第11話10 初めての夜会です! 少尉さん

 そして、待ちあぐねたその日がやってくる。

 楽しみすぎて、でも少し怖くて。

 アンにとっては、待つという言葉の重みを生まれて初めて味わった数日間だった。

 一時間も前からアンはホールでそわそわしている。何度も鏡を見て、エレンに髪やスカートを直してもらった。その合間にはホールと部屋を行ったり来たりして、車よせに光が見えないか、何度も窓を覗き込んでいたのだ。

 そしてレイルダーは、きっかり時間通りにやってきた。


「こんばんは、アン」

「こっ! こんばんは! 少尉さん」

 入ってきたレイルダーの目がほんの僅かに細められたのは、多分ホールの灯りがまぶしかったせいだろう。

「……待たせちまったかい?」

「いえ、たった今ホールに下りてきたところです!」

 アンは後ろで控えているエレンに、絶対に後でからかわれると思いながら言った。

「綺麗にできたな」

「あ……ありがとうございます」

 毎度の美声と美貌に、アンの頬は燃え上がる。

 近衛の準正装をまとったレイルダーに、綺麗と言われて嬉しくない女の子はいないだろう。

 白い隊服に金色の装飾は、冠のような彼の金髪を目立たなくするどころか、かえって引き立てていた。アンはドレスの色を彼の色に揃えて良かったと心から思う。

 今夜のドレスは、秋にふさわしい小麦色の布地に、白い糸で細かい刺繍がしてあるものだった。ローレル商会の分厚い見本カタログの中から、布とデザインを母と相談しながら選んだものである。

 お揃いの靴も普段よりかかとが高くて、背の低いアンを少しだけレイルダーに近つけてくれている。

「暖かい色だ。アンの髪も瞳も服も」

 レイルダーは目を細めた。

「じゃあ、行くかい? アン」

「はい! 今夜はよろしくお願いします!」

 アンはいそいそと車に乗り込んだ。

「あの……少尉さん、途中、母の病院に寄っていただいてもいいですか?」

「え? ああ、そうだな。母上に見せないとな」

「はい」


『アン、アクセサリーはエレンに言って、私の宝石箱の中から好きなものを選んでつけていくのよ。あまり仰々しくないものがいいと思うけど。服に合わせてルビーか、それとも……』

『翡翠のがいいです! あの明るい色の! お母さま、持ってらしたでしょう?』

『え? ああ、あれね。でもちょっと、若い子には地味すぎないかしら?』

『あれがいいの! あの一揃いを貸してください!』

 それは小さな葉っぱが集まった、髪飾りとイヤリングとネックレスのセットだった。派手ではないが上品で、華奢な作りのものである。

 レイルダーの瞳の色に近い宝石。

「……そうね、いいわよ。ああ、楽しみね、アン。きっと秋の精のように見えるわ』

 カーマインは、美しく微笑んだ。もしかしたらアンの心中を察してくれたのかもしれない。


「まぁ! アン! よくきてくれたわ! 無理だと思っていたの!」

 特別病室によく通る声が響く。

「お母さま、どう?」

「とても綺麗よ! 思っていた通り、素晴らしく似合ってる。あなたもそう思うでしょ? ヴァッツライヒ」

 レイルダーが黙ってうなづく。

「もう! いつもながら愛想がないわねぇ、あなたは。アン、ちゃんとほめてもらったの?」

「はい、お母さま。ほめていただきました」

「それならよかったわ。ヴァッツライヒ、私の娘は素敵でしょう?」

「ああ」

 レイルダーの視線が母、カーマインに注がれる。

「……」

 アンはその場に流れる空気を感じている。こんなに傍にいるのに、この二人の間には、どうしても入っていけない疎外感があった。


 この二人の雰囲気はとても似ているわ。

 そして、お互いを酷く意識している。


 外見は全く違う美しい二人。

 しかし、それはまごうことなき確信だ。

「アン? どうかした?」

 母の紅玉の瞳が自分に注がれる。

「い、いえ、なんでも」

「そう? なら、もう行ってらっしゃい。目一杯楽しんでくるのよ」

「はい、行ってきます。ありがとうお母さま」

「ヴァッツライヒ、アンを頼むわね」

 カーマインの言葉にレイルダーはしっかりと頷いた。


 本当なら、お母さまと少尉さんが二人並ぶのが一番綺麗なんだろうなぁ。


 まだそれほど遅い時刻ではないのに、街は薄暮はくぼの雲に包まれ、もうじきやってくる冬の訪れを感じさせた。

「もうすぐ着く」

「あ……はい、すみません。ちょっと、ぼうっとしちゃってて」

 初めての助手席から見る、大通りはすっかり暮れて店の灯りで美しい。

「……お母さま、嬉しそうでした」

「……」

「あの、本当にありがとうございます。病院に寄ってくださって」

「アンの考えることは今夜のことだけでいい」

 ぽんと肩を叩かれる。

 自身なさげな自分を励ましてくれているのだと思ったアンは、勇気をふりしぼる。

「あの……少尉さん?」

「ん?」

「今夜だけは、ずっと私のそばにいてくださいますか?」


 お願い。

 私を見て、今夜だけでも。

 私だけを見つめてください。


「……いるよ」

 短い答えにアンは、ほっと肩を落とした。

「よかったです」

「なぜ?」

「だって、レイルダー少尉さんはいつも人気者だから」

「俺が、人気者?」

「ええ。学校でもよく話題になります」

 レイルダーはしばらく黙っていた。

「……それは知らないからだよ、俺がどんな人間か。だがアン」

「はい」

「そばにいるよ、君の望む限り。だから……顔を上げな」

「え?」

 

 あ……今夜はって、ことよね! びっくりしちゃった。私ったら!


「今夜はアンが主役だ。そう思って堂々とふるまえ」

 レイルダーがハンドルを右へと切る。正面に学園が見えた。煌々こうこうと灯りが灯っている。

「夜の学校なんて初めてです!」

 アンははしゃいで言った。車は速度を落として開け放たれた正門から校内に入っていく。

「やはりまだ、自動車は少ないですね。男の子達が喜んでいます」

 アンは軍人の娘なので見慣れているが、自動車は最先端の技術なのだ。

 運搬以外の車両は、軍と富裕層ぐらいしか所有していない。運転技術者もまだ限られていた。

「でも、アンは馬の方が好きだろ?」

「はい! 乗馬は唯一の取り柄です。あ! あの馬車、すごく良い馬が繋がれています! わぁ! 人がいっぱい!」

 見慣れた学舎はすっかり様子が変わっていた。

 普段は制服の生徒や黒服の教授ぐらいしか通らない前庭に、華やかな服装の老若男女が行き交っている。

「じゃあ、車を停めてくる。ここにいてくれ」

「はい。ホールでお待ちしております」

 夜は始まったばかりだった。


 

   *****



本当はパーティよりも夜会、という言葉の方が好きなんですが、私の妙なこだわりかと思って、初めてパーティという言葉を使いました。

せめてタイトルだけは夜会にしました。

難しいわぁ。

アンのドレスのイメージがツィッターにあります。

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