人造鋼鉄怪獣パンドラ

彼岸花

始まる絶望

覚醒する厄災

 静岡県。日本の中でも製造業が大いに発展しているこの地の沿岸部に、ある工場が建っている。

 工場の敷地面積は四百万平方メートル。正方形で数えれば一辺二キロ程度と、工場としては決して広大なものではない。見られる施設も海と繋がるための港や、車が通るための道路、それらが搬送した貨物置場である倉庫ぐらいだ。一見なんの変哲もないようだが……注意深く観察すれば、施設の数や規模に対し、往来する荷物が異常に多いと気付くだろう。

 それもその筈。この工場の本体は薄っぺらい地上ではなく、その下に広がる広大な地下空間なのだから。

 地下工場は深さ五百メートルに渡って続く。工業機械や事務所など、工場機能の大半はこの地下に存在していた。それら機械を操作する人間も大勢いて、何千という数の労働者が忙しなく行き交う。地上から搬入された物資も数多く運ばれ、消費し、製品となって地上へと運び出されている。

 そして工場の最深部、最も大勢の人間がいる場所に『それ』はあった。


「相変わらず、デケェなぁ。子供の頃アニメで見たやつを思い出す」


 近くを通った従業員の一人、初老の男性がぽつりと独りごちる。

 彼の視線の先にあったのは、一台のロボットだった。

 ロボットは高さ五メートルと、人間の三倍近い大きさを誇る。ただ巨大なだけなら大きいという感想で終わるところだが、このロボットは『人型』をしており、見下ろされているという感覚を強く覚えるだろう。

 人型と言っても、アニメに出てくる人型ロボットほどちゃんとしたものではない。例えるなら理科室に置かれている人骨標本のような、つまり機体の骨組みが剥き出しとなった構造物だ。装甲もないためケーブルやギアなども丸見えである。胴体中央には巨大なエンジンがある事も、外から確認出来る状態だ。

 それでも頭のような部分があり、二本の腕と二本の足を持つため人型ではあるが……西暦二〇四一年現在、ここまで『無骨』なロボットは早々見られない。今時はファミレスに置かれた接客用ロボットでさえ、人間に見間違えるほど精巧なのだ。そもそもロボットの装甲は単に見た目を取り繕うだけでなく、精密な部品を埃や衝撃から守るために欠かせない。人間が皮膚を持たなければ剥き出しの内臓に様々なダメージを負うように、ロボットも中身が露わになっているのは好ましくない事である。

 では装甲を持たないこのロボットは失敗作や、或いは作りかけなのか? 否である。このロボットは完成間近であり、そして失敗作ではない。

 ただし実験的な製品ではあるが。


「大きさとか人型とかは世間にアピールするためのものだそうだ。なんやかんや、今でも巨大ロボットは人気だからな」


「あー、成程なぁ。自己修復機能を見せるためにも大きい方が良いしな。最近のナノマシン工学ってのは凄いもんだ」


 独り言に反応し、彼の同僚が企業側の思惑について話す。それに納得した彼は、頷きながらロボを眺めた。

 ナノマシン工学。これは西暦二〇二七年に実用化された技術だ。

 ナノマシン工学で使われる機械を、一般的にはナノマシンと呼ぶ。ナノ……十億分の一メートルという極めて微細なマシンの総称だ。ナノマシンがする事は極めて単純で、部品となる分子をナノマシンが掴んで組み立てるというもの。言葉にすればあまりにも単純で、大した技術ではないように思えるかも知れない。

 しかしナノマシンは兎に角小さい。それこそ分子を掴めるような大きさだ。これだけ小さいと多くの利点がある。

 二〇二〇年代に発展した3Dプリンタと違い、分子レベルで組み立てるため部品強度が強く、文字通り分子レベルの構造まで作り出す事が可能だ。また素材を一切選ばず、化学的に結合可能な全ての分子を素材として利用出来る。

 そして最大の利点は『自己修復』の実現。ナノマシンを機械内部に格納していれば、そのナノマシンの力により素材を分解・加工して自分自身の材料にも出来る。これは自分で『餌』を食べて成長・再生する、生物のような振る舞いが可能になるという事。理論上は故障してもわざわざ工場に持ち込む必要はなく、素材と同じ元素の物質を与えれば『現場』で勝手に元通りとなるのだ。これまでの機械では出来ない、画期的なメリットである。

 このように素晴らしい技術であるが、現時点では欠点も多い。

 例えばナノマシンはあまりに小さく、蓄電池を持てるようなスペースがない。またろくな強度もない金属板など単純な構造物を作るなら兎も角、車やテレビなど複雑な製品を作るにはナノマシンの制御が必要であり、やはり小さなナノマシンには高度な制御コンピューターを搭載する余裕なんてない。外付けコンピューターで操作するにしても、ある程度現実的な速さで修復を行うには一度に数億機ものナノマシンを動かさねばならず、これらの制御処理を可能とするコンピューターは高性能な……大型にならざるを得ないのが実情だ。このため発電装置や大型コンピューターの近くでないとナノマシンがろくに活動出来ず、理論上可能にして最大の利点である自己修復が夢物語となっている。

 つまりナノマシン技術は未熟な状態なのだが、だからこそ発展の余地が大きい分野だ。そしてこの人型ロボットは、そのナノマシン技術発展のために作り出されたもの。

 大きな機体の中に、発電機と制御コンピューターを突っ込んだのだ。なんとも単純なやり方だが、これによりロボット自体が製造所となり、野外でのナノマシン活動が可能となる。

 このロボットの想定用途は、過酷な環境での長時間作業。例えば原発事故などで放射線量の高い場所では、ロボットも長くは活動出来ない。放射線が持つエネルギーにより、電子部品などが破壊されてしまうからだ。ナノマシンでこれらの損傷を修復出来れば、事故現場での長時間稼働が可能となるだろう。火災現場や化学事故現場など、人間が立ち入るには危険過ぎる環境に使えば、より安全で確実な救助が行える。

 尤も実用化した時にはもっと効率的な、節足動物や魚のような形となるだろう。従業員達が話していたように、今回人型なのは将来の顧客や一般人向けのプロモーションのためである。


「おっと、そろそろ実験が始まる頃か。さっさとこの荷物を運んで、従業員室に行こうぜ」


「おう。しっかしあの配管で良いのかねぇ……」


「課長は許可が出たって言ってたし、平気だろ」


 時間を確認し、二人の作業員は世間話を交わしながらいそいそとこの場を離れる。

 しばらくするとロボットが配置されている大部屋で赤色ランプが点灯。けたたましいサイレンも鳴り、この場からの退避がアナウンスされる。とはいえアナウンス時点でもう室内に作業員の姿はない。点呼などの漏れで、うっかりこの場に残ってしまった者への最後通知だ。

 尤も、そこまで危険な実験でもないのだが。ナノマシン技術は発展途上かつ理想には程遠い状態だが、既に工業的には実用化されたものである。不幸な事だが過去には事故も多数起きており、その分事故防止のマニュアルも豊富だ。この工場でも従業員に十分な教育を行い、事故防止に努めている。

 今回のロボットも、発電機と少し優秀なコンピューターを搭載した事以外は一般的な接客ロボットと大差ない。余程変な事をしない限り大事故なんて起こらない……これは驕りではなく、努力の賜物だ。現在この手の業種に関わる者なら、誰でもそう思う。


【C003号、起動します】


 実験開始を伝えるアナウンスが何処か事務的なのも、この実験が普段やっている新製品開発と大差ないから。

 何時もの業務と変わらない。この場にいる職員の誰もがそう考え、ロボットの起動ボタンが予定通りに押された。





























 西暦二〇四一年一月某日、東郷重工第三工場で大規模な爆発事故発生。

 これが人間の世界の終わり、『箱』の中から絶望が吹き出した瞬間である事を、まだ世界の誰一人として知らなかった。

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