神の炎
「負けた、か……」
憔悴した表情の秀明が、ぽつりと声を漏らす。
東京から遠く離れた東北地方にある東郷重工業第二支店ビル。そのビル内にある重役達が使う会議室で、千尋と秀明は部屋に備え付けられた大型モニターを見ていた。傍には他にも大勢の会社役員がいて、一緒にモニターを見ている。
モニターと言っても、映し出されているのは民間の放送番組ではない。
自衛隊から供与された大型映像端末、そしてそこに表示された現場映像だ。万一に備え、パンドラの能力を解析するよう技術者にして開発者である千尋は依頼を受けていた。無数のドローンや自衛隊員が撮影したもので、最大十六画面が表示されている。モニターの大きさが縦横四メートルはある大型のものでなければ、個々の映像が小さ過ぎて何をしているかさっぱりだっただろう。
尤も、映像が見えていてもさっぱりな部分が多いのだが。今は全ての映像が消えており、砂嵐しか映っていない。現在の戦場の様子は分からず、確かな事は、映像を撮影していた者達全てが破壊された事ぐらいだ。
しかしそれだけ分かれば、日米合同の軍事作戦が失敗した事は容易に想像出来る。集まった役員達の間に動揺が走った。
「な、なんだ、あの見えない壁は……」
「バリア、なのか……!?」
まず誰もが気にしたのが、パンドラが纏っていた透明な壁のようなもの。ミサイルも戦車砲も地中貫通弾も、あの壁に阻まれてパンドラに届かなくなっていた。しかもパンドラを苦しめていたナパームの熱さえ無力化しているように見える。
言うまでもなく、千尋はパンドラの大元となった実験用ロボットにあのような機能や装備は搭載させていない。というより今の人類にあんなSF的装備を開発する技術はない筈だ。パンドラが独自に開発した、人類未踏のテクノロジーであろう。
これは決しておかしな話ではない。パンドラは自己学習で成長する、自我を持つAI。コンピューターの演算速度は、勿論機械の性能次第だが、今では普通のパソコンでも一秒で数十億回の計算が可能である。賢さというのは単純なものではないので、これを以てコンピューターは人間の数十億倍賢いとは言えないが……それだけ計算速度が速ければ、学習速度も人間の比ではないのは容易に想像が付く。
人間よりも早く思考・学習出来るのだから、新しい技術を生む速度だって人間の比ではない。開発者である米国も、AIが次々と新しいイノベーションを生み出してくれる事を期待して開発していた筈だ。パンドラが人類よりも技術的に『先』へと進むのは、想定通りの結果と言えるだろう。
無論、いくら高速で思考しようとも一足跳びの発展はあり得ない。石器の作り方しか知らない状態で、直接航空機の製法を思い付く事は出来ないという事だ。この土壇場で新技術を編み出したとすれば、何かしら基礎となるテクノロジーがあったと考えるのが自然。
そして千尋には心当たりがある。
「(恐らく、電磁装甲……その中でも通電方式と呼ばれる類のやつ。まさか実用化するなんて)」
『電磁装甲』とは電気を用いた防御技術であるが、その方式は大きく分けて三つ存在する。
一つは放電衝撃方式。これは電気を流す事で中の化学物質を爆発させ、吹き飛ばした装甲の衝撃で攻撃の威力を和らげるというもの。もう一つはコイル式で、磁力によって装甲を飛ばして攻撃を相殺する。二十一世紀初頭から研究が進められていた、それなりに研究されている技術である。
ただしやっている事は既に実用化済みの反応装甲(爆薬で装甲を飛ばして攻撃を阻害する)と似ており、また大量の電力をどう確保するか――――わざわざ高等な技術を搭載するほどのメリットがあるのかという問題があった。軍事力において重要なのはどれだけ高等なテクノロジーであるかではなく、『戦闘力』と『数』を用意出来るか。高度な技術を用いて維持コストが嵩み、戦闘力一割増強で保有台数が半減になっては意味がないのである。そのため電磁装甲の研究は進められているが、二〇五〇年代に至っても実用化はされていない。
通電方式は、電磁装甲の中でも特に実用化の目途が経っていない技術だ。これは大量の電流を纏う事で、その領域を通ったものに通電。電流が流れた際に生じる熱で、対象を破壊するというものである。他の反応装甲と違い、使用しても自分自身はダメージを受けない、装甲を飛ばさないので何度も使える、というメリットがある。
問題は、ちょっとやそっとの電流ではほんのり温かくするのが限度である事。何しろ想定される攻撃は軍事攻撃……ミサイルや戦車砲など音速越えのものばかりであり、〇・一秒と経たずに纏っている電流の領域を突破してくる。つまり〇・一秒以内に金属製の砲弾を溶かすような、インチキ染みた超高温が必要だ。これほどの電力を生み出す発電機なんて実在せず、実在したところでとんでもない大きさになる事は目に見えている。こんなものを背負って戦うなど危険極まりなく、侵略にも防衛にも使えやしない。そのため既存の電磁装甲よりも大きなメリットがありながら、あまり研究が進んでいない分野だ。
恐らく、パンドラはこれを実用化させた。
巨体故に巨大な発電機を持てたのか、効率的な発電装置を精製したのか。いずれにせよ砲弾やミサイルを溶解させ、爆弾を接触前に破壊出来る真正の電磁防壁を手に入れた。
そしてナパームの熱に耐えられるようになったのは、この熱自体を電気に変換したからだろう。熱を電気に直接変換する技術は既に実用化されており、コスト面などの問題はあるものの今でも研究が進められている。パンドラは、この技術も発展・獲得したと思われる。
人間は科学技術の力で地球を支配してきた。猛獣の脅威も、恐ろしい伝染病も、科学の力で乗り越えた。されどパンドラはその科学が生み出し、より先の科学へと達した存在。科学に頼ってきた人間では、乗り越えようがない。
手に負えない。改めて、パンドラはその現実を突き付けたのだ。
「……深山くん。米軍は、これからどう動くと思う?」
一通り思考を巡らせたところで、秀明が千尋に尋ねてきた。
唐突な質問。加えて米軍の動向という、千尋の専門外の事柄。
普段の秀明なら、軽い会話なら兎も角こんな状況で尋ねてはこないだろう。どうしてそんな事を? と一瞬疑問に思うも、千尋はすぐ答えに辿り着く。
秀明の中ではもう答えが決まっているのだ。今千尋に訊いてきたのは、もしかしたら他の可能性があるのではないかという『期待』からだろう。
……残念ながら、期待には応えられそうにないと千尋は思った。
「……まず、パンドラを、野放しには、しないと、思う。あれは、もう、ただの暴走ロボットでも、逃げたAIでも、ない。一国を、相手にして、勝てる……本当の、脅威。倒さなかった、ら、どうなるか、分からない」
多少なりとも友好的な動きを見せていたら、パンドラと『和解』するのも選択肢の一つに入っただろう。被害者からすれば憤りを覚えるだろうが、勝てない相手に媚びへつらうのは決して悪手ではない。少なくとも『生存』という、大抵の人間にとって一番大事な権利を確保出来るのなら。
されどパンドラは、ロボットの肉体を得てから一貫して人間を殺してきた。向こうから対話を試みた形跡はなく、人類が屈したところで許してくれるとは考え辛い。いや、そもそも許すという発想があるかも怪しい。幼児がアリを踏み潰し、アリが許しを請いても、幼児はやはりアリを踏み潰すだろう。
故に戦うしかないのだが、今回の日米合同軍事作戦は破られた。しかもただ負けただけではなく、決め手であったナパーム弾の熱にパンドラは適応し、今や防ぐ力を会得している。今回と同じ武装では、どれだけ戦力を投じても返り討ちに遭う可能性が高い。
よって何かしらの新兵器が必要だ。だが今回の作戦で使わなかった兵器の中で、パンドラに対し有効なものがあるとすれば、千尋が知る限りではあと二つしかない。
一つはMOAB。『全ての爆弾の母』と名付けられたそれは、通常兵器の中では最高峰の破壊力を秘めた爆弾だ。その爆発半径は一・六キロに達し、地面に反射した衝撃波の効果で極めて強力な破壊を生む。人間どころか建物も跡形もなく粉砕する威力である。
だがMOABは広範囲を滅却するが、地中貫通弾ほどの貫通力はない。MOABはあくまでも広範囲を吹き飛ばす爆弾であり、地中貫通弾とは得意分野が違うのだ。ましてや散々受けた戦車砲に対応し、強化されたパンドラの装甲を粉砕するのは困難であろう。MOABは他に急激な気圧変化で浅い場所に潜んでいる人間を殺す効果があるというが、パンドラは呼吸をしていない純正のマシン。中の機械にダメージがないとは言わないが、気圧変化が『致命的』になる可能性は低い。
だとすれば、使うとすればもう一つの選択肢。
「あれを倒すには、核兵器の、使用が、妥当だと、思う」
禁断の兵器である、熱核兵器の使用だ。
「なっ!? あ、アメリカが同盟国に核兵器を……!? 馬鹿な、あり得ない!」
「アメリカだけとは限らない。隣国である中国とロシアも核兵器を持っている。フランスやイギリスも持っているし、北朝鮮にもあるんだ。あのパンドラが通常兵器じゃ倒せない以上、誰が使ってもおかしくない。自国の安全保障と言う名目でね」
反射的に否定してくる役員の一人に対し、反論したのは秀明。思った通り、彼も核兵器の使用が選択肢に入っていたのだ。
核兵器は強力だ。特に現代使われている水爆は、中心温度が太陽の中心部を上回る。ここまで高温だと直撃した物体はプラズマ化するため、物質の強度も何も全て無視して消し飛ばす。パンドラがどれだけ複雑な防御構造を持とうと、どれだけ未知の化合物で出来ていようと、太陽中心温度を超える熱量に耐えられる訳がない。熱を電気に変換する仕組みを持っていたとしても、この馬鹿げた熱量は処理し切れないだろう。
それに、核兵器と言っても東京を爆発で吹っ飛ばすとは限らない。
「もしかする、と、EMPを、使う、かも」
EMP……電磁パルスの略だ。現象自体は高圧電流を流したり、或いは太陽活動が活性化したりした時に観測可能だが、EMP攻撃と言う場合は核兵器使用時に生じるものを指す事が多い。
原理はこうだ。核爆発などによって生じたガンマ線などが通った際、大気中の窒素分子などの電子が弾き飛ばされて周囲に放出される。この放出された電子が電子機器内に入り込むと、通常使用時は流れない強力な電気となって流れる。この強い電流に電子機器は耐えられず破損。結果使えなくなる……というものだ。
EMPは電子機器に対しては致命的だが、人体にはほぼ無害であるとされている。よってこれを浴びた人間が死ぬような可能性は(ペースメーカーの停止など間接的被害を除けば)ない。放射能汚染の問題はあるが、これは雨や風で自然と希釈され、何年かすれば健康に問題ない水準まで回復するだろう。原爆が落とされた広島や長崎に、今では人が普通に暮らしているのがその証明だ。
何よりパンドラはあまりにも多くの人間を殺害しており、その動機は未だ不明。この被害が日本だけに留まるとは限らない。『自国』の安全を守るため核使用を踏み切るというのは、果たしてそうおかしな事だろうか? 『自国』の安全が脅かされてでも、核使用に反対する事は合理的だろうか?
冷静に、客観的に考えれば、核使用という決断は分からなくもない。むしろ合理的とさえ言える。国際的な支持も少なからず得られるだろう。
しかし……
「(パンドラが、大人しく核兵器を受けてくれる?)」
相手は人間側の理屈を容易に踏み越え、科学的な知略さえも乗り越えた存在だ。核兵器を用いたところで、果たして上手くいくのか。
何か、嫌な予感がする。
自分が意見を出したところで、それで国家の方針が変わるとは考え難い。ましてや根拠も何もない、ただの予感だ。けれども一開発者として、懸念がある事は伝えるべきか……そう考え自衛隊と連絡が取りたいと、千尋は秀明に声を掛けようとする。
「た、大変です!」
しかし事態は、千尋の対応を待たない。
大慌てで一人の社員が会議室に入ってくる。その社員は顔面蒼白で、額からは汗まで流していた。余程大急ぎで来た事が一目で窺える。
だからこそ、今から話そうとしている内容がどれだけろくでもないか想像が付いた。
「……どうした?」
「に、日本海側に展開していた、中国とロシアの軍隊が、核兵器を発射したとの事です! 発射数は全部で五発! いずれも東京、パンドラに向かっていると、今政府発表が……!」
秀明が尋ねると、やってきた社員は叫ぶように報告。秀明が話した通り、同盟国米国以外の国が核兵器使用に踏み切ったようだ。無論、日本政府は(少なくとも表向きは)許可など出していないだろう。しかし撃たれた以上、今更文句を垂れたところでどうにもならない。米国も、自分が汚名や責任を被らずに済むのだからこれを迎撃するとは考え難い。
核の炎が東京を焼く。
最悪の展開が起きようとしている。いや、東京が焼かれるだけならまだマシかも知れない。それでパンドラが倒せるならば。しかし既に人智を超えるテクノロジーを取得したパンドラに、如何に核兵器といえども通じるだろうか? 東京を焼くだけに終わり、パンドラは難なく生き延びるのではないか……
「(或いは、もっと……)」
嫌な考えは他にも浮かぶ。しかしあくまでも推論であり、確証はない。核兵器の発射プロセスを考慮すれば可能性の低い話でもある。
だが、それでも千尋は最悪を考えた。
故にそれを秀明に話す。どれだけ荒唐無稽でも、どれだけ理屈に沿わずとも、あり得る事は伝えておくべきだ。例えもう時間がなくとも、今すぐ何かをすれば、少しはマシな未来が待っているかも知れない。
悪足掻きだという想いもあれども、やらずにはいられず。千尋は秀明にこれから起こり得る可能性を告げる。
無論、自分が一人で勝手に盛り上がっただけで済めば最上だと考えながら――――
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