許可なしに勝手に打ち明けてはいけないと思う。だからこそ、秘密であり隠し事なんだよ」
「……純玲が許したら、話すのね?」
「え? うん、そう」
芹香さんが指を髪から離して、スマホを取り出す。
画面を滑らかに動く指先は一度、止まる。彼女は深呼吸をする。決心。私は彼女がしていること、誰と連絡を今とろうとしているのかがわかった。
「もしもし。……急用じゃない。電話なのは、えっと、今にわかる」
芹香さんは抑え気味の声で電話をしながらも、その目を私から離さない。
「砂埜さんといるの。そう。え? いいでしょ、べつに。は? わかった、わかったから。……はい」
芹香さんがぐいっと私にスマホを差し出してくる。私は手に取り、耳にあてる。あくまで一対一の通話となる。
「もしもし」
『妹の芹香がいつもお世話になっています。姉の純玲です』
果たして聞こえたのは純玲の声だった。若干、声を高くして。
「こちらこそ芹香さんにはいつもお世話になっています」
『それで何用? 今ね、畳の目を数えるので忙しいの』
今年も相変わらずの純玲だった。
「ごめん。真剣な話」
『ふうん。芹香、いつもどおりの声だったわよ?』
「あのね……クリスマスに話したこと、芹香さんに教えてもいいかな」
『うん? どういうこと? ああ、別れたって話なら私からするわ』
「言っていなかったんだ」
『興味ないんでしょうね、全然聞いてこないんだもの。あれ? じゃあ今どうしてそんな話になっているのよ』
もっともな指摘だ。それはそれとして、芹香さんは純玲の元・彼氏さんについて自分からはずっと触れずに過ごしていたのか。気になっていただろうに。
「私からじゃないの。芹香さん、純玲の様子から何かあったと察したんだと思う」
『姉妹って怖いわね』
「うん」
『ねぇ、アレは話さないほうがいいわよね?』
アレ――――私たちがキスしたこと。
あのキスは純玲を騙して、してもらったものに過ぎない。そこに彼女からの愛情はない。たぶん親愛はあるだろうが、色恋ではない。色のない口づけ。あの夜、した後で純玲は「誰とでもはできないわよ」と言った。それから「でも、仲のいい女友達とはできる程度の行為だったみたい」と付け加えた。その淡々とした調子に私の胸は締め付けられたが、しかしだからといって「私は純玲じゃなきゃダメだよ」とは口が裂けても言えなかった。
『莉海?』
「私は、芹香さんだったらいいよ」
迷いの末、後ろめたさが勝った。
芹香さんの純玲に対する想いを知っているから。抜け駆けできた、なんて意識はない。でも、不誠実だとは感じた。私が追いつめたことで芹香さんはその想いを私に明かして、私たちは約束を交わした。そうした間柄において、あんなキスを自分の内でのみ大事に、思い出として留めておくのは誤りだと思えた。
『……そう。莉海に任せてもいいかしら。私からだとうまく話せそうにないもの。大丈夫、うちの可愛い妹は姉が試しに友達とキスしてみたのを聞いて、どちらとも嫌いにならないわよ。そうでしょ?』
「だといいな」
『うーん……そうは言っても、敢えて話すことでもないような』
純玲からしたらそうだ。でも私たちからするとそうではない。
「そうかもね。じゃあ、また明日ね」
私は芹香さんにスマホを返す。「えっ?」とスマホを耳に当てた芹香さんが言う。純玲のことだ。もったいつけずに、そのまま「彼氏と別れたの、クリスマスイブの日に」とでも言ったんだろう。だから、芹香さんは驚いている。可愛い妹、か。たしかにしかめっ面から、びっくりした顔になった様は可愛らしかった。でも、この後で私から明かさなければならないあの夜のキスを考えると、気が滅入る。いや、自分が決めたことだ。話さない選択だってあったんだから。
「じゃあ、そいつに別に何かされたわけじゃないのね?」
芹香さんが荒々しい口調で電話の向こうの純玲に訊いている。心配なんだ、純玲のこと。そうだよね。すぐに別れたのは何かあったんじゃないかって。そう不安になるよね。私のときは純玲がとめどなく話したから、口を挟めなかったんだ。
年を跨いでいるからって、たかが二週間前のこと。私は抹茶ラテを啜り、それから唇に触れてみる。そこにはとうに彼女の唇の感触はない。
通話が終わる。最後は芹香さんが「わかった、わかったから。しつこい」と言っていた。さっきもだけれど何を言われているんだろう。
「さて、と。それであんたからも話があるのよね」
芹香さんは大きな溜息をして、ドリンクをぐぐっと飲んでから、私を見据えてそう言った。純玲と電話している間はその眼差しはあたかも電話の向こうに向けられていたんだけれどな。
「その前に訊いていい?」
「なによ」
「純玲が別れたこと。どう思った?」
「ド直球ね」
「ううん、そうでもない。ストレートに言うんだったら、こうでしょ。――――純玲が彼氏と別れて、嬉しかった?」
しばし私たちは無言で見つめ合った。沈黙を破ったのは芹香さん。
「あんたはどうなのよ」
苦虫を噛み潰したように。
「最初、聞いた時は状況を飲み込むのがやっとだったけれど、今はね、ほっとしている私がいる。嫌な奴でしょ?」
「開き直らないで。それにあんた、すがすがしい顔していないわよ」
「芹香さんは? 私が答えたんだから、答えてよね」
「……去年から考えていたことがあるわ」
「なに」
「もしも純玲がちゃんと男の子と付き合って、そいつが真っ当なやつで、純玲からも私やあんたに向けないような愛情ってのをそいつに向けるなら、それがずっと続いて、純玲が幸せだったら……諦められる。それが一番なのかなってね」
「正しい失恋?」
「まぁね」
「失恋に正しいもクソもないよね」
「飲食店で聞きたい言葉じゃないわ。というか、自分で言っておいてなによ」
「ごめん」
私たちはまた黙り込んで、飲み物を喉に流し込んでいく。
私は容器の重さを確かめる。軽い。空になった。不透明な器では、持ってみないとわからない。触れなければ知ることができない。
「外で、歩きながら話すね」
「そのほうがいいっていうなら」
「うん。あのね、芹香さん。怒らないでね。ううん、怒ってもいいけれど顔は殴らないで。明日、学校だから。目立つでしょ?」
「は……? あんた、何したっていうのよ」
怪訝そうな顔つきの彼女を無視して、私は立ち上がる。
怒るとは限らない。でも、私が純玲とキスをしたのを知ったら衝動的に平手打ちが飛んでくるかも。あのときは我慢してくれたそれが、今度こそ私の頬を打つかも。ばちんと。それをどこか望んでいる自分もいて、可笑しかった。
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