第13話
純玲の数学Ⅰの追試が目前に控えている。
話を聞くに、例の彼氏さんも数学は苦手なようで、彼女が頼りにしたのは同じく演劇部員でリケジョのあだ名で慕われている理系の先輩だった。
私は頑張ってとしか言えなかった。
十二月に入ると、私や芹香さんのバイト先である書店でもいわゆるクリスマスムードで活気づく。それとは別に、殺伐としたタイトルの推理小説や私からすれば眉唾物の自己啓発本が売上ランキング上位の書棚にあるのも事実だ。
児童書の書架では幼子に贈るようなクリスマスに関連した絵本特集をしており、聖夜にかこつけて泣けるラブストーリー特集と称して恋愛小説を集めたちょっとしたブースが設けられてもいる。料理・製菓本コーナーをのぞいてみると、クリスマス&年末年始向けのレシピ本も多々ある。今や単にネットでの公開レシピの利用のみならず無料の動画視聴での手順の詳細を確認できる時代であるけれど、それでも一定の需要があるのだろう。
よくよく考えると、実店舗型の書店って業界的には斜陽なのでは?
「あんたが思いを馳せるべきは、もっと他にあるでしょ」
休憩時間、芹香さんに世間話として振ると一刀両断されてしまった。
小さな休憩スペースだ。軋むパイプ椅子に古びた長テーブル。カフェでも併設していれば、しれっとそこで時間を過ごすのにな。
「ええと、たとえばクリスマスラッピングの練習?」
「あんなの日頃からつけているカバーとほとんど規格いっしょよ。普段から数こなしていれば、どうってことないわ。みんながみんな書店でクリスマスプレゼントを見繕うこともないし」
「な、なるほど。芹香さんはプレゼントに本ってあり?」
「ありかなしで言うならあり」
「へぇ」
いつになくカリカリしているので、話に付き合ってくれないかと思いきや、さらりと応じてくれた。
「流行りの小説や漫画じゃないわよ? そうね、たとえば装丁が綺麗で思わず手に取って眺めたくなるようなやつ。でもそれなりに値がするから自分では買わないっていうね。ほかにも、挿絵一つ一つに引き込まれる絵本だったり、美しさに魅了される図鑑だったり。もちろん、好みの画集なんかもいいわよね」
存外、優しげな声だった。表情も和らぐ。
本が好きなんだな、芹香さん。読者としてだけではなく。本そのものが。バイト先は他にも、たとえば高校の最寄り駅周辺のカフェでも選べただろうにこの書店を選んでいるだけはある。
「そういうのって、ここではあまり取り扱っていないの?」
「絵本にしても図鑑にしても、それに画集だって売り場はあるわ。それはもう知っているでしょ。ただ、売れ行きは絵本が頭一つ抜けていて、残りは全然。品揃えがよくないのはしかたないじゃない」
やれやれと肩を竦めてみせる彼女は、眼鏡を専用のクリーナーで丁寧に拭いている。休憩室でよく見られる光景だ。
「二駅向こうの工芸高校最寄りの書店だと、また違うのかな」
「さぁね。そういう人たちがネット通販でなくて店舗に足を運ぶなら、うちみたいなチェーン店じゃない気もするわ。偏見でしかないけれどね」
「ふうん……」
「それよりも、何か考えているの?」
「えっ?」
「クリスマスプレゼント」
私は芹香さんの表情を読もうと注意深く見つめるが、彼女は眼鏡の手入れに精を出していて、私に視線をよこしてはくれない。
「それは催促? たしかに芹香さんにはここ一カ月近く、いろんな意味でお世話になっているよ。だから、贈るのはやぶさかでないというか、なし崩し的というか……」
芹香さんは私の言葉に手を動かすのをやめて大きく溜息をついた。
「三つ」
「そんなにほしいの?」
芹香さんが唇を尖らせる。あ、これ怒られるな。
「ちがう! 三つも間違えているのよ。まず『やぶさかでない』ってのは仕方なく何かする、ではなくて喜んでするって意味。次に『なし崩し』だけれど、これは事実を有耶無耶にしてではなくて、物事を少しずつ進めていくっていう意味」
「あと一つは?」
「私へのプレゼントじゃない」
「つまり?」
「はぁ……言わなくてもわかるでしょ。純玲によ。それとも何も考えていなかったわけ?」
今度は私がわざとらしく肩を竦めた。
「もしも私がクリスマスに純玲へ、ダイヤモンドやマンション、何着ものドレス、世界的に有名な舞台のチケット、それらを贈ったら振り向いてもらえそう?」
「その全部を実現できたら望みはあるわよ?」
「あのね、芹香さん。愛はお金で買えないと私は思う」
「あっそ」
芹香さんが立ち上がる。付き合ってられないわ、って素振り。
私はいくらか迷って、しかし言ってみるだけ言っておこうと決心する。
「プレゼント選び、付き合ってくれる?」
「はぁ? どうして私があんたのそのろくでもない恋路に協力しないといけないのよ」
「なんでもかんでも下心としてみなさないでほしいな」
「それ、さっきのダイヤモンド云々がなければ信じたかもね」
「純玲に何か贈りたいの。……大切な友達として。芹香さんだって大好きなお姉さんに、何か贈るつもりなんじゃないの?」
「勝手に決めないでよ」
「でも、あの日、彼氏さんとのキスを目撃して泣いていたよね」
私に背を向けてエプロンをつけ直していた芹香さんは、ゆっくりと私を振り向いた。さっきよりもずっと険しい顔をしている。
「その話、二度としないで」
あなたが泣いてくれたから、私はスマホの画面を割る程度で済んでいるんだよ。でも、こんなのは言えなかった。代わりに私は「ごめん」と返す。私は純玲とのみならず、この人との距離感も思い悩んでしまっている。純玲の妹である彼女に、どこか純玲の面影、それをほんの微かでも見出すとき胸がしめつけられる。純玲を直に前にするときよりも、そうやって誰か別の人を介して彼女を想うとき、ひどく苦しいのは、その触れられぬ距離こそが自分の身の丈にあっていると自覚があるからだろうか。
「ちなみに手作りのお菓子は候補にないの?」
そのままスタスタと先に行かずに、芹香さんは訊いてきた。
「ないよ。クリスマスは三島家なりのご馳走があるんじゃないの? もしくはどこか外食にでも行くのかなって」
「日持ちするのを選びなさいよ。作れるんでしょ」
「どっちにしても、食べたらなくなるから。それで終わりでしょ」
芹香さんがお馴染みとなったサイドテールを指先で梳く。古い少女漫画で見た、ヒロインが電話のコードを無意識に指に絡める場面を彷彿させた。
「ねぇ、食べ物にしないのはいいとしてもさ。身につけられるのを選ばないほうがいいと思うわよ」
「どうして?」
「身につけてくれないんだ、って落胆しそうだから。それにもし例の彼氏もまたアクセサリ類を贈って、それでそっちを優先してつけているのを目にするのって嫌じゃない?」
「それは――――芹香さんの実体験? 私を気遣っての忠告にしてはどうも、真剣が過ぎる気が……」
「あんたは妄想が過ぎるわ」
今度こそ私を置いていく芹香さんだった。
数日後。
純玲の追試はほぼ満点で、彼女は満面の笑みでそれを私に報告してくれた。
お祝いに帰りにどこか寄り道して冬季限定スイーツでも食べようかしらと嬉々として話もする。追試を受けるに至ったのはまったく気にしていない様子だ。
一週間ぶりぐらいにその日の帰り道は私と純玲の二人だけだった。
「ああ、そういえば莉海。クリスマス、ええと二十五日のことだけれど、うちに来ない?」
正面玄関、下足箱から靴を取り出した純玲が何気なく私に提案する。ちなみに二学期の終業式が二十四日にある。純玲、その午後をきっと彼氏さんと過ごすんだろうな。
「え、いいの」
「クリパらしいクリパは期待しないでね。あと、お願いというか、相談があって。芹香と仲良くできそうな子って心当たりないかしら」
「というと?」
早い話、純玲はクリスマスを利用して芹香さんに新たな友人を作ろうと算段があるみたいだった。思えば、私は芹香さんに直接、友達がどれほどいるかは聞いていない。少ないでしょ、って言った覚えはある。
「ゼロじゃないのよ? 莉海を入れて二、三人かしらね。バイト先の他の同僚とは仕事の付き合いオンリーなのは察しているわ」
そのとおりだった。
芹香さん、頼りにされるタイプではあるけれど隙間時間に冗談交じりに歓談するタイプの人ではない。かく言う私も、他のバイトの人とはそんなに話していない。店長は面倒見がよくて仕事以外でも話を上手に振ってくれる。主に本のことだ。道楽でやっているのではないので、流行にも敏感だ。ああいう書店経営における、雇われ店長の権限がいかほどか知らないけれど。
「芹香さん、怒らないかな」
「逆撫でする結果にならないと言い切れないわね。でも、あの子がツンツンしがちなだけで根がいい子なのは姉である私が一番知っているつもり。莉海も知っているわよね? そうよね?」
圧のある言い方だったが、私は首を縦に振っておく。
芹香さんが人馴れすると、口下手が緩和されるってのは最近知った。裏を返せば、付き合いがかなり浅いうちは話にならない、いや、この言い方はあんまりか。
私たちは外に出て校門の方向へと歩きだした。
「クリスマスにね、私と芹香、それぞれ一人ずつ友達を招待するって計画しているの。そこで私は莉海を招く。そうすると、必然的に芹香は莉海以外の誰かを誘わないといけない」
「もとから芹香さん、私を誘わないと思うけどなぁ」
それに純玲が私を招待するのは、あくまで芹香さんの逃げ道を塞ぐためというのは正直、快くない。
「そんな顔しないで、莉海。私にとってあなたは大切な友達よ。芹香の件がなくても、そこは変わらないわ」
私の面持ちに翳りを見つけてフォローしてくれる純玲。その優しさが今は棘となり刺さる。これでもかと深く。
大切な友達。わかっている。それは彼女からの親愛の裏付けだ。そしてそれだけでしかない。
私は話を自分と純玲からずらす。そうしないといつまた足が止まるかわからない。
「芹香さんって弓道部の人たちとは仲良くないの?」
未だに本人が活動の一端さえ話題にするのを耳にしない弓道部だ。そして私たちが帰っている今、現在進行形で部活の真っ最中のはずだった。
純玲はかぶりを振った。家でも、つまり家族相手であっても部活動に関して話していないのだという。弓道具の購入は貸し出しがあるので一式ではなく一部であるが、購入費用を芹香さんは自費でどうにかするために、バイトを始めたのだと言う。厳密に言うと、両親から前借りして、それからバイトで働いて返済したのだとか。
「筋を通す子なのよね。だから、私もおちおち親にお小遣いを多くはねだれない現状があるわ」
「そこは胸を張って言うことじゃないような」
「よし。行ってみましょうか」
「え?」
「弓道場。まだ部活中でしょ」
校門をくぐる寸前で純玲が方向転換する。どうやらこの足で弓道場に向かうつもりだ。赴いてどうするのだ。
「ほら、莉海。ついてきてくれるでしょ?」
「う、うん」
こういう思いつきの行動こそ、芹香さんの神経を逆撫でしたり、怒らせる結果になったりするんじゃないかとハラハラしたのは後になってだ。
なぜなら、純玲が私に信頼を寄せてくれるのがわかる微笑みに射抜かれ、従わないという選択肢が瞬時に失せたからだ。ずるい。こんな時でも純玲は純玲だ。
そう広くない敷地だ。五分ほど歩くと校庭の端にある弓道場にたどり着いた。踏み入れたことのない場所だ。仮入部期間にも訪れなかった。純玲が教えてくれたことによれば、芹香さんはその期間中に訪れ、インスピレーションを得て入部を決意したのだという。純玲の表現が誇張なのかは定かでない。
「あら?」
純玲が首をかしげる。
鍵がかかっていた。音もしない。的に矢が当たったり外れたりする音。たぶん、場外にも響くよね? 特別な掛け声ってあるのかな。ヤーッ、みたいな。
「寒いから、校内で練習しているのかしら」
「ありそう。どうする?」
「今日はお暇しましょうか。芹香が射る姿、見たかったのだけれど。ここだけの話、あの子は私よりスレンダーだから道着も似合うと思うのよね。私だって演劇部で汗流しているからそこそこ絞れてはいるけれどね」
「普段は指定ジャージで練習しているって言っていたような」
「そうなの? 他に何か聞いている?」
「なにも」
純玲はしばらく私を、それから施錠されている弓道場の出入り口、そして冬空を仰ぐと、再び私に眼差しを向けた。迷いがそこにあった。
「どうしたの」
「えっとね、莉海。軽率なことは言いたくないんだけれど……」
「じゃあ、無理をして言わなくていいよ」
私はそうしている。
でも、純玲は「ふぅ」と息を吐いた。結局、私がどう考えているかはそこまで彼女の思考に影響を与えない。彼女が伝えてしまいたいと感じたのなら、そう決めたのなら、あとは耳をすますか塞ぐか。でもそれだって私は選べはしない。どうして愛しい人の声に耳をふさぎたいと思うのだ。たとえ傷つく可能性があろうと、聞くものだ。
「芹香ね、もしかしたら――――」
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