(2)

 十二年前のあのとき、進は中学生だった。

 学校が終わり、家まで歩いて帰る途中だった。


 この神社の前を通りかかったところで、溌溂はつらつとした声が飛んできた。


「こんにちは!」


 見ると、鳥居の下にランドセルを背負った知らない子供がいた。

 その子の歳は、おそらくいま目の前にいる男の子と同じくらい。小学校低学年だろうと思われた。

 日焼けはしておらずかなり色白だったものの、子供らしく爽やかで元気な笑顔だった。


 進は、そのあいさつを無視してしまった。


 しばらく歩くとある信号。また次の信号。そのまた次の信号。

 立ち止まるたびに、頭と両肩が重たくなっていた。

 小さい子の気持ちを無下にしてしまった、自分への嫌悪感で。


 その日の夕食は、味がしなかった。




 翌日。進は通学のため、ふたたび神社の前の道を通った。

 ゆっくり歩いた。

 また会えたなら、今度はあいさつを返したかったから。そして勇気が出れば、一言謝りたかったから。


 彼には会えなかった。

 田舎とはいえ、子供は無数にいる。ふたたび会うのは簡単ではない。

 そう思いながらも、また次の日は期待をして歩いていた。


 翌週。その子の顔をもう一度見ることになった。

 テレビ画面越しに。

 たまたま観ていたローカル局の番組の、事故死のニュースで。


 神社の前の道で、神社とは反対の側に流れていた深い水路に転落したらしい。




 挽回のチャンスが永遠に失われて以来、進は一転、この道を避けるようになった。


 転落事故以来、幽霊がこの道に出るという噂が流れていたから、という理由からではなかった。

 この道をまた通ると、胸が締め付けられて苦しくなってしまいそうだったから、という理由が大きかった。


 高校に通うようになってからも、この道を避け続けた。

 大学進学にともない上京してからは年に数回帰省をしていたが、そのときも避け続けた。

 社会人になってからも同様だった。


 小学生のことも、いつのまにか苦手になっていた。

 声をかけられれば動悸どうきがして、自然に接することが難しくなっていった。




 なぜあのとき、あいさつを無視してしまったのか。


 想定外だったから。

 心の中で、そう言い訳することもあった。

 知らない子供からあいさつをされたのは、あれが初めての経験だった。

 単純に戸惑ってしまったのは確かだったし、本当に自分に対するあいさつなのか? と一瞬考えてしまったのも確かだった。

 だから仕方のない部分もあったのではないか、と。


 しかし、そのたびに思い出してしまうのだった。

 あいさつが返ってこないと悟ったのか、みるみるうちに曇っていった、あのときの子の表情を。

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