第23話22 夜を征くのです! 少尉さん

 三人は草深い、夜の道を疾走する。

 国境のこの辺りは村も人影もなく、風だけが吹きすさぶ辛い旅路だった。アンの前後を2馬身ほど空けて、二人の将官が守ってくれている。

 アンは今夜の相棒である自分の馬に尋ねた。

「七十二号、私のこと覚えてる?」

 話しかけながら立髪をなでてやると、馬はぶるんと鼻を鳴らした。

「そう、ありがとう。あなたは私より目も鼻もいいはず。ごく最近、この道を馬や馬車が通った気配はあるかしら? ゆっくり探って教えてちょうだい」

 七十二号は小さくいななくと、しばらくだく足で進んだ。

「ケインさま、このまま真っ直ぐ北へ進んでください」

「わかりました。船でかなり北へと下ったので、かなり距離は稼げているはずなのですが、何かわかったら合図ができますか?」

「七十二号を先頭に立たせます」

 アンはそう答えた。馬を信頼しているのだ。

 三人は目立たない分厚く長いマントを羽織り、体を低くして進んだ。

 防寒のためもあるが、兵士たちは自動小銃を隠し、アンは女であることを隠す意味もある。前線はもっと南の方だが、もしかしたら斥候や、脱走兵がいるかもしれないのだ。用心はしすぎることはない。

 アンは出がけにケインから渡された短銃ピストルの重さを意識した。

 それは今、上着の深いポケットに入っている。撃ち方は後方の病院にいた時に習った。

 不安で不吉な重さ。

 どうかこれを使わずにすむことを祈るばかりだ。

 あたりは真の闇だった。

 灯りは先頭のケインが持つ、小さな電灯が、馬から離れた棒の先に吊るされている。万が一狙撃された時の用心である。

 二時間ほど進んだ時、七十二号が耳をぴんと立てて立ち止まった。

「七十二号? どうしたの? お腹が空いた?」

 茶色の雌馬は、藪と見分けがつかない、小さな草を踏みつけただけの道に入ろうとしている。

「ケイン様!」

 アンは思い切って、できるだけケインの七十二号を寄せながら小声でケインを呼んだ。彼はすぐに振り返り、七十二号が見つけた道を照らす。

 そこには道とも言えない、草を慣らしただけの空間が伸びていた。

「こんなところがあったのか。地図にも載ってない……草がぎ倒されている。草でわかりにくいが、確かにわだちの跡がある蹄の跡も」

「ケイン、わかるか?」

 マルクが用心深く絞ったランプで、うずくまるケインの手元を照らした。

「ああ。たくさんの馬が通ったようだが、この幅は農耕用の馬車ではないな……かなり深い。雑草が踏みつけられてちぎれている。重い荷物を積んでいるようだ。しかも、まだ新しい」

 ケインは地面を舐めるように入念に調べていた。

「間違いない。これはラジムの使節団のあとだ。二頭立ての馬車が一台。護衛は四人と言うところか」

「ケインさま!」

 アンが拾い上げたのは、何かの包み紙の切れ端だった。

「これは、チョコレートの包装紙……それもかなり上等なものだわ」

 アンは紙片にわずかに残った模様から、有名な高級菓子店のマークを見つけた。それは普通の兵士や一般庶民が、こんな辺鄙へんぴな場所で食べる品ではない。

「どうやら、馬車の中で携帯食を食べた折に、何かの拍子に包み紙が飛んだものでしょう」

「そのようです」

「アンお嬢さん、お手柄です! この先にきっと奴らはいる。この悪路だ、そう遠くへは行ってないはず。あなたはここから川岸まで引き返してください。マルクをつけますので」

「いいえ。これだけでは、まだだめです。せめて遠くからでも使節団の姿を見つけなければ!」

「お嬢さん、あなたがそんなことをする必要はない。ここからは兵士の仕事です」

 しかし、ケインの声は僅かに弱い。早期に見つけ出せる確信がないのだとアンは思った。そこがつけ入る隙だ。

「決してお邪魔にはならなりません。お願いです。もう少しお役に立たせてください。馬は基本群れをなす動物です。きっと仲間の元へ行こうとする。私は馬の様子でわかるのです」

「し、しかし……」

「時間が惜しいです。行きましょう!」

 これ以上反対される前に、七十二号にまたがってアンは進み出す。ケインもマルクもそれ以上は何も言わなかった。標的は確実に捉えるべきなのである。


 待っててください、少尉さん!

 私はあなたまで絶対にたどり着くわ!


 時刻は真夜中時過ぎと言ったところか。冬の夜はまだまだ長い。

 取り囲むのはアンたちを押し潰すような、曇った夜空と、冷え切った夜風、そして荒涼とした起伏の多い国境の闇だった。

 黙々と進むうちに、七十二号が鼻を鳴らし、足を早めた。

「近いようです!」

 細い道の両脇は斜面になっているので進むしかない。アンが馬の首に身を伏せながら神経を研ぎ澄ませた。

 不意に馬が棒立ちになる。

「何かが来ます!」

 アンが、二人に叫ぶのと同時に、何か大きなものが上から滑り落りてきた。


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