置いてけぼりの森 其の三

 状況を整理する。

 まず、昼が夜に様変わりした。

 三階から続く階段の空間が捻れ、同階に無理矢理くっついたような現象が起き、つまるところ出られない。携帯は圏外で、向かいの棟には明かり一つ灯らず、大声をあげたとて誰かが助けに来るとは思えない。そして五人中、二人が消えていなくなった。

「……」

 残された三人はそれぞれ口をつぐんだまま、椅子に座っている。だか、それも限界が来た。

「トイレ」

 仙台さんが我慢しきれない、という風に呟いた。

 東雲さんはうつむけていた顔を上げて、仙台さんを見る。

「……私も」

 のそりと立ち上がった二人が、じっとこちらを見る。いや待て。待て待て。

「一人にするのは、危険だから」

「そうそう。三人で行動しないと」

 東雲さんの意見に仙台さんがうんうんと頷く。

「一人で待っておきたい、ですが……」

 縋るような二人の視線が突き刺さる。

 うーむ。考え、ここに一人で残った時のリスクに行き着いた。

 確かに、二ノ宮さんの例もある。単独での行動は危険だし、廊下に出るのはなるべく多い方がいいだろう。

「わかりました」



 さっきはあまり気にならなかったが、廊下は部室と違ってひんやりした。身震いをしながら、二人の先を歩く。

「電気スイッチは、どこですかね」

 足元を照らすのは僅かな月明かりと、スマホのライト。しかしこの光量では、先に何かが潜んでいたとしてもわからない。

「……多分、電気は点かないんじゃないかな」

「どうしてそう思うんです」

「さっき、階段にいた時に階段の電灯スイッチを押してみたの。結果は同じだった」

 東雲さんがため息をつく。

 電気系統は駄目のようだ。じゃあどうして部室は電灯が点くのだろうか。少し気になったが「じゃあトイレも点かないじゃん……」仙台さんがかぼそく声を漏らしたことで思考は中断された。

「仕方ないでしょ。携帯の明かりで我慢しなきゃ」

「でも何かが個室にいたら? それはヤバい」

「……個室は二人で代り番こにしようか。一人を見張りにして……」

 東雲さんはそこで言葉を区切り、こちらを覗き込む。

「君はトイレの外で見張ってて」

 彼女はそう言って、にこりと微笑んだ。少し圧倒されながら「わかりました」答えると、丁度、無事にトイレの前に辿り着いた。

「じゃあ、お願い……。もし何か反応があったら教えて頂戴ね」

「はい」

 答えて、自分が右手に抱えたそれを見た。

 例のノート。部室から出る際に、思い付きで手に取った。仙台さんは嫌そうな顔をしたが、何かあったときのセンサーとして使えるのではないかと説明したところ渋々承諾した。

「最悪のことがあっても入ってきたら殺すからね」

「何もないことを期待しますね」

 こら、と東雲さんが仙台さんを軽く窘めた。その後、彼女を伴い東雲さんはトイレに入っていく。 その背中を見届け、ふう、と壁に背中を預けた。

 無意識に指先に力がこもる。


     ✕✕✕✕✕✕


     3


 宙に浮いたバスの中。残されたのはとうとう私だけとなってしまった。不安定なシートの上ではあるが、三角座りをして身を縮ませると少し気持ちが落ち着く。今のところ、空からヘリ音が聞こえたりはしない。木々のさざめきのみがひっきりなしに聞こえ、この静寂すらもうるさい位だ。なんとはなしに車内の隙間から下を覗けば、底は果てしない闇が広がっている。

 この視界の中で降りるのは無謀に等しい。

 せめて陽が昇れば。

 そんなことを考えていた時だった。

「  ぃ」

 蚊の鳴くような声。

 それが、下の方から聞こえた……気がした。

「だ、誰」

 声を張り上げてから、次は耳を澄ませる。木々のざわめきに乗じて「 すけて……」確かに聞こえた。

「どこ」

 窓から身を乗り出して、月明かりを頼りに声のした方を、下の方を見る。依然として闇が広がっている。でも、諦めずに目を凝らす。目を慣らせば、どこかに見つけられるはずだ。半ば盲目的にそう信じて「……いた」僅かに動く影を捉えた。その影は手を振って「ここ」と合図をする。

「その声は、嘉川かがわさん?」

 彼女は、こく、と頷いてこちらを見た。

 その学友は窓ガラスを突き破って落下したのだと思っていた。しかし、すんでのところで落ちきっていなかったようだ。木の枝にひっかかったまま、真っ逆さまの状態となっている。

「え」

 真っ逆さま。

「たす、けて」

 その頭上は、先述のとおり深い闇。それぞれの枝が耐えきれず折れた時、彼女の身体はどれ程滞空するのだろうか。そして、いや、その先は考えたくない。

「助けるからっ」

 しかし、ここからどうやって。私と彼女の間はざっと見積もっても五、六メートル。少なくとも枝をつたって助けに行くのは無茶だ。だったら。

「ロープの代わりになるもの」

 車内を見渡す。それらしいものは何も。いや、ある。窓際で揺らめくものがあった。カーテン。

「待ってて」

 嘉川さんは返事をせず、ただ私を見ている。頭に血が昇って、ぼうっとしているのかもしれない。どれくらいの時間、そうやって宙ぶらりんであったのだろうか。そもそも人間って頭に血が昇った状態で長時間いられるものなのか。

 何にせよ、早く助けるに越したことはない。

「よし」

 車内のカーテンを全て引きちぎった。焦りから来る震えのせいで、指先をうまく動かせない。それでもカーテンの端同士を固結びで繋ぎ合わせ、なんとか形にすることができた。

 こうしている間に彼女が落ちていたら。

 考えただけで身震いする。

 窓から身体を乗り出し下を見た。嘉川さんはさっきと同じ、逆さまのまま。ほうっと一安心する。「これを!」

 カーテンもといロープを垂らし、嘉川さんに掴むように促した。彼女は緩慢な動作で生地を握り、あうう、と声にもならない涙声を漏らす。

「今引き上げるから」

 気づけば私も目元が熱くなり、頬を涙がつたった。心細かったのもあるかもしれない。死体だらけの殺伐とした車内に耐えきれなかっただけかもしれない。

 私以外に生きている人がいる。

 それがひどく嬉しかった。

 この闇を差す光に感じた。

 絶対に助けるから。

「   くれ」

 何がが聞こえた。

「な、何か言った? 嘉川さん?」

 返事はない。ただ、少し変な感じがした。どこからか見張られているような。ふと顔を上げると、何かが近くの枝から下へ下ったように見えた。

 見間違いか。リスか何かの小動物だろうか。それとも、もっと別の……。

 ぶち。

「あっ」

 掴んでいたカーテンロープが、恐ろしいまでに軽くなった。さあっと血の気が引いて、窓辺に駆け寄る。

「嘉川さん!」

 しかし、彼女の姿はどこにもなかった。先の千切れた布切れが微風に揺れていて……それから、少しして、ぐしゃ、と、かすかに響く。


     ✕✕✕✕✕✕


 二ノ宮さんが神隠しに遭った後、部室でノートを見分した。

 各話は二章の「柘植野さんの死」から始まり、四章まで続いている。なお、この三章で描かれてあるのが、今思い返した「嘉川さんの死」だった。

 四章以降は「菊池君の章」、「二ノ宮さんの章」となり、それから先は空白の頁となっている。

 いずれの章も、ボールペンのようなインク字で書かれた手記のような文体ではあるが、よく見たところ四章以降は字体が異なる。

 「菊池君の章」も「二ノ宮さんの章」も、それぞれ別の人が書いたかのような文字で、止めや払いの癖も顕著に違いがある。

 そしてもう一つ不可思議なことがある。

 最初の頁が空白なのである。おそらく一章にあたる掌編がここに記されていたのだと思うが、飛び散ったインクや筆圧のみを残し、文字がまるっきり綺麗に無くなっている。

「……」

 法則性。その事を考えると、やはり何かを見落としている。でも、もうすぐで欠落した何かに辿り着きそうな予感も確かにある。だけど、そのためには覚悟が必要かもしれない。トイレ際の壁にもたれながらとある可能性を吟味していると「ピヨ」廊下の奥から聞こえてきた。

 あの鳴き声。

 近くに。

「   !」

 扉の奥から嗚咽が漏れた。

「まさか」

 扉を開き、中に飛び込んだ。スマホのライトが、個室の前でうずくまる人物を照らし出す。

「はぁっ、はぁっ」

 仙台さんは血の気が失せた顔色で、肩で息をしている。何が起きているのだ。困惑していると彼女はこちらに気付いたのか、泣きそうな目で「脚が!」と唸った。

「大丈夫ですか!」

 駆け寄ると仙台さんは「息が、苦しくて」と胸元をかきむしる。このままではまずい。傍らで立ち尽くしていた東雲さんに協力を仰ぎ、肩を担いで廊下まで彼女を運ぶ。

「何があったんですか!」

「急に、脚と胸が……!」

 最後まで言いきれず、くるじぃっ、仙台さんは途中で呻いた。見れば、玉のような汗が額から滲み出ている。

「とりあえず、部室まで……!」

 引き続き彼女の肩を担ぎ、部室を目指して廊下を進む。

 その最中、ぴく、と右手に抱えていたものが震えた。ノートだ。背表紙が、僅かに震動している

「何で」

 こんな時に。

 いや、何かが近付いているからこその異変なのだとしたら。そしてその異変はトイレで始まっていたとしたら。

「トイレで、何を見たんですか」

「何も、何も無かった……! 何も見なかった……!」

「だったらどうして、」

「わかるわけないじゃんかそんなの!」

「でもノートが」

 震えている。

 そう続けようとして、ばん、と突き飛ばされた。体勢が崩れあっけなく尻餅をつく。唖然として見上げると仙台さんが、きいっ、とこちらを睨み付けている。どうして。

「あんたがそんな物を持ってるから! 持ってきたから! 私は! 皆が!」

 見れば部室まで後少しまで来ていたが、仙台さんは東雲さんの腕を掴んでさっと中に入る。立ち上がると同時に扉は閉められ、取っ手を引いても開かない。

「まっ、待って! 入れてください!」

「嫌! どっかに行って!」

「何かおかしいんですって!」

「やっぱりあんたは信用できない!」

 扉の真裏で仙台さんはこちらを拒み続ける。

 ただまだ少し躊躇いがあるのか、錠の落ちる音が聞こえない。これなら説得の余地が……。

 ペラ。

 頁を繰る音。

 ぎょっとして、その方向にスマホのライトを向ける。突き飛ばされた際に落とした例のノートが、またひとりでに開いている。


     ✕✕✕✕✕✕


 彼女が私の腕を掴み、廊下から部室に入った。

 掌から伝わるのは、忘れていた人肌の温かみ。そして、懐かしい電気の明かり。


     ✕✕✕✕✕✕


 ノートに浮かび上がったボールペン字。それを読んだところで

「ちょっと」

 横から声をかけられ、固まった。

 そこに、東雲さんがいる。彼女は「いきなり一人にしないでよ」とむっとした顔でこちらを睨んでいる。

 意味がわからない。

 どうして彼女がここにいる。

 いつの間に廊下に出たのだ。

「個室の外で騒がしかったけど、声をかけても誰も反応しないしさ」

「どういうこと、でしょうか」

「だから、トイレで一人にしないでって話! ていうか、仙台さんは? 何で扉は締まってるの?」「っ!」

 途端、声が喉元で詰まった。東雲さんを無視し、身を翻して再度扉を叩く。表面のアルミ板がへこむ程に強く。


     ✕✕✕✕✕✕


「構わないで! あっちに行ってよ」

 廊下の向こうへ、彼女は怒鳴り付ける。

 ただ、扉を押さえる割に錠を落とさないのはまだその顔に迷いが浮かんでいるからか。


     ✕✕✕✕✕✕


「仙台さん! そこにいるのは、一緒にいるのは、東雲さんじゃない! ノートが!」


     ✕✕✕✕✕✕


「はぁ? 意味わかんない! 部長はここに」

 いる。

 彼女はそう言いかけて、何かに気づいたように動きが止まった。そして、おそるおそるという風に私を見る。

 見つめ返すと「ひっ」その瞳に怯えが浮かんだ。


     ✕✕✕✕✕✕


「きゃあああああああああああ!」

 悲鳴が響き、扉が軽くなった。

 押し入る。

「仙台さん!」

 呼び掛けには誰も応じない。

 整然と並べられた机。そこに置かれた菊池君の鞄。文集ばかり詰まった本棚。さっきまで見た光景が当たり前のようにそこにある。そしてその静けさに、ぞっとする。

「……っ!」

 事態を察したのか、東雲さんの顔から血の気が引いた。ここに残されたのはこの二人だ。他の三人は戻って来るのか? 答えは誰も知らない。

「私のせいだ」

 うつむきながら、東雲さんが小さくこぼす。

「私が皆と、遊んでた、から……さっさと掃除を終わらせてたら」

 ぽた、と床に滴が落ちる。顔はよく見えないが、鼻声で、泣いているようだ。しかしこちらは部員でもなければ知った仲でもない。どう声をかけたら良いものかわからず、近くの椅子に落ち着きなく座る。

 机に肘をついて、廊下を見やる。

 ノートが、開いたまま床に落ちている。

「まだだ……」

「……何が?」

 泣き腫らした顔がこちらを見上げる。

 とりあえず、そばにあった箱ティッシュを手渡した。

「……あのノートです。まだいくつか気になるところがある」

「で、でも、あれを読み進めると良くないんじゃ……次は、私かもしれないし、君かもしれない」「その点ですが、『順番』はもしかしたら決まっていたのかもしれません」

「どういう、ことですか」

 椅子から立ち上がり、廊下に出た。ノートを拾い上げ、頁を繰る。

「あの、何を」

 東雲さんは不安げにこちらを見る。構わず頁を繰り続け「……やっぱり」気になっていた頁に行き着いた。

 開いた頁を彼女に見せる。東雲さんは「はぁ」よくわからない、という風に首を傾げたが、確かに無理もない。

「空白……?」

「元々じゃないんです。この頁には『柘植野さんの死』が書かれていました」

 二章にあたる頁。

 それが、一章と同じように、乱雑に消されている。これがどういうことかを考え、その可能性が浮かび上がった。

「それって」

 東雲さんが言いかけた。考え付いた先は同じであるかのように、そして、その難問について答え合わせをしたいという風に瞳に光が宿る。しかし、しっ、と人差し指を口元に寄せる。

「今から」

 続きを制した代わりに、一つ要望した。

「過去の部誌を見せて欲しいんです」

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