事故発生
「爆発事故だって?」
心底驚いたように目を丸くしながら、ソファに腰掛けている一人の男はそう呟いた。
男は六十を超えた身であるが、顔は色艶が良く、外観だけで言えば十以上若く見えるだろう。ガッチリとした肩幅や、真っ直ぐ伸びた背筋も彼の若々しさを飾り立てる。着込んだスーツは年季の入ったものだが、彼の風貌とよく似合い、彼と一体化しているように見えるだろう。
顔立ちは少々厳ついながらも、普段から笑顔が多いのか眉間や口許に皺はない。パチリと開いた目も、彼の朗らかな性格を物語る。口から出てきた言葉にも威圧感はなく、むしろ人の心に沁みるような優しさがあった。
彼の名は
東郷重工業は彼の父親が興した会社だったが、彼が社長に就任後三十年で世界に名だたる大企業にまで成長した。それは彼の卓越した経営センス(だけでなく運も大きいと秀明本人は語る)の賜物であり、秀明自身は決して無理な経営はしない、温和な性格をしている。部下の失敗は諭し、声を荒らげるような真似は好まない。そして何時だって夢を追う、何処か少年のような無邪気さを残した男だ。
その秀明が驚く切っ掛けとなったのは、女性秘書からの報告――――工場で起きた爆発事故の件である。
「はい。第三工場で実験を開始した直後、爆発が起きた模様。警戒システムからの連絡を受け、本部の安全管理センターから警察と消防に通報しています。現時点で第三工場の責任者や従業員とは連絡が取れていません」
女性秘書は淡々と、感情の揺らぎが感じられない声で報告を行う。
女性秘書の顔立ちは若く、美しいもの。しかしその顔は眉一つ動かさず、人間味を感じる事は出来ない。注意深く観察すれば彼女が瞬き一つせず、長い言葉の中で息継ぎさえも行っていないと分かるだろう。
それも当然である。この女性秘書は『アンドロイド』なのだから。
二十年ほど前から急速に発展を遂げた人工知能技術により、今では人間と遜色ないレベルの会話が可能なまで進歩している。ITの最先端を進むアメリカでは『自意識』を有した人工知能が開発されたという話もあるほどだ。そう遠くないうちにアニメに出てくるような、人間の友人となるロボットが出来るのではないかとも言われている。
このアンドロイドは自意識を持ち合わせていないが、搭載された人工知能により業務連絡やスケジュール管理を行う事が出来る。今し方秀明としたような会話……事実のみを伝える文章ならば問題なく作成・発声する事が可能だ。何より人間と違い、事実を伝える事を躊躇わない、伝え忘れをしないなどの利点から、大企業の秘書として世界的に採用されつつある。
ちなみにこのアンドロイドは、東郷重工業製のもの。つまり自社製品だ。自分のところで作った製品の性能を確かめる、という意味でも秀明はアンドロイド秘書を採用している。
「……分かった。すぐに経営陣を集めて会議を行いたい。参加方法は直接、オンライン問わないから、一番早い方法で頼む。それと第三工場には定期的に連絡を入れるようにしてくれ。被害状況を正確に知りたい」
「承知しました」
秀明からの指示を受け、アンドロイド秘書はこの場……広々とした応接間から出ていく。
企業規模に見合った豪勢で広々としたこの部屋に残ったのは、秀明ともう一人。
若い女性が、秀明と向かい合うように座っていた。
女性は、一言で言えば秀明と真逆の容姿をしている。長く伸ばした髪で隠された顔は、自信や誇りとは無縁そうな陰鬱としたもの。目線も秀明とは合わせず、顔を背けた状態で俯く。そのため顔立ちをよく観察する事は出来ないが……もしも髪を退かせば、可愛らしい少女のものが見えただろう。尤も、顔色は蒼白で如何にも不健康だが。
背格好も、よく観察すれば大人ではなく少女に近いものだと分かる。白衣に包まれた身体は細く、背筋は曲がり、如何にも虚弱だ。身長も、お世辞にも高いとは言えない。
彼女の名は
若いながらも所長という立場であるが、これは親の七光りや賄賂などで手にしたものではない。彼女は機械に対し天才的な才覚を有し、それを幼少期の頃から活かしてきた。秀明はその才能を彼女が幼い時から見出し、進学など様々な援助をしてきたのである。そして『見返り』として技術研究部門の
とはいえ千尋はこの立場を嫌だと思っていない。見返りとしての採用であるが、東郷重工業の研究予算は潤沢で、彼女が好きな機械弄りを誰に咎められる事なく出来る。何より千尋は極端に人見知りな性格だ。こんな好条件の『仕事』、他に見付けたところで面接すら通らないのが目に見えている。千尋にとっても願ったり叶ったりである。公私の仲も良く、歳こそ大きく離れているが、千尋にとって秀明は一番の『友達』だ。今も仕事の報告がてら(忙しい彼の邪魔にならない程度の)世間話に花を咲かせていたところだった。
そんな訳で千尋は東郷重工業で製造している様々なロボットの開発に携わっている。それこそ今し方事故が起きた第三工場で実験中の機体……災害救助用試作ロボットの設計にも関わっていた。
「深山くん。どういう事だと思う?」
「どうと、言うと……?」
「事故原因について、何か思い当たる事はないかな? あ、疑っている訳じゃないよ。君の仕事は何時も丁寧だからね。ただ、何か事故が起きる要素があるなら知っておきたい」
秀明から優しく尋ねられる。彼と千尋は十年以上の長い付き合いであり、少なくとも千尋にとって誰よりも ― 自分の才覚に興味を示さなかった両親よりも ― 尊敬している人物だ。秀明の疑問には、出来る限り答えたいと本心から思う。
しかし想いはあっても、考え付かないものはどうにもならない。
「ううん……確かに、あれは色々な新技術を、盛り込んでるけど……爆発を、起こすような事はしてない筈だし。精々、燃料のガソリンが、なんらかの要因で、引火した、とか……?」
千尋の専門はロボット工学全般。その中でも特に得意としているのが、ナノマシン工学だ。第三工場で実験していたロボットも、ナノマシン技術発展(勿論その後の商品展開を見据えてだが)のために行っていたもの。このためロボットには新技術……具体的にはナノマシンを制御するためのAI、それとロボットに内蔵されている発電装置に新しい技術が使われている。
安易に考えるなら、この二つが事故を引き起こした、と言いたい。
しかしよく考えれば、可能性は低いと思い至る。まず、言うまでもなくAIは爆発するようなものではない。あんなものはただの基盤だ。では発電装置は? 燃料にガソリンを使っているので爆発する可能性は否定出来ないが……しかしこれは『製品化』した装置にちょっと改良を加えた程度の代物。その元ネタである発電機は、発売して数十年が経ち、未だ大きな問題を起こしていない優良製品である。安全性・安定性に大きな問題があるとは考え難い。無論理屈だけでいっても机上の空論に過ぎないが、発電機単体での運用試験は実施済みだ。安全性は念入りに確認している。
他にも間接部に充填されているガスは二酸化炭素のため引火しない、機器に異常があれば燃料弁が閉じる……等々、安全対策は多く盛り込まれている。これらの対策は長年のロボット技術により培われた、歴史あるマニュアルだ。信頼と実績のあるセキュリティであり、これらが正常に働いている限り大きな爆発事故が起きる可能性は極めて低い筈である。
とはいえ現に事故は起きている。それにガソリンは危険な燃料だ。常温でも容易に気化し、発火点が低いため静電気でも簡単に引火してしまう。車の燃料として普及しているため実感し難いが、あれは本当に『爆発物』の類である。全長五メートルのロボットを動かすためとなれば大量のガソリンが必要であり、それが一気に引火したなら大爆発を起こすのは間違いない。
理由は兎も角、ガソリンに引火したと仮定すれば爆発事故が起きても不思議はない。
……それでも謎は残るのだが。
「(工場責任者と連絡が取れないって、どーいう事なの?)」
実験場と事務室は離れた位置にある。安全対策という面だけでなく、工場関係者以外が工場内に入らないようにするためなど、運用上の都合も兼ねての事だ。
爆発事故が起きるとすれば、地下深くの実験区画の筈。実験区画では万一に備え、分厚い隔壁や隔離された電気系統など、被害が広がらないよう様々な安全対策が施されている。人間が用意したものなので『完璧』とは言わないが、高確率で最悪の事態は避けられるような作りだ。つまり基本的に工場責任者や社員の大半は無事であり、連絡をする上で支障はない。
事故が起きたらまず上層部にエスカレーション。現場作業の基本だ。なのに連絡が取れないのは何故なのか。工場責任者が後の責任追及を恐れて逃げ出したのだろうか? だとしても、他の従業員とも連絡が取れないのは奇妙だ。
事故原因も勿論気になるが、千尋としてはこちらの方が重要な気がする。
「ね、ねぇ、東郷くん。あの、事故も、気になるけど、工場の人と連絡取れないのも、気になるの。だから、その、直接人を送った方が……」
「確かに、責任者だけならまだ理解出来るが、誰ともというのは不自然だね。積極的に情報を取りに行くべきか……よし、最寄りの営業所にいる社員を向かわせよう。工場の外であれば問題ない筈だ。万一に備えて複数人でね」
普段ろくに人と話さないため、拙い言葉遣いになってしまったが……付き合いの長い秀明は言いたい事を察してくれた。千尋はこくこくと頷き、感謝と嬉しさを示す。
まだ何も解決していないが、これで少しは良い方に変わると思いたい。
しかし千尋の中にはまだ不安が燻る。誰とも連絡が取れないという事は、最悪、死者が出ている可能性がある。それに先程は事故原因になりそうなものはないと考えていたが、あくまでも設計上の話だ。その設計に何かしらの致命的ミスがあれば、事故が起きても不思議はない。
ロボット設計・開発に関してなら、千尋は絶対的な自信がある。だが一人の人間である以上ミスがないとは言い切れない。なんだか落ち着かない気持ちになってきて、千尋はそわそわと身体を揺れ動かす。
「心配しなくて良い」
そんな千尋に、秀明は迷いない言葉で励ましてくる。
身体の動きはぴたりと止まる。驚きと、心を読まれた気恥ずかしさ、そして何一つ迷いのない信頼への嬉しさで。
「……で、でも、何か、あるかも、だし……予想外とか、想定外とか……」
「いいや、君の働きぶりはよく知っている。お世辞でもなんでもなく、君の設計は何時だって正確で機能的だよ。まぁ、事故報告であれこれ聞く事になるのだけは勘弁してくれ」
「う、うん。それぐらいは、仕方ないって、思うし……」
にこり、と呼ぶには少々ぎこちない笑みを浮かべる千尋。
秀明の励ましは、客観的に見ればなんの根拠もない。今まで失敗がないからと言って、これからも失敗がないとは限らないのだから。
しかし迷いない言葉で断じられると、不思議と安堵の気持ちが湧いてくる。
長い付き合いだから千尋には分かる。こうした言動の一つ一つが、人心を掌握して彼の下に人を集めるのだ。彼は会社をここまで大きく出来たのは運の要素が大きいと語るが、その運とは優秀な人材が集まってくれた事に対するもの。されど人材達は彼の魅力に惹かれてきたのだから、やはり彼の実力なのだ。無意識にやっているので、彼にその自覚が芽生える事はないだろうが。
なんにせよ緊張が解れて、千尋は胸を撫で下ろす。血色の悪い頬も少しだけ赤らんだ。
「緊急事態が発生しました」
尤も、その表情は部屋に戻ってきたアンドロイド秘書の言葉への驚きで、また強張ってしまうのだが。
身を縮こまらせる千尋に対し、秀明は落ち着いた様子で秘書に詳細を尋ねる。
「緊張事態? 何があった?」
「事故が起きた第三工場で、巨大なロボットの活動が確認されています。詳細な映像は複数のテレビ報道で確認可能です」
「巨大な、ロボット……?」
淡々と答えるアンドロイド秘書の説明に、千尋だけでなく秀明も僅かに動揺している。
何しろ巨大なロボットなんて、流石に心当たりがないのだから。
確かに第三工場では全長五メートルのロボットを建造していた。ロボットとしてはかなり大型である。しかしこれより大きなロボットが他にない訳ではなく、あくまでも大型という部類だ。
何より、事故現場で活動しているという説明が理解出来ない。工場内には実験機以外にも多数の作業用アンドロイドがいて、それらが動いているのだろうか? しかしこんなのはわざわざ報告するような内容ではない。誰かの指示を受ければ、作業用アンドロイドでも怪我人の搬送や瓦礫の除去は行えるのだ。さして不自然な状況ではない。そもそも本当にそうであるなら、秘書アンドロイドはありのまま報告する筈だ。「ロボットが活動している」なんて言い方はしない。
何かがおかしい。嫌な予感を覚えたのは千尋だけではなく、秀明も同じらしい。彼は一瞬考え込んだ後、すぐにテーブル上のリモコンを手に取る。そして部屋の隅に置かれているテレビを点けた。
チャンネルを変える必要はなかった。点けた時、偶然にもニュース番組が流れていて、更に映像も放送されていたのだから。
お陰で、千尋も秀明もすぐに現状を理解出来た。
燃え盛る工場を壊しながら暴れる怪獣染みた姿の巨大ロボットという、アニメか映画のような現状を――――
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