機械仕掛けの幼子
五十メートル級のパンドラ……仮に幼体パンドラと呼ぼう……は、千尋達が驚いたような反応を見せると、同じく驚いたように身体をビクつかせた。
傍にいるパンドラは低く落ち着いた
大きくパンドラは項垂れ、顔を左右に振った。「全然分かってないじゃん」と言いたげに。
しかしそれでもパンドラは、幼体パンドラに暴力を振るうような事はしない。人間である千尋達を虐める事もしない。ただその場に座り込み、人間達を遠巻きに観察する幼体パンドラをじっと見つめるだけ。
とても、穏やかな姿だった。
「……なんというか、随分感情豊かというか。いや、感情豊かなのは前からだが、しかしこれは……」
「うん、言いたい事は、私にも分かる」
秀明が呆けたように述べた曖昧な意見に、千尋は同意を示す。
パンドラは笑いながら人間を虐殺するぐらい『感情豊か』な存在だ。冷徹で効率的な殺人マシーンと違い、楽しむ事を第一にした殺し方を行う。少なくとも十年前はそうであり、だからこそ世界中が恐怖した。
これはある意味、人間の子供と同じだ。人間の子供はアリの足を千切るだけでは飽き足らず、巣から飛び出したアリ達を踏み潰して遊ぶ。恨みも嗜虐もなく、ただ面白いからそうするだけ。残酷だが、無邪気であり、無垢である。
ところが今のパンドラは、無邪気さからくる残虐性が感じられない。言っている事を理解していない幼体を見つめる様など、まるで慈しむかのよう。
無感情には程遠い姿だが、十年前とは明らかに違う。
十年前間近くで見てきた千尋ですらそう思うのだ。秀明からすれば
「(というかさっき、鳴き声で交信してた……?)」
パンドラがその気になれば、一般的なコンピューターと同じく電波による『通信』が可能だ。人工衛星をハッキングしている事から、その能力があるのは間違いない。直接通信するのが嫌なら子機と子機を繋ぎ、間接的に情報をやり取りすれば良いだろう。
ところがパンドラは、鳴き声で幼体パンドラに話し掛けた。
わざわざ『会話』をしたのだ。それ自体も不自然だが、幼体パンドラが変わらず人間を怖がっている……つまり言う事を聞いていないのも奇妙だ。自分の手足として新しい機体を作ったのなら、命令は必ず聞いてもらわねば困る。またコピーやバックアップとして製造したなら、『自分』の命令通りに動かないなんておかしい。しかもそれを見たところ許容している。
新造した機体が指示を聞かない。それに呆れはするが、だからといって無理やり言う事を聞かせるつもりもない。
これではまるで。
「なんなんだ……子育てでもしているつもりか……?」
パンドラの行動に、秀明も違和感を覚えたらしい。第一印象であろう言葉を呟く。
「多分、そうなんじゃない?」
そしてその印象は千尋も抱いていたので、同意してみる。
すると秀明は、呆けたように固まった。
次いで千尋の顔を見て、それからパンドラと幼体パンドラに目を向ける。秀明に見られた幼体パンドラは更に後退。瓦礫の山に身を隠し、パンドラはその姿を暖かく見守っていた。
これが人間であれば、公園で良く見られる親子の構図である。
だから千尋はそう思ったが、しかし秀明は違うらしい。驚いたような、信じられないと言いたげな顔で振り返った。
「こ、子育て、なのかい?」
「うん。多分だけど、東郷くんが言ってた通りこの小さなパンドラは人間を知らない。つまりパンドラの記録がコピーされていない、まっさらな赤子か、小さい子のような存在なんだと思う」
「それを、育てているのか……」
「うん。自分の記憶をコピーするんじゃなくて、経験とかを独自に積ませる形で。子育てという自覚はないかもだけど、結果的に、人間の子育てと同じ事になってるんじゃないかな」
千尋の推論を聞いて、秀明は黙ってしまう。彼が浮かべる表情はやや強張ったもの。納得していない、ようにも見えるが……そうではないと千尋は思う。
単純に、気に入らないのだ。人間を虐殺した挙句、第三次世界大戦を引き起こしたような存在が『親』になるなんて。
殺された側である人間達からすれば、確かにそんな気持ちになるのも頷ける。無残にも我が子を殺された親達であれば、抑えきれないほどの怒りが噴き上がるだろう。
しかし冷静に、客観的に考えてみれば――――殺人と親の資格は一切関係がない。
極論ではあるが、殺人犯でも子を愛情深く育てれば、子供にとっては『良い親』なのだ。いや、そもそも親の資格なんてものが人間的な偏った見方に過ぎない。子を作ればその時点で親であり、どのように育てるのが『正しい』かも種によって異なる。人間を虐殺しようが、人間が怒り狂おうが、本気でなろうと思えば『親』にはなれるのだ。
「しかし、なんだってパンドラはそんな事をするんだ? 確かに、一人の親としての意見だが、子育ては良いものだと思う。だが同時に……」
「色々大変で、面倒臭い?」
「……ハッキリと言えば、そうなるかな」
断言するのも、認めるのは癪だという感情が秀明の顔に出ていた。
気持ちは分かる。理屈も分かる。千尋に子育ての経験はないが、東郷重工業の社員が家族の話をしているのは何度も聞いた事があった。彼等は嬉しい事や楽しい事も話していたが、苦労も数多く話していた。特に幼い頃は苦労の連続らしい。
例えば、食事を与えても気に入らないと食べてくれない。ちゃんと食べなさいと叱っても、何故いけないのか理解出来ないので中々直らない。真心込めて作ったものを、遊ぶならまだ良い方で、秒でひっくり返される時もあるとか。
例えば、危ない事に平気で挑む。走っている車に触りたかった、なんて理由で車道に手を伸ばそうとするぐらい滅茶苦茶だ。お陰で一時も目が離せないし、手も繋いでいないといけないが……やりたくなったら即行動のお子様は、親の愛情たっぷりの手を全力で払い除けて死にに行く。
例を挙げればきりがない。こうした行動は、子供の知能や自我が発達する過程で起きるもので、科学的に考えれば全てが微笑ましい。しかし実際に育てる側としては心身共に過酷だ。子供の命を守り、一人前の大人になるよう育てるため、一時も気を抜けない。パンドラのしている子育てが人間と似ているかは不明だが、『簡単』ではないだろう。間違いなく、自分の中の記録媒体をコピーして忠実な量産機を作るよりは遥かに。
合理的に考えれば、単純に機体を量産するなら記録をコピーした方が良い。多様性を持たせるにしても、一部データのコピーぐらいはするだろう。現状唯一の脅威となり得る、人間についての知識なら尚更だ。それが分からぬパンドラではあるまい。
つまり、パンドラが幼体パンドラに記録をコピーしなかったのは敢えてやった事の筈。
一体どんな目的があって、そんな事をしているのか。子育ての真似事をする事にどんなメリットが……
【ギ、ギ、ギギギ】
謎を解き明かそうと考え込みそうになる千尋だったが、その時になってついに幼体パンドラが動き出す。
千尋達の傍まで躙り寄り、幼体パンドラはじっと見つめてきた。突然の行動に驚く千尋と秀明は揃って後退り。
そうして身体が動かないうちに、幼体パンドラが手をこちらに伸ばしてくる。
まさか幼子がアリの足を千切るように、人間である自分達の足を引き千切るつもりなのではないか……脳裏を過る懸念。千尋の胸中に恐怖が湧き出すが、後ろに下がろうにも周りに積まれた荷物が邪魔で身動きが取れない。秀明は千尋を守るように前に出るが、圧倒的巨体を誇る幼体パンドラ相手では無駄な抵抗に過ぎず。
ごつんっ、と幼体パンドラの指先が秀明の頭と接触した。
……割と本気で痛かったようで、秀明が「あだっ!?」と声を出す。呆気なく倒され、背中も打ってそちらも痛そうだ。鍛えていなければ、色んなところの骨が折れていたかも知れない。
しかし死ぬほどではなく、また骨も折れていないようで、秀明はすぐに身体を起こす。
そして秀明を転ばせた幼体パンドラは、
【ガギガァッ!】
【ギャンッ!?】
パンドラに吼えられ、びっくりしたのか飛び跳ねていた。慌てて離れようとするも、足がもつれてすっ転ぶ。倒れた衝撃で地震が起きたものの、幸い千尋達に被害が及ぶ事もなかった。
……こうも『可愛らしい』姿を見せられては、秀明としても毒気を抜かれたのだろう。怒ったり恐怖したりする事もなく、呆けたようにパンドラ達を眺めている。
そして千尋も、パンドラの行動を観察していた。
幼体パンドラが秀明にちょっかいを出したら、パンドラが怒った。人間目線ではそう見える姿だった。恐らく、その解釈で間違っていないだろう。
即ち、パンドラは幼体パンドラのオモチャとして千尋達人間を連れ去った訳ではない。また死んでしまわないよう、ある程度は気を遣っている事も窺い知れた。そうでなければ幼体パンドラのちょっかいを叱る筈がない。
【ギギギィィ……】
【ガギィ? ギ、ギギギギ……】
怒られた幼体パンドラはすごすごと退散。するとパンドラは、先程の親らしさが一変しておろおろし始める。幼体パンドラの周りでわたわたと腕を動かすが、幼体パンドラは機嫌を直してくれない。
廃工場から幼体パンドラが離れると、パンドラは肩を落とした。心底ガッカリしているように千尋には見える。
しばらくパンドラは立ち止まっていたが、やがて顔を左右に振る。それから千尋達の下に歩み寄ってきた。
こちらは正真正銘、人類を大量殺戮した方。しかもより巨大な身体が迫り、千尋も思わず息を飲む。秀明もパンドラには恐怖心を隠せず、僅かに後退り。
しかしそんな人間達の反応など気にしてないとばかりに、パンドラはその手で近くに置かれていた金属コンテナを掴んだ。恐竜よりも人間に似た形の手は容易くコンテナを持ち上げ、悠々と千尋達がいる場所まで運ぶ。落とす事もなくコンテナを地上に置くと、パンドラはそのコンテナを指先で軽く突いた。
コンテナの大きさは縦横二メートルないぐらいの大きさ。軽トラックに載せるようなサイズである。
パンドラがこれを指で突いたのは、中を見ろ、という事だろうか。
「……よし、僕が行こう」
秀明は自ら率先してコンテナに近付き、中を覗き込む。とはいえ千尋はその行動に危険があるとは、殆ど考えていない。
パンドラが自分達を大事に扱うつもりなら、そこに何があるかは見当が付く。それがこれからの自分達に欠かせない、重要な物資である事も。
しかし千尋としては、あまり予想が的中してほしくないという気持ちもある。
「……これは、缶詰……?」
食べ物を渡してくるという事は、少なくともパンドラは当分の間千尋達を返すつもりがないという意思の表れなのだから……
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