第5話 あやまち

 俺がシズクと出会ったのは小学生の頃だ。

 親父が再婚することになって今の母親——マイコさんの娘としてシズクを紹介されたのが初対面だった。


 シズクは俺の2才下だった。


 初めての兄妹。


 ずっと一人っ子だった。

 あの頃、親父も仕事が特に忙しくて家にいないことが多かった。

 

 だからおそらく……子どもながらに寂しかったのだろう。

 兄として妹の面倒を見ることになることに妙な嬉しさがあった。


 それに再婚して数年後に親父が事故で死んだこともある。

 だからより一層、シズクのことを意識していたのかもしれない。


 小学生の頃は、本当にその気持ちでいっぱいだった。

 でも、俺が中学生3年生になった頃くらいだろう。


 シズクが中学に入学してからモテ始めた。

 いや正確には小学生の頃も色恋で告白されていたような節はあったわけだが……それはまだ可愛いものだったからこの際どうでもいい。


 問題は中学生になってからの話だ。

 小学生の可愛らしい話ではなくなった。

 そんな生やさしいものではなくなった。

 

 なんせ兄である俺のところまで『シズクと引き合わせてほしい』などという頼み事が大量に寄せられるくらいには大事になっていたから。


 シズクは学校では明るく振る舞っていた。

 だから余計にモテたのかもしれない。

 

 単に容姿が非常に整っている以上に多くの人がシズクの周りに集まった。


 良い人から悪そうな人まで、色々といた。

 

 メデューサに見つめられて石と変えられてしまうどこかの昔話のように、シズクの灰色の瞳に見つめられると魅入られてしまう人が多かった。


 でも、なぜかシズクはずっと誰とも付き合うことはなかった。

 イケメンだと校内で噂されるサッカー部の同級生や校外の読モかなんだかのイケメンなどに告白されても、誰一人に対しても首を縦に振ることはなかった。


 相変わらず学校でのシズクは明るく振る舞っていた。

 でもそれはまるで学校の中でのシズクという別の人間を演じているようにも思えた。


 そんなある日のことだった。

 気がついたら、シズクは家で一切笑顔を見せなくなった。

 いや正確には『俺と一緒にいる時だけ』に笑顔を見せなくなったと言ったほうがいいだろう。

 親父たちといる時は、今まで通り明るく振る舞っていた。

 

 それに母さん——マイコさんがいない時——俺とシズクが二人でいる時。

 ……なんというか俺に対して、妙に近づいてくることも多くなった。

 まるで誘惑するみたいに……。

 

 バカバカしい。

 自意識過剰かもしれないと思った。

 

 でも違った。


 確かにシズクは母さんのいない時に限って俺の前で脱ぐことが多くなった。

 しなやかで色白い肌を見せつけるように……それが当たり前だというように。


 それに別々の部屋があるにもかかわらず、俺の部屋にいる時間が増えた。

 

 だから俺は逃げ出した。

 中学の頃は、土日は部活で時間を潰して、平日の夜は閉館時間まで図書館で勉強をした。

 高校の頃もほとんど同じだ。土日はバイト。平日は図書館で勉強をした。

 そうすることで、家にいる時間を減らした。


 でも否が応でも一緒に暮らしている以上、どうしても家では鉢合わせる。

 確か高校生2年くらいの時だった。

 ある時、過ちを犯してしまった。


 眠れなかった深夜のこと。


 リビングの壁にかけらている時計の針がわずかに静寂を支配していた。

 

 俺は冷蔵庫からお茶を取ろうとして——背中越しに透き通る甘い声が聞こえてきた。


『お兄ちゃんも眠れないの……?』

『——っ!?』

 

 気がついた時にはすでに遅かった。

 手に取ったお茶の入った容器は、手から滑り落ちて床にぶちまけてしまった。


 ポタポタと手にかかったお茶がこぼれ落ちた。


 灰色の大きな瞳が、うるうると俺を見ていた。


『驚かすつもりはなかったんだけど……ごめんなさい』

『いや、大丈夫だ。先に戻っていいから』

『ううん、手伝う』


 そう言って、シズクはパタパタとタオルを持ってきてくれた。

 俺とシズクはお互いに黙って拭いていた。


 一段落して顔を上げた時、目の前にシズクの顔があった。

 灰色の瞳がじっと俺を見ていた。


『——っ!?』

『ねえ、お兄ちゃん?』

『……なんだよ』

『なんで最近、私のこと避けるの?』

『別に避けていないだろ』

『……じゃあ、証明してよ』

『何を?てか意味わからん』

『私のことを避けていないって言うなら、今ここで証明して見せてよ。簡単でしょ?』


 そう言って、シズクはなぜか目を閉じた。

 

 本当に意味がわからなかった。

 だから俺は無視して、立ち上がった。


 すると、シズクは少し口元に笑みを浮かべたような気がした。

 閉じていた灰色の瞳が開かれて、じっと俺を見上げた。


『もしかして……私のこと女の子として意識しているの?』

『……』

『なんとも思っていないなら簡単でしょ?』

『シズク……お前が何を考えているのかがわからん』

『じゃあいい。とりあえずじっとしていてよ』

『は?』

『別に私のことを避けていないし、意識もしていないなら耐えられるよね?』


 そう言ってシズクは立ち上がって、俺の胸に顔を埋めた。

 華奢で細い腕が俺の腰に回された。

 柔らかくて程よい大きさの乳房が押し付けられた。

 しっとりとする体温が伝わってくる。


 心臓の鼓動がはやくなり、今にでも何かが壊れてしまいそうになった。

 

 咄嗟にシズクを引き剥がした。


『——もういいだろ?』

『……うん、今はこれでいい。これからも確認するからね』


 そう言って、シズクは儚げに微笑んだ。


 翌朝、シズクはいつも通り振る舞っていた。

 だから、この夜の出来事は俺の夢なのではないかと思ったが……。


 二人きりの時に、シズクは前にも増して俺に近づくことが増えた。

 そんな時は決まっていつも……シズクはそっと俺のことを抱きしめる。


 だから俺はただじっとその時間を耐えるしかなかった。

 なぜかそういなければならない気がしたから……。


 気がついた時には、二人だけの秘密の関係が出来上がってしまった。


 そして俺が高校3年生、シズクが高校1年の時だった。


 シズクはいつもと違ってなぜか脱ぎ出した。


 ただ制服を脱ぐ音だけが、室内を支配していた。


 オレンジ色の光がわずかにカーテンの隙間から薄暗い部屋へと入り込み、シズクを照らしていた。


 お椀型の乳房、小さな蕾のような突起状——色白く優美な身体を目の前にして——どうしようもなく求めてしまった。


 気がついた時には、シズクのことを抱いていた。


 シズクの嬉しそうでそれでいて、どこか困ったような甘い声が耳元で聞こえた。


『……いいよ?』


 その言葉が脳内を支配して、あとのことは何も考えられなくなった。


『あっ……ん』

 

 甘いあえぎ声が俺を支配した。

 ただただシズクの身体を求めた。


 冷静になった時にはすでに遅かった。

 少し乱れた呼吸で、シズクがベッドから少し起き上がった。


『……責任とってくれるよね、お兄ちゃん?』

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