第14話

 二学期の終業式、そのおよそ一週間前。

 私と芹香さんはバイトが終わって二人で帰る用意をする。バイトを始めてからいつもいっしょに帰っている。夜道は暗いから一人で帰るのは防犯上、不安だから。当初は会話らしい会話をしなかったのが、ようやく少しずつ言葉のキャッチボールができ始めている。というより、私が本を話題にすれば芹香さんがやりとりを続けてくれるのを学習したのだった。

 図書の搬入口というのはあるけれど、外と繋がる従業員通用口はなくて専ら私たちは着替えて帰り支度をすると店内に戻り、そのまま出入り口から外へと出る。


 その日、出入り口を出てすぐのところで見知っている男の子が壁際に立っていた。同じアルバイトをしている他校の高校二年生だ。でも今日この後シフトに入っていなかったはず。芹香さんと違って、私は全員分のシフトを頭に入れているわけではないから自信はない。


 私たちが会釈して通り過ぎようとすると、彼が「待ってくれ、三嶋」と芹香さんを引きとめた。


「話があるんだ。えっと……」


 彼が私を見やる。

 空気を読むべきだろう。一足先に帰ると意思表明するつもりだったのに、芹香さんが「中で待っていて。いいわね?」と私に言う。でも、と言いかけて、ここでああだこうだ押し問答しては彼に申し訳ないと思い直し、従った。


 一度に最大三人が対応可能なレジカウンターの上部にかけられたアナログ時計の秒針が四周半して、芹香さんが私を迎えにきた。私は店に入ってすぐの場所で平積みされているシリーズものの小説の最新刊を手に取ってパラパラめくっているところだった。一冊も読んだことないし、私の趣味に合わないから今後も読む気がないやつだ。


「さ、帰るわよ」

「聞いていい?」

「ダメ」

「告白だったんじゃないの?」


 芹香さんは私の右肩を軽くひじ打ちした。

 そうして私たちは駅へと歩く。彼の姿はない。夜風と共に去っていた。


「純玲に言わないでよ」

 

 駅に到着して芹香さんは私に顔を向けずに、そう釘を刺してきた。足は止めずにホームまで二人で歩いていく。


「私はまだ、芹香さんが同じバイト先の男の子に出待ちされて、声をかけられたってことしか知らないよ」

「それだけでも教えないで。ぜったい、詮索されるから」

「今ここで私に事情を話してくれれば、教えないって約束する。どっちみちあの人と私、シフト同じになることだってあるだろうし、気まずいのは嫌だよ」

「どうしてあんたが気まずくなるのよ」

「フったんでしょ?」


 相手が芹香さんでなければ、たとえば純玲や同じクラスの他の友達であれば、こうもストレートに訊きはしない。でもそのときの私は先日の純玲とのやりとり、誰もいない弓道場傍でのそれが頭にずっと残っていて、芹香さんを問い詰めたい気持ちがどこかあったのだ。


「あんたねぇ……」


 芹香さんは私を鋭く一瞥すると、急に頼りなさげな目つきへと変わって俯き、コートのポケットに両手を入れ、心なしか身も縮こまらせた。


「告白ではなかったわ。クリスマス、二十四日か二十五日どちらか空いているなら、いっしょに過ごさないかって」


 恥じらいが少し込められた声色で、そんな彼女を可愛らしいと思ってしまった。


「それ実質、告白だよね。もしかして多人数でのお誘いだったの?」

「ねぇ、それだと砂埜さんは意図的に外されたことになるわよ?」

「だから? 私が男の子だったら自分なんかより芹香さんを選ぶ。むしろ私なんか誘わない。で、どっちだったの? 二人きりでのお誘いだったんじゃないの」


 芹香さんは左手をポケットから出して眼鏡の鼻あてに軽く触れて、ついでと言わんばかりにチラリと私を横目で見た。


「二人きりでだった。でもね、何人だろうが断ったわよ。私に言わせれば、砂埜さんを誘えばよかったのよ。傷心中のあんたなら、優しくされればすぐ惚れるんじゃない?」

「もう慣れたなぁ」

「は?」

「あ、失恋のほうじゃないよ。芹香さんのそういう挑発的な態度」

「どういう意味よ」


 駅のホームに知った顔はなかった。仕事帰りのサラリーマンらしき人が一人と、女子大生っぽい人が一人。私たちは横並びで待つ。


「余計なことを訊かれたくないから、自分自身に触れられたくないから、突き放して、怒らせようとするんでしょ。そういう部分は純玲と違う」

「わかったような口きかないで」

「ごめん」


 素直に。たぶんこれが芹香さんに一番効くだろうなと思って。

 果たして、芹香さんは押し黙った。


「タイプじゃなかったんだね、あの人」

「……まだ続けるの?」

「あの人、ええとヤマザキさんだっけ、べつに個人的な興味はないけれど」

「川崎よ。同僚の名前ぐらいちゃんと覚えておきなさい」

「好きですって、真剣にお付き合いをしてほしいと言われていたら悩んだ?」


 チャラい感じの人ではなかった。三嶋、と呼んだときの声は震えていたな。それでいて暗がりに浮かんだ瞳には覚悟があった。変になよなよしているでもなく、私の印象としては悪くなかった。でも、それとこれとは別なんだろうな。私が純玲に毎日のように見つけてしまう「好き」を、芹香さんが彼に見出すことってないんだ、たぶん。


「出会い方が違って、それなりの月日を重ねていたら間違いがあったかもしれないわね。でも、現実はそうではない」


 芹香さんは小さな声でそう言って、やっと私をまっすぐ見た。

 その口調はまるで純玲のようで、どきりとした。このタイミングで私がしてもどうにもならないのに。


「間違い、なんだ」


 私の声は聞こえたか聞こえなかったか、どちらにしても彼女は反応しなかった。

 ホームにアナウンスが流れる。間もなく電車が到着するのを伝える。

 やがて電車が見え、停車寸前で芹香さんが「ねぇ」と呼びかけてきた。


「それよりも土曜日」

「土曜日? え、私たちシフト入っていなかったよね」

「そう。付き合ってあげるわよ、プレゼント選び」


 早口になる芹香さん。電車がホームに停車し、降りる人を待つ僅かな時間。


「えっ?」

「……もう選んだの?」

「あの、芹香さん。それってもしかしなくても、私にプレゼント選びに付き合ってほしいってことなんじゃ」

「ほら、乗り遅れるわよ。――――後で連絡して」


 する、ではなく。彼女に急かされて私は電車に乗る。

 乗ってから振り返り、ホームの彼女を見やる。あたかもその表情を読み取られまいと、スマホを取り出して俯き気味に眺めていた。

 

 純玲へのプレゼント選び。私は、そしてどうやら芹香さんもまだらしい。

 連絡するかな。付き合ってあげてもいいよ、って送ったら既読無視されるかも。

 

 ううん……確かめないと。


 純玲が言ったあのことが、彼女の想像力が生み出したに過ぎない物語なのか、それとも現実なのか。


 


 翌々日にあたる土曜日の午前中。

 芹香さんといくらかメッセージでやりとりした結果、私たち二人はショッピングモールに来ていた。純玲たちと何回も訪れたことのある総合商業施設。出不精の芹香さんにとっては、さほど馴染みある場所でないそうだ。私だってお洒落なアパレルショップを優雅に梯子できる人間でもないし、SNSに写真・動画投稿するのを念頭に造られ、彩られた見栄えのいい食べ物や飲み物に積極的にあやかる人間でもないのだけれど。


 芹香さんはすっきりとしたスキニーパンツのコーデだった。上はパーカーにダウンジャケットを羽織っている。別段、気合が入っているふうでもないのに顔もスタイルもいいから様になっているのは認めざるを得ない。


「芹香さん、純玲ってマフラーは何本も持っている?」

「把握していないわよ。でも、日替わりでつけてはいないわね」

「だよね」

「いいんじゃない? マフラー。いかにも無難っぽくて」

「冬にしか使ってもらえないのが難点だよ」

「春先でもつけてもらえばいいじゃない。夏にだって無理やり巻けば?」

「それで秋が来たら、飽きられる。秋だけに」

「純玲でも笑わないわよ、それ」


 真顔で呆れられてしまった。

 ちがう。今のは私なりに、純玲だったら場を和ませるためにどういうジョークをかますか考えての発言であって、何もこの寒い季節にさらに場を凍えさせる駄洒落を口にする意志は毛頭なかったのだ。そもそも芹香さんがいいかげんな返事するから悪い。


「何か欲しいものって話していなかった?」

「そうね、仮に聞いていたら私がそれをプレゼントに選ぶわ。砂埜さんは砂埜さんご自身で、友達として純玲の好みを理解すべきね」


 私たちは人波に流されながら共用通路をあてなく進む。店先に並ぶ品々、そこから望める商品をチラチラと目にするが、なかなかどこか特定のお店に入らずにいる。


「芹香さん、ひょっとして浮き足立っている? いつにも増して意地悪なのに楽しそう。なんとなく。あまり友達と遊ぶ機会がないからかな」

「『浮足立つ』ってのは本来、恐れや不安を感じ、落ち着かずそわそわしている様のことよ。どちらにしてもあんたの気のせい」

「物知りだね。あのね、コスメって詳しくないんだけれど純玲がどういうの好きか知らない?」

「知らない。……私も詳しくない」

「お世辞抜きでもったいないと思う。芹香さん、無駄に可愛いのに」

「あんたこそ今日はえらく物言いが昂ぶっているわね」

「うん。心がざわついているんだ」


 独り言めいた呟きだった。でも芹香さんは聞き取って「つまり?」とわざわざ訊いてきた。


「わかっているよ。プレゼント一つで何か大きく変わりはしないって。前に自分から言っていたのは忘れていない。大切な友達としての贈り物だって。うん、わかっている」

「けれど、期待してしまう?」

 

 なぜだかそう問う芹香さんの声は柔らかく、湿っぽくもあった。同情? 調子狂う。てっきりまたなじられると予想していたのに。あれか、上げて落とす、みたいな。いやいや、この人、そんなには器用ではない。見縊っているのではなく適当な評価。この一カ月余りでの。


「まぁ、ね。芹香さんがいてくれて、クリスマスにお呼ばれしたのはある意味で進展なのかな。そういえば、当日は誰を誘ったの? 私、純玲から聞いていない」

 

 クリスマスの日に芹香さんが連れて来る友人。もしやまだ誰も誘えていない?


「弓道部の先輩が来てくれる」


 芹香さんは、話題が不意に自分に返ってきたことで、やや不満げに答えた。


「その感じだと芹香さんからお願いしたというより、悩んでいたのが顔に出ていたんじゃない?」

「はずれ。あっちが、十二月入ってすぐに彼氏と喧嘩別れして喚いていたのよ。だから思い切って頼んでみた。その人、仲のいい子とはイブの日に集まる予定で、二十五日は空いていたの。ありがたいことにね。世話焼きでノリがいい人よ」

「そっか。純玲、喜ぶだろうな」

「隠す気ないのね。私の交友関係をまともなものにしようとする画策だって」

「あ……でも画策も何も、あからさまだよね」


 芹香さんが抗議して、へそを曲げなくてよかった。

 とりあえず私と純玲の心配は杞憂に終わったということだ。よかった、よかった。 


「なに、笑っているのよ」

「楽しくなるといいなって、クリスマス」


 本心だった。純玲の隣にいてもいなくてもつらいのなら、この恋心が消えずに痛みが増すのなら、せめて隣であの子の笑顔を見ていたい。その笑顔の一部になれたら、幸せだと感じられるはずなんだ。たとえ彼女が私が望む「好き」を返してくれなくても。


「今更だけれど、ご家族との予定は大丈夫だったの?」

「急に真面目なこと訊くの、芹香さんっぽいなぁ」

「っぽいじゃなくて本人よ。どうなのよ」

「話したら賛成してくれた。中学生の三年間って、クリスマスパーティーなんて一度も参加しなかったんだよね。遅くならないうちに気をつけて帰っておいでとは言われたよ」

「そう。……プレゼント、選ばないとね」




 一時間半彷徨った結果、私は純玲の麗しい黒髪を思い出して、高めのヘアブラシを買った。芹香さんは「いいんじゃない」と素っ気なく、でも肯定的な面持ちでコメントしてくれていた。

 その芹香さんはバスソルトを純玲へのプレゼントとして購入した。率直な意見として羨ましい。芹香さんであれば純玲と湯船を共にして何らおかしくないのである。私では到底叶わない。とはいえ、純玲の裸体を想像してのぼせてしまうと芹香さんからお小言をもらいそうなので、私は気にしないよう努めた。というか、バスソルトってなんだ。お風呂に塩を入れてどうするんだろう。芹香さん、教えてくれるかな。調べなさいよって言うだろうな。


 私たちはフードコート内のファストフード店でなるべく安上がりに昼食を済ませると、またあてもなくぶらぶらとした。

 意外だった。彼女は「じゃあね」とさっさと帰ってしまうものかと思っていた。私は私で「じゃぁ、解散ね」とは言わずに平然と彼女と並んで歩いている。すっかり友達になっていた。


 でも、私は朝起きた時から考えをめぐらしていることを実行できずにいる。

 確かめないといけないんだ、と自分を励ます。しかしいいタイミングが降ってこない。まさか人ごみに紛れて歩いているときに聞けはしまい。


 ふと、芹香さんがお手洗いの方面へと黙って歩きだしたと思いきや、そのまま客用階段がある場所へ入った。BGMは流れているけれど、人気はまるでない。誰も使っていないのだ。エスカレーターもエレベーターも充分にあるから。

 芹香さんがそこを一段、一段と下っていく。三階から二階、そして二階からさらに降りようとしたところで三段上の私を振り返った。


「ねぇ、砂埜さん」

「な、なに?」

「早く言いなさいよ」

「へっ?」


 また降りていく。踊り場で止まる。通行人が来てもいいようになのか、さっと壁際に彼女は身を寄せる。そうして私たちは向かい合った。


「間抜けな声出しているんじゃないわよ。あのさ、お昼食べているときからあんたが何か言いたそうにしているのは、顔を見ればわかるわ」


 本当はもっと早くからだ。けれど、彼女がこうやって私が言うのを待ってくれ、舞台を作ってくれたのなら言うしかない。


「怒らないで聞いてくれる?」

「約束できないわ」


 沈黙。楽しい空気はどこへやら、やけにクリアに聞こえるBGMだけが延々と頭の上から流れている。

 

 純玲から、というのは言わない。そこは間違ってはいけない。純玲からの頼まれ事ではなく、私が言い出したことだ。半分は。


「あのね、芹香さんは……ううん、芹香さん――――」


 彼女の眼鏡の奥の瞳、その平静が乱れた。が、もう私は止まれない。


「女の子が好きなの?」

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