第3話 うららか散歩
東京の喧騒に身を投じてから、もう十年の季節が巡ってきた。
朝の目覚めと共に口に流し込むコーヒーの一滴一滴に、人生の苦味さえ感じてしまう。振り返れば、アラサー女子となっていた。自分の人生は他人に語るほど華やかなものではない。愛した母親は早くにこの世を去り、珍しく父子家庭で育った。
私は、高校生の時、父が再婚すると聞いた。特別な目的もなく、ただ父親から離れるためだけに東京の大学へと足を運んだ。それ以上一緒に住むのが耐えられなかったからかもしれない。
しかし、自分は決して不幸を感じていない。冬の秋田と言えば、かまくら。雪国育ちの私は辛抱強い。できる限り明るく振る舞い、人知れず小さな幸せを見つけては喜んでいる。高校のクラスメートで初恋の男性、正人からの言葉が心の片隅にずっと残っている。
「物怖じしないし、えくぼが可愛い」
彼は決してイケメンではないが、お腹に月のマークを描くクマさんのような温かさを感じる。もう何年も会っていないが、東京にいるはずだ。今頃何をしているのだろうか……。なぜか気になってしまう。
あっという間に青春時代が過ぎ去ってしまった。思い出せば、確かに辛いこともたくさんあった気がする。
しかし、サブカルチャーの溢れる庶民的な街が大好きで、故郷へ帰ることもなく東京の街角で何気ない日常生活を楽しんでいた。
アパートは中央線沿線の一角にあり、都庁のある新宿からそう遠くない。ベランダから見渡しても高層ビルはひとつもない。
住まいは小さくて古ぼけたシェアハウスだ。私以外は男性ばかりで、外国人の若者も一緒に住んでいる。
せっかくの休日だから部屋に引きこもって過ごすのは勿体無い。春一番の穏やかな風に誘われて、久しぶりに散歩に出かけようと思う。
腹ごしらえに共同キッチンを借りて、昨夜の残りご飯で焼きおにぎりを作り、鮭フレークとイブリガッコを添えてお茶漬けを作る。米麹多めの甘辛味噌が焦げて香ばしく美味しくなる。幼少期に母親から学んだことを忘れていなかった。
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