第18話 父親と娘

 理事長室の前に初めて着くが、ここは学校なのか?と疑ってしまうほどにシンと静まり返っており、学校側のお膳立てが見え透いている。


 理事長室の30mほど手前には、放送室がありそこで先程まで校内放送……俺達のクラスだけ放送したのだとすると……もうすでに戻っている頃合いだろうな。


 4組生徒達とその仲間は理事長室にノックをせずにその場で立ち止まっていた。千明が自分の抱えている矛盾と対峙している最中だからだ。


「ねぇ、みんな」こちらを振り返らず一番前にいる女の子が呼びかける。俺達の視線は、ドアから千明に寄せられる。


「僕とあの人の答え合わせ………違うね………2人の決別を見守ってくれるかい?」その言葉に止まっていた心が少しずつ揺れる。だから、言ったんだ。


「カッコつけんな。早くしろ!..........見守るから」俺の言葉は彼女に何ら波風を立てないだろう。彼女はふふっと笑った後、ノックを軽くして『はい』と返事がすると全員で足を踏み入れた。


 理事長室には慣れたものだ。だからか、緊張するなんて最初から無かったかのようにその場に立つことができた。目の前には理事長が特注の豪華な革椅子の肘付きに両腕を置かず、いつも通り僕たちから見えないが、太ももの上に手を置いて、こちらを見ていた。


「始めようか。今回の課題の決算を………では、明智真奈、徳橋千明はそこへ腰掛けなさい。他は私の左手にあるソファーに」僕と真奈君は理事長の真正面に座り、他の3人は僕たち理事長を含めた3人の顔が見える大きめのソファーに座り込む。


 それを見計らい『さて』と口にして話し始める。

「君たちの選択を終始見守っていた。明智家のメイドである明智真奈がこととなった」理事長なりの気遣い的表現だろうか?なんて思わない。おそらく、本心だろう。理事長は昔から気遣いを人一倍せずに人と接していたから。


「そして、徳橋千明が去る決断をしなかったわけだが、既に君達がなぜこの選択をしたか理解しているから話さなくていい。よって、次の議題に移る」淀みなく口が動いていくので僕は、少し横槍を入れる。


「待ってもらっていいですか?理事長」手を挙げるのでは間に合わないと思い許可されてもいないのに話し始める。顎でほいっと僕に向けてくるので『ありがとうございます』と言って続ける。


「僕の過去を話すおつもりだと思いますが、みんなもココで聞くのですか?」僕が質問することなどお見通しかのように『そうだ。それだけか?』とすぐさま聞いてくる。僕は戦いに来たわけではない。だから、『はい』と答えた。


 僕は、不要な一言だったかな?なんて思わなかったがそれに応えるように理事長が言葉を紡ぐ。


「………自分の過去を知る。それは時として未来よりも怖い」理事長は机に肘を乗せて両手を組みながら話し出す。僕が心の何処かで不安に思えていたことだった。


「過去を知れば、今後の自分が。この世を生きていく姿さえも変わりそうで。………だが、千明これだけは覚えてほしい」


 腰を上げてこちらのソファーの前に来て、僕の目の前で膝を床に突きしゃがみ込んで僕の目をしっかりと見てくれる。僕は、『へっ!?』と心の中で今ある現状を理解しきれていなかったけれど………今の理事長を見ることとした。




「君の過去がどんなに辛かろうとも、私は千明と共に明日を、歩んでいきたい」




 僕の恩人は今までそんな温かみのある言葉を投げかけた事は無かった。

 違うね。

 不器用だったんだ、この人。

 知ってたのに、僕と同じく不器用すぎるって知っていたのに。

 それを僕が汲み取れなかったんだ。

 違うね。

 気恥ずかしかったんだろう。

 この人が僕を心配しているって思う事を。

 心のどこかでこの人は僕を強くさせようとしているんだって勘違いをし続けてたんだ。

 みんな僕と一緒に歩いてくれていたんだ。

 だけど、僕がみんなから馬鹿みたいに逃げて、1人で歩いたんだ。

 横にはいつも大切な人がいたんだ。

 過去を知らないのに一緒に歩いてくれる友人。

 過去を知っているのに歩いてくれる恩人。

 僕のガキみたいな意地のせいで自分の世界を、明日を、真っ暗に閉ざしていたんだな。



「_____________ありがとう、お父さん」



 ココで堪えれるずに泣いてしまうのが可愛い女の子なんだろうね。

 だけど僕は泣かなかった。


 だって、僕の憧れる人は、シンデレラや白馬の王子様を待ち続ける可愛らしい乙女ではない。


 まるで染めたように白髪で髪の毛一つ黒くなくて、悪役見たく目が鋭くて、自分ではカッコイイと思っている黒のスーツと紫のシャツに黒光のネクタイを締め、デスクの上や本棚や大切な時だけにつける腕時計を毎日手入れしてるほど几帳面。


 そんな誰もが憧れる……とは程遠い存在の___________お父さんだったから。


 僕は背中を少しだけ曲げて、震えていた父親の両手をそっと握った。

 自分が無意識に作り上げてしまった矛盾の牙城が少しずつ崩れ去っていく音が僕の心中で染み渡っていく。その崩れ方はガタガタドシャんではなく、まるで砂が風に吹かれて流されるようにサーと優しいものだった。


「お父さんの手って小さいんだね」


 昔からお父さんは私と話す時はいつだって椅子に座っていることが多かった。それは、自分の身長にコンプレックスがあるからだと心の中で思っていた。

 だけど違ったんだね。


 僕に対しても矛盾を感じて手が震えていたんだね。

 だから、隠そうと手を近くで見せなかったんだね。

 人が一番動く箇所である手を、人は見る頻度が高くなるから。


「お前の手は、とても大きく感じる」離れ離れになっていた双子と再開したかのようにお互いはニッと似た笑顔が生まれる。



「____ゴホンゴホン!!」感動親子物語に水を差すのはやはりあの子憎たらしい男だった。


「え〜〜。3分そうしている所悪いですが、本題に戻りましょう。3分が人の待てる限界とカップラーメンさんも言ってますから」どうやら短い時間だと思ったがかなり長いこと手を握っていたようだ。


 それを聞き私から手を離そうと思ったが、お父さんから手を離すので『あっ』と声が漏れる。


 そしたら、ムカつくことにあの子達がププっと笑い声を漏らすので、帰ったらあの男だけにケリを3分ほどお見舞いさせてやろうと心に決める。




 2人が席に座ると理事長が『再開する』と言い、震えなくなった手を肘掛けの先端を握り、落ち着いたハスキーな声で言葉を紡ぐ。


「徳橋千明の過去を話すとしよう。その前に事前知識だが、千明は捨て子だった。捨てられてしまったのは、3歳。道玄坂薫子どうげんざかかおるこが見つけた時には、周りには誰もおらず、髪の毛はクシャクシャで何度も頭を引っ掻いた跡があり、青のTシャツに黒のズボンを履いているが生乾きの状態で千明はしゃがみ込んでいた」


あの人の名前が出てピクんと俺たちは反応していた。どうやらそれを汲み取ってか言及してくれる。


「お前達は、道玄坂薫子に拾われた。私が拾ったのでもなければお前達の主人が拾ったわけでもない。無論だが、道玄坂の娘は違うがな」望に言っているのだろうが、望を見ずに淡々と話を戻す。


「千明が捨てられた場所は、東京都。と言っても東京の西側で過疎化が進んでいる集落の橋の上だった。私も行ったことがあるが、足元は橋だというのに砂や岩がゴロゴロと落ちており、橋は赤黒くてところどころが錆び付いている。橋から視線をズラすと下には30mほどの川が勢いよく流れ、橋の周りには木々と家々が点々と存在するも人の気配が無いほどまでに荒れ果てている」


これが過去の話というのか?と不思議に思ったが口を再度開くのでどうやらまだ続くようだ。


「ここへ来るためには一本の幹線道路から抜けてくる必要がある。そして、そこから橋までは10kmほどある。当時はここまで歩いてきたのかと思ったが、靴底があまり擦り減っておらずここに置きさられたことを念頭に置くと、その道へ入る監視カメラからナンバーと車種を割り出し、道玄坂家の財力と人脈を総動員させ、身元を特定したのは、道玄坂薫子が千明を見つけてから1ヶ月後のことだ」


 千明はその情景を頭の中で浮かばされているのだろう、瞼を閉じながら聞いていた。記憶の断片がゆっくりとパズルのように合わさっていったのかフッと千明は笑った。


「確かにそんな感じだったな。だけど、やっぱ両親の顔なんてちっとも思い出せない、や」俺たちに話しかけているのでは無いだろう、自分自身を整理する意味で無意識に呟いている。



「その両親のことについて話すが心の準備はできているか?_____千明」



 自分を見つめ直している中でこれを聞いている。

 ココでどちらの決断をするにしても最良の選択だった思うだろうか?

 これを逃せば次のチャンスは再来するだろうか?

 両親を知って何になる?

 頭を悩ますほどに出てくる疑問符はニョキニョキと顔を出して選択する事を躊躇してしまうだろう。


 そんな俺の勝手な想像が邪で浅はかであったと、吹き飛ばしてしまうほど強い声が千明から発される。



「もちろん!!過去を受け入れて、これ以上に僕は、強くなるからっ!!」



 俺が千明の立場だったら、彼女のように即決できるだろうか?


 過去を知りたいと思うだろうか?


 願っているだろうか?


 …まだ、俺が過去を知りたいか?と言う質問には当分答えが出そうに無い。



「………では話すとしようか」経緯を整理するかのように一息置いて語り出した。「千明が3歳の当時、父親18歳、母親15歳と若い年齢でお前を産んでいる」千明の方を確かめるように理事長が見るも頷くので続ける。


「当時2人は、中学時代から仲睦まじく交際しており、母親が高校に入って間も無くして千明を授かった。両家の両親からは猛反発を受けるも愛し合った2人は我が子を産む事を決意した。生憎、両家からの支援を募ることが出来るほど裕福な家庭環境ではなく、父親は高校を卒業するまでバイトを学校で内緒にしてだが明け暮れた。母親は高校生活を暮らしながら育児をすることも当然できなかったため高校を辞め、就職することに」


 今の話を聞くだけでかなり衝撃的な事実が明かされるが、千明の表情は変わらず、『何のお仕事をしてたのですか?』と問いかける。


「………当時、父親は都内では偏差値の高い高校へ通っていたため名のある会社のホワイカラーの事務職に就くことができたが、母親の方はやはり中卒なため恵まれた職には就けずスーパーのパートとして働く」


その話を聞く限り、経済的に厳しいものもあるだろうが、千明を捨てることにはなりそうに無いように思うが………ここから何かが起きたのだろう。


「そっか。頭良かったんだ、私の両親。ふふっ」強がって笑っているようには思えない。


「だが、事件が起きた。父親の働いていた会社が不況の煽りを受け、倒産。必死で就職活動を励むも不況の影響か以前ほどの高条件は見つからず、困窮した毎日を送る。そこで彼らは自分の我が子を置き去りにした」


 何故、そんな誤った選択をしてしまったのだろう?


 我が子を愛し、産んだ結果が、このような結末では可哀想ではないか。


 だが、それは第三者の意見に他ならない。


 きっと千明の両親も踠きもがき苦しんだのだろうな。



 ……でも………でもさ、やっぱ許せねぇや。



「………………そっか。………それで、2人は元気にしてる?」2人の心配をするあたり負の感情は持っていないのか。


「あぁ。捨てた直後は、2人とも精神鑑定を受けるほど意気消沈していたようだが、5年後には社会復帰をしている。今も貧しくはあるかもしれないが、のんびり過ごしている」


 おそらく、後悔をして何度も千明を捨てた場所を確認しただろう。だけど、その場所に当然いない。そのことが寝てる度に呼び起こされるように耳元を囁いたのだろうか、悲しく・辛い言葉を。


 もしかすると、暫くして警察に行方不明を相談しても取り合ってくれなかっただろうな。道玄坂家がその件を伏せる様に御達しを出しただろうから。そして、その5年後に道玄坂家が千明が生きている事実でも伝えたのだろうか?真実は分からないが、今の話を聞いた上での推理だ。当然、死亡扱いにされているだろうな。おそらく俺たちもその様な形で戸籍上では死亡扱いになっているかもな。


「今の話を聞くとシェイクスピアの『罪と罰』を思い出させるね。罪を背負った両親達の罰は多分、一生終わらないんだと思う。だけど________」


 彼女の声は清らかで透き通っている。そんな声で『今の私だから言える事だと思うけれど』と声に出してさらに続ける。



「幸せになってほしいな」



 その言葉に全身がぞわぞわと波を打った。


 今の自分では考えられない彼女の中にある答えだった。


 自分を捨てた両親に向けた言葉のはずなのに深く考えさせられる。


 そして、千明はにこっと笑顔になるのを見て、俺たちの暗かった表情が次第に明るくなっていく。


 彼女には、見えた景色を見る時が来るのだろうか?なんて柄にもない空想に耽ってしまう。


「理事長、ありがとうございます」

「…………千明…」


「なーに、暗い顔してるんですか。いつも見たく輩の様な顔つきに戻ってくださいよ」調子のいい事をあれ程までに怯えていた理事長に向かって言い出す。もう、2人の溝は…………。


「過去の話はここまでだが、次にこう言った過去チャンが出た時はもし、千明がそれを手に入れた時は、両親に会える特権が付与される。もちろん、会うも会わないも千明次第だが」


 理事長が軽口を無視するのは俺限定だけではない様でホッと一安心する。それに『過去チャン』と言ってるあたり千明を見守ってたんだろうな。きっと一番誰よりも心配をしていたんだろうな、本当の父親以上に。


「…………会う気は起きないかな、今の所。両親に会えなくともお父さんは近くにいるから」その言葉を聞き、顔色を曇らせる理事長。


 どうやら……その選択を最初から決めていたのかと理解する。

 それと同時に、俺の最後のピースがガッチリと嵌まる。

 やはり、あんたは………あの時から。


「どうしたの?お父さん」嫌な予感を察知したのだろうか。彼女は咄嗟に前屈みになり。他のみんなも視線は2人に集まる。その千明の問いには答えず、真奈に視線を移し、言葉を紡ぐ。


「明智真奈」


「はい!」座りながら姿勢を正し、理事長に緊張しながら言葉を待つ。



「君を当校の学生として受け入れる」



 無数の水滴が車のガラスにポタポタとくっつき、変な線を描きながら水滴が滴り落ちたあの日。理事長に話を持ち掛けていた時のことを思い出していた。


「理事長、そこで提案なのですが、真奈をあの高校に置いてくれませんか?」その言葉を聞き、プイっと俺に向けたハンサムな顔を引っ込めた。


「どう言うことだ?」ルームミラー越しにこちらを見ながら説明を求めてくる。


「そのままの意味です。真奈は通信高校に通っているので、時が来た時に俺たちの高校に通わせてほしいんです」時とは、何のことを指しているのか。言わなくてもいいだろうから、敢えてはぐらかす。はぐらかしつつ、相手をこっちのペースに引き込むのもナンパ師の基本の『き』だからな。


「何か君は、私を勘違いしている様だ。それを君に指図されて私が従うとでも?」

「いえ。勘違いをしているのは理事長も同じことかと」いつものウザったらしい語り口にしてみる。


 このエラい嫌われ様な返し方はどうやら千明パパも同じ様で口角がピクッと動き、目を左下に伏せて鏡に映った俺ではなく、実際にいる俺に向けて話し出す。


「面倒な言い回しはよそう。明智真奈が当校へ転入を希望してた時にどう対処するかはこの課題が始まった時から既に考えている。だから、私がYESやNOの立場かを今、言及しない。」そう言うと、俺近くのドアがゆっくりパカっと開く。


 俺の返しを真似てくるあたり千明に似て意地っ張りのようだ。だから、俺もその言葉に乗って、開いたドアを閉めてもう片方のドアを開ける。


「こっちに可愛い女の子がいる様なので。可愛い子に近づく、ナンパ師の基本です」そう言い、車から出てドアを閉めると、5秒ほど停まっていた後、車を出して去っていった。




「えっ!?.......失礼しました。ほ、本当でございますか!?」目をまん丸にし、潤んだ瞳を輝かせて聞き返す。


「本当だ。これは理事長権限で許可する。今後君は、当校の生徒であり、君が既に出していた転入届は受理した。決裁が私の元に届いていたからな、その時、既に押印し、手続きを済ませた。準備が出来次第、登校してきなさい。通信高校にはその旨を連絡済みだ」


 本来なら、会議を開いた上での決裁だろうが、そのことを学校全体に周知していたのだろうな。

 もしかすると、伊能先生は知っていた?知っておきながら………うむ、やはり怖い、年上の女性は。


「あっ、ありがとうございます」


 立ち上がって綺麗なお辞儀をして俺の方に寄ってしゃがみ込み、両手を包み込むように握り、『学校生活一緒にまたできます!』とパッと花が咲いた様に綺麗な顔を見せてくれる。


 俺は、その手をそっと離すとキョトンとした顔になるので、右手を差し出し、左手を添えてくれるので一緒に立つ。


 そして、決別する2人を見る。

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