第10話 9 誰を好きでもいいんです 少尉さん

 それからのアンは、パーティのことで頭がいっぱいになった。

 授業中、先生にあてられて幾度も答えに詰まり、ひどい時にはあてられたことさえ気がつかない有様で、友達のソフィやローリエが心配したほどだ。

「ちょっと! 最近ひどいわよ、アン」

 学生食堂で向かい合わせに座ったソフィが、しかめ面をしている。

 ソフィは首都で衣料や布を商うモードント商会の一人娘だった。軍にもたくさんの物資を卸している。

 その隣のローリエの父、ハリスは薬学博士で薬問屋も営んでいる。また女子の高等教育の推奨者である。

 三人の前には湯気を立てているシチューが置かれていた。学生食堂の煮物は一度にたくさん作るため、熱くて美味しいのだ。

「ごめん、さっきは背中つついてくれてありがと。また失敗しちゃうところだった」

「いいけど……アンってば、もしかしてパーティのこと考えてるの?」

「うん、まぁ」

「あんなに出たくないって言ってたのに、何があったのよ」

「ま、まぁ……いろいろとね。お母さまも何事も経験だって言ってくれたし」

「ふぅん……で? 誰と行くの?」

「ぶはっ!」

 アンはシチューにむせた。

「ヨアキムに誘われてたでしょう? 彼と行くの?」

「いっ、行かないわ!」

 アンはぶんぶんと首を振った。

「あの人、いつもからかってくるんだもの。さすがに昔みたいに、あからさまじゃないけど。今回私を誘ったのだって、私の服とか髪をからかって楽しむために決まっているわ」

「まぁ、ちょっと水でも飲みなさいよ……それにしてもヨアキムも気の毒にねぇ」

 ローリエが感慨深げに言った。

「どう言う意味?」

 アンが水を飲む手を止めて尋ねる。

「ええ……わからないならいいわよ。私だってそこまで野暮じゃないし……で、じゃあヨアキムじゃないなら誰と行くの?」

「……お父様のお知り合いの方なんだけど……」

「フリューゲル様の? じゃあ、近衛の人?」

「……まぁ、そうなる……かな」

 アンは声が裏返らないように慎重に答えた。

「素敵じゃない!」

「近衛の方なんて憧れだわ!」

 ソフィとローリエが声をそろえた。

「……まぁ、お父さまの手前、お義理で申し出てくれたんだけどね」

「それでも、私たちの初めてのパーティなんだし、慣れた方にエスコートしてもらうのっていいじゃない。私の相手なんてお兄さまよ」

「ローリエのお兄さまだって素敵よ」

「私はお父さん。げっそりだわ」

 ソフィも続く。

「ソフィのお父様は、立派な布商人じゃない。この学校の制服も作っているわ。パーティのドレスだって、たくさん作ってる有名人じゃない」

「アンも注文してくれたの?」

「ええ。お母様が特別だからって、カタログを取り寄せて」

 ソフィもローリエも商人の家だが、フリューゲル家も貴族としては下級だから、アンは身分など気にしたことがない。二人ともアンの少ない大切な友人だった。

「よぅ。素敵な話をしているじゃないか」

 後ろから割り込んできたのは、ヨアキムだ。

「お前、パーティには行かないって断ったくせに、やっぱり行く気になったのか?」

「ええ……まぁ。お母様が最初のパーティは大切だって……それにお父様の部下の方が連れて行ってくれることになって……」

「ふぅん……興味がないって言ってたくせに」

 ヨアキムの下目づかいは割と迫力がある。

「最初は本当に行く気じゃなかったの。嘘じゃないわ、だって私は地味女で、くせっ毛で、あなただってクジで仕方なく誘ったのでしょ?」

 アンはかつての悪口を使って応戦した。

「別にいいさ、俺はお前じゃなくても構わないし。クジだって、ただのゲームだし。ああ、そうだ。お前、ちょっと来いよ」

「なんで? 今お昼ご飯食べてるんだけど」

「じゃあ、十分待ってやる。中庭の天使像のところだ」

 そういうと、ヨアキムはさっさと食堂を出て行った。

「え〜、嫌だって言おうとしたのに」

 アンはげっそりといったが、ソフィはぽんと肩を叩いた。

「いいじゃない、行っておあげなさいよ。別にとって食われたりしないわよ」

「でも、絶対嫌味言われるし」

「まぁ、でも聞いてあげたら? 私たちは教室で待ってるわ」

 思慮深いローレルまでもがそう言うので、アンは仕方なくまだ半分以上残っているシチューに手をつけた。


「お前、パーティにはあいつと行くんだろう?」

 冬薔薇に囲まれれた中庭の天使像は、微笑みながら二人を見下ろしている。

「あいつって?」

「あいつだよ。あの有名人! フュルーゲル閣下の側近の色男!」

「色男って……レイルダー少尉さんのことを言ってるの? うん、そう。両親に気を遣ってくださって誘ってくださったの。あの方はパーティに慣れてらっしゃるから」

「そうだ。わかっているじゃないか。あいつは慣れてんだよ。お前じゃ相手にもならない」

「そのくらい知ってるわ」

 底意地の悪いヨアキムに対し、我ながら平然と振る舞えている、とアンは自分を誉めた。


 そんなこと言われなくても、とっくに知ってる。

 少尉さんは私のこと、お世話になってる上官の娘としか思ってないもの。


「私は少尉さんに、お義理でエスコートしてもらうだけ」

「……あいつが好きなんだろう? あの時のお前の顔、はっきり覚えてるぜ」

「あの時?」

「ほら前に、馬で競争した帰り道、車中からあいつを見かけたろ? あの時お前すごい顔してた」

「……すごい顔?」

「ああ、すごい泣きそうな不細工な顔」

「ぶさいく」


 そっか。

 確かにお母さまと比べるまでもなく、ぶさいくだよね私。

 少尉さんの周りには綺麗な人がいっぱい。そして少尉さんが一番綺麗なんだもの。

 私のことは可愛がってくださるけど、それはいつまでも子どもだって思われてるからで。

だから、少尉さんが誰を好きでも、誰とお付き合いしても、私のことは見てはくれない。

 どんなに大好きでも、絶対振り向いてもらえない。

 でも……! 


「それのなにが悪いのよ!?」

 アンは言い放って一歩踏み出した。

「え」

「不細工だって、お義理だって、私が好きなんだからそれでいいのよ。私のことは私が考える。責めるのも、泣くのも私がする。あなたには関係ない」

「……っ!」

 思いがけない反撃にヨアキムは怯んだ。

「そんな話をするために、私を呼び出したの? あなたが私を嫌いなのはよくわかってるから、こんな話は無意味よ。じゃあ、午後の授業があるから!」

 言い放って、アンはヨアキムに背を向けた。涙目は見られたくなかった。

 天使像に背を向け、勢いだけで薔薇の中を歩いていく。

 立ち止まりたくはなかった。


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