第22話21 絶対に見つけます! 少尉さん

 深更しんこう

 アンはケインと、もう一人の将校、マルクと共に密かに川を渡った。

 曇った夜なので、空も川も大地も黒いインクの中にいるような闇の中である。船でさえ黒く塗りつぶされている。

 川の向こうは、すでに二キロに渡って味方の占領地となっているが、安全が保障されたわけでも戦争がが終わったわけでもない。ここはまだ戦場なのだ。

危険なことには変わりはない。

 このまま統一王国軍がラジム領の中心に向かって進撃できればよいが、もしもここで新たな支援国が出てしまっては、一気に押し戻されてしまう。だから、なんとしてもラジムの放った使節を止めなくてはならないのだ。

 アンが乗り込んでいるのは、最新式の渡河船ではなく、一昔前の大きな渡し船だ。

 平らな作りで小さなエンジンがついているが、風の音に消されて音はそれほど響かない。馬も人数分積んでいる。操舵手はたった一人だ。川向こうの陣地を奪ったと言っても、大きな動力船では発見される可能性があるので最低限の装備だった。

 川は北西に向かって流れているから、渡るのはそれほど難儀な仕事ではないが、暗闇の中で大きな灯りがつけられないのと、船を着ける河岸の正確な見極めができないことが問題だった。

「それにしても馬が静かにしていますね。慣れない渡河でおびえられたら大変だと思ったのですが」

 ケインが感心したように言った。

「もしかして、アンお嬢さんをこんな危険な任務に就かせたのは、このためですか?」

「……そうかもしれません。私は馬の扱いに慣れていますので」

 アンは三頭の馬の間に立ち、常に励まし続けている。馬達は緊張しているようだが、怖がってはいないように見えた。

 アンの脳裏に父の言葉がよみがえる。


「敵の使節団は目立たないように民間の馬車を装っていくだろう。ただ、警備は厳重で、最新型の機銃を最低一台は積みこんでいるに違いない」

「でも、レイルダー少尉さんは一人」

「ああ。だから奴は一番効率的な場所から、奇襲をかけるつもりだろう。しかし、国境は広い。道もいくつかある。奴の能力をもってしても、使節団とうまく遭遇できないかもしれない」

「だから、馬の気配を察することができる私が必要なのですね」

「そうだ。だが、アンはそれをケインたちに伝えるだけでいい。馬車の位置がわかったら、ケインの指示で安全なところに夜明けまで隠れるんだ。夜が白み始めたら準備させておいた鳩を放ちなさい。すぐに支援部隊が出る手筈だ」

「わかりました」

「アン、これだけは約束してくれ。決して危険なことはするな」

 フリューゲル腕を伸ばしてアンの柔らかい手を握った。少し前までは小さくて白いだけだったその手は、今では薬品の染みがこびりつき、たくさんの切り傷まである。

「はい。もし戦闘になったら、私は足手まといになるだけですから」

 アンも父の手を握り返しながら答えた。それは昔と同じように大きくて温かい。人を守る手だった。

「すまぬ……結局お前を巻き込んでしまった」

 フリューゲルは疲れ切ったように枕に頭を埋めた。

「いいえ! 私はお父さまが、少尉さんをこんなに気にかけてくれているので、嬉しいです」

「……」

 しばらくフリューゲルは目を閉じていたが、再び話し出した。それは驚くべき言葉だった。

「あれはな……アン。我が息子も同然の男なのだ」

「ええ!? お父さま? それは?」

「あの男は十年前に私の命を救ってくれたのだ。まだ十五歳の少年の身で、負傷した私を背負って敵地を十キロも進んでくれた。しかも彼はラジムの傭兵だったのに」

「……」

「そして、奴は秘色の民だった。今まで言わなかったが、私とヴァッツライヒとは血のつながりがあるのだよ」

「し、親戚、と言うことですか?」

「血縁というにはかなり遠いが、故郷は同じだ。この国ではない、もっとずっと北の、秘色の民の住む小さな隠し村の一つだ。その場所は、もう失われてしまったが」

「隠し村……初めて聞きました」

「昔は秘色の民は迫害されることもあって、山間などに集まって身を守るようになった。だが、少人数では自然に村人に血のつながりができてしまい、中には人の身に過ぎる能力者もちらほら現れ始めた。これではいけないと、何十年か前から人々は村から離れ、自然に解体されたのだ」

「お父さまも?」

「そう。私も若くてな。出世を求めて村を去った。レイルダーはその村で生まれた最後の一人だ。その頃は生まれる子も少なくなっていて……だからよく覚えている。彼は非常に優れた感覚を持っていた。当時は繊細すぎていつも泣いている幼子だったが」

「……えっと」

 アンは泣いているレイルダーを想像しようと頑張ってみたが、どうしても無理だった。

「……その彼と再び戦場で出会ったのだ。私の驚きがわかるだろう?」

「少尉さんもお父さまのこと、覚えていましたか?」

「いいや。彼が小さい時に別れたきりだから。だが、彼はあの独特な感覚で私を同類と見抜き、助けてくれたのだ」

「だからお二人には特別なつながりがあったのですね」

「私はヴァッツライヒに教育を施し、養子になるようにと勧めたこともあった。しかし、彼は地位にも財にも興味を示さなかった。興味を示したのは……うう」

「お父さま!」

 フリューゲルは激しく顔をゆがめた。頭痛がぶり返して来たらしい。アンは急いで、鎮痛剤の入った吸い飲みを父の口にあてがう。

「話はわかりました。今日はもうお休みください」

「ア、アン。今夜の出立の前にもう一度お前に……」

「はい、準備が終わり次第ここにきます。だから今はお眠りください」

「すまない……」

 フリューゲルは眠りにおちながら呟いた。その額にアンはそっと唇を落としてささやく。

「大丈夫です。お父さま、私が愛するお二人のために、アンは最善を尽くしてまいります。必ず少尉さんをお助けしますわ」


 あれはつい昨日のことだ。

 話し終えた父は力を使い果たしたらしく、結局あの後も眠り続けて話はできなかった。

 アンは、ケイン達が立てた計画通り、夜になって川を渡った。

 そして今、つい最近まで敵地だった場所にアンは立っている。川岸にあけられた大きくえぐられた砲弾の跡が、臨時の船着場となった。

「お嬢さんのお陰で無事着岸できました。さぁ、船を降ります。足元に気をつけて」

「はい。大丈夫です。馬に捕まっていますから」

「ケイン殿。船は向こうの川沿いに隠してお帰りを待ちます。しらせがき次第すぐにお迎えにあがりますので、どうかご無事で!」

 そう言い残して操舵手は、再び暗い川面に消えていった。アンはそれを見送る。これでもいあとは進むしかない。

「合図があれば、いつでも来てくれます。アンお嬢さん、鳩は持っていますか?」

「はい」

 アンは小さな木箱を示した。それは背嚢リュックサックにくくり付けられている。鳩は眠っているのか、こそりとも音を立てなかった。

「先ずは馬が通った痕跡を探します。道は近いのですか?」

「この土手の上です。寒くはないですか?」

「寒いです。でも、平気です。さ、行こう!」

 アンは外套の前をかき合わせ、馬を励ました。馬は船から下りて安心したのかやる気を見せている。

「君に会えたのも、きっと偶然じゃないわ。七十二号!」

 それはかつて学園で練習した時に相棒だった雌馬だ。

 

 絶対に少尉さんを見つけてみせる!


 アンは暗い夜空を見上げた。

 夜は今から始まるのだ。


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