第15話 奏でる音楽は

「おい、望君早くしろっ、もういくよぉ」ジャムパンをモグモグと咥え、牛乳を飲もうとしている望の左肩を握り急かす。

「なんだお前、最近気持ち悪いぞっ。先に行けばいいだろっ」左肩から右手を引き剥がし、ウザったらしいと言った表情でセリフを吐く。


「ダメだっ!.........みんなで行かないと」冷蔵庫から牛乳パックを手に取って望に渡してジャムパンを咥えさせたまま立ち上がらせる。おい、そのまま学校に行ったら俺と道の角っこでぶつかって恋に発展するぞ!.......というより俺が怪我に発展するか。なんちって。


「もう、うっさいな。分かったから」渋々ながら千明の真剣さに当てられて了承した様に玄関の方へと歩いていくので俺と芹香と胡桃は先に玄関口まで行き、靴を履き、他2人が履き終えるのを待つ。最近、先に出ていくと怒られるからな。だからそうしている。


 望がローファーに履き替えようとするとジャムパンが俺のズボンに付きそうになるのでジャムを少し取ると俺を『ふん!』と望が睨むが俺は知ったことかとジャムを舐める。


「じゃあ、行ってくるね。真奈君」

「はい、行ってらっしゃい、皆様」その後他4人は『行ってきます』と各々行って出ていった。まぁ、望に限っては口が塞がっているので右手を上げるだけだったけど。


 今日の天気は、晴れ!晴天!!ってこともなく、雨でもなく、まだ雲だった。その雲は辺りを暗く覆ったでもなく、純白の雲が世界を包み込んでいた。


「やっぱ天気予報通り、明日ラストの4月30日も雲なのかなぁ〜」胡桃が広々とした雲を目掛けてそう呟いた。

「本来なら、今日も明日も雨だったから。いいんじゃない」


 この1週間は千明との一件以降、春時雨であった。天気予報では激しい雨風になるとされていたが、そうはならなかった。やはり、未来を予想するなんてのは誰にでもできることではないらしいな。過去のデータも過去でしかない。


「で、明日のすけじゅるどうなてんの?」とジャムパンを器用に食べながら歩いている。行儀は悪すぎるが、ここで注意をする前にもうすぐ食べ終わりそうだから、黙っておこう。ジャムを口に付けた子は牛乳パックをちゅるちゅると飲みながら俺たちを見る。


「明日は、いつも通り学校に行って、1限目に伊能先生と真奈さんが来て投票に移るそうよ。それ以降の流れは当日に教えるって昨日先生がおっしゃてたでしょ?」当然その時の朝の会で一番前に座っていた望は寝ていたからな。


「へぇ〜。明日はそんな感じかぁ〜。意外に早かったな、4月は」牛乳パックを少しずつ凹ませながらまた吸っている。


「そうね。……たくさんあったわね」芹香は眼前に広がる広大な空を見上げる。


「なんかエンディングに入ろうとしてないか?」少し冷やっとしたため俺がエンドロールを巻き戻して再開させる。『ちっ』と芹香がこのまま日常パートを続けたそうに睨んでくる。だが、ずっと日常は来ない。


 人は、将来を予想するときにこれ以上自分の人生は波瀾万丈ではないと大抵考える。だけど、そんな日常を描けるのは、既に社会生活から身を引いた人ぐらいにしか訪れない。


 もしかしたら、そう言った人にも日常が突如として失われることだってあるかも知れない。俺たちは、その日常が終わるのを見届ける覚悟を持って毎日を過ごす必要がある。


 どんな結果のエンドロールを迎えたとしても。ピリオドが打たれたとしてもその先の物語を紡いで欲しい。


「こうして5人で歩くと心地がいいね」千明が最近それを口遊んでいる。今、彼女はどう思っているのかなんて、明日がくれば分かることだ。


「そうだね。また、みんなでショッピングに行けばいいんだよ。そしたら6人」胡桃が明日の事なんて気にしていないかの様にそう言葉にする。ショッピングか懐かしいな………ってあれ。


「ショッピングで買った春色のトップス着たの見た事ないんだが?」前に胡桃に選んだのだが……着てみたら似合わなかったのかな。

「あぁ〜、あれは部屋着にしてる。好きな色だし、ストレッチ性があるからね」

「それ俺に見せてくれないのか?」不安になりながら胡桃を見るも『へへへっ』て笑いながら周りを見回したため俺が針の筵だということに気付かされる。


「へぇ〜、胡桃さんの服選んであげたんだ?」

「えっと、2択を迫られたからな?だから答えたんだ」

「僕と芹香君にはファッションショップの時に話しかけて気すらしなかったよね」なぜか不機嫌になっているが、胡桃に関しても俺から話しかけてはいないのだけどな。女子とは服の事は自分で決めたいと思う気がするから。


「そりゃ、服のセンスが光る御二方には私のセンスでは一考の余地もないと思いましたので、えぇ」機嫌を取ろうとゴマスリの手をしてみたが、どうやらそういうことでは無いらしい。

「もういいよ。この人は女心が分からないだろうから、一生。諦めよう、芹香君」千明が芹香の顔を見て溜め息混じりにそう問いかけると『そうね、彼が努力家タイプだということを切に信じましょ』と答え、2人は先頭を歩いていく。


「ねぇ、私、前に言ったよね?」俺の肩をツンツンと人差し指で何度か触れてくる。俺を生きているか確認している訳では無いよな?確かに今ので俺の胸が抉られてライフが残り1だけど。


「ん?」

って。これは、女の子なら絶対に知りたい情報だと思うんだけどなぁ〜。勿論、明智君以外の子がいたら、その男の子に聞くけど、今は当然そんなカッコイイ人はいないから、止むを得ずだよ」やれやれって表情を浮かべながらそう説いてくる。


 なるほど。俺のセンスを見込んで聞いている訳では無いわけか。俺も確かに女子が好きな男性のタイプだの髪型だの仕草だのを聞きたくなるのは言われてみればであるな。その事を失念していた。


「カッコイイの称号を俺から剥奪しなくてイイのだけど?」

「奪わずとも最初から無かった事に気づくイイキッカケになれたね」目を細めてニコッと笑顔を輝かせている。


「なんか、胡桃が前の2人の返し方に似てきて少し複雑。胡桃はもっと馬鹿っぽい返し方でいいんだけどな」仏頂面になってしまったが、その表情も可愛らしいのでこのままにしておこうと俺たちは歩き出した。いつもの学校へ。



 今日のみんなは穏やかに悠々と日常を過ごしていた。

 この1年4組以外の学生は今起こっているこの過去チャンを知らずに学校生活を営んでいるだろう。

 だが、それは俺たちも同じ事なんだ。他のクラスの学生たちも不安や心配事を日々抱えながら葛藤しながら日常を過ごしている。

 それを今の皆なら理解できている様に感じる。


 私だけが……僕だけが……俺だけが……なんて傲慢に感じていないだろう。

 そうする事によって見えてくる景色を思い浮かべながら、またもやあの人に呼ばれたので旧音楽室に向かっている。


 先ほど、千明に帰る間際の教室で俺がその事を伝えると『なんで?死に急ぎたいの?』と真顔で怖いことを言ってくるが『級長関係の仕事だから、すまない』と謝ると『ほんと?』と疑惑の目だったが、渋々4人で帰ってくれた。



 そんな旧音楽室に行く道中に窓から彼女たち4人が楽しそうに歩いていたので心がざわつく。俺も一緒に帰りたかったなと。


 旧音楽室の前の廊下には、静寂があった。てっきり意味ありげなベートーヴェンの交響曲第5番、『運命』らへんを弾いているのかと思ったが、どうやらそうじゃないらしい。


 音楽室のドアをガラッと開けるとピアノの鍵盤に触れているのが分かるが何も弾かない。だから、俺は近づいて『先生?』と口に出し話しかける。


「素敵な演奏を聞かしてくれないんですか?」鍵盤がハッキリと見える位置まで行くが手は鍵盤に添えて固まったままだ。


「どの曲にすれば君の心に響くだろうかなんて考えていたのだけど、私には見えてこなくてね」そう言い終えると、ド→ラの少し悲しく聞こえる鍵盤2回を先生が叩く。

 だから、俺は、ド→ミの好きな音を奏でる。


「俺の今の気持ちは、こんな感じです。これを知って何を聴かせてくれますか?」


「………こういうのはどうかしら?」ゆっくりと鍵盤を両手とも優しく触れて弾き始める。その滑らかな手に俺は引き込まれた。


 耳の元には、何度も何度も聞いたことがあるパッヘルベルの『カノン』が流れてくる。卒業式に流れてくるアレ。心を浄化してくれる様な心が安らぐ癒しに包まれると同時に勇気をくれる音色。それを目を瞑りながら聞いていた。


 このクラシックにはどんな意味が込められているのだろう。そんなことは時代背景・作者の生い立ちなどを調べればある程度見えてくる。でも俺はあえて音楽だけは勉強しない事にしている。知るのは、作者の名前と音楽の音色だけ。そこから、この作者が作った時の心情や想いってのを汲み取りながら聞くのだ。たまに聞きたくも無かった豆知識をボソっと言われ覚えているんだけどね。


 だからだろうか、今の自分と重なってみえるのは。


 この心地の良いクラシックに俺は先生に対して御の字で心が一杯になった。

 そして、その音色はゆっくりと教室に溶け込んでいった。


 少し心拍数が上がったのが自分でも分かる。俺は右手で左胸に当てながら『ありがとうございます、聞きたかったのはこれでした』と素直に伝える。

 まだ、その音が心の中で反響しているのを感じながら。


「そう…………お別れなのかしら」俺のことを少しだけ微笑みながら見つめる。

「お別れの後には……出会いもあります。それがという事です」

「…………聞きたいことは聞けた………というより私のピアノがそれを教えてくれた気がするね」彼女は、鍵盤を叩かず鍵盤を眺めていた。

「じゃあ、帰りますね………多分、帰り道はずっとこの曲が頭から離れないでしょうけど」俺は、音楽室の小さな3段ほどの階段を降りながらそう言う。


「二択で迷ったの。この『カノン』かショパンの『エチュードop.10 No3』とで」

「素敵な曲ですね………ですが、今回はカノンがピッタリでした。流石先生と言ったところですかね」

「その生意気さは、流石級長と言ったところね」お互いが顔を見合わせてふふっと軽く笑い後を去った。


 名残惜しさもあったがどこか自分が見ている景色とその心に残る音楽がピッタリとあった。


「おーい、早く来いって言ったよな?」そんなこと一ミリ足りとも言っていない千明がそう俺に昇降口の外で問いかけてくる。


 俺はゆっくりと靴を履き替える。


 周りには他の皆がいたからかその音はこの学校に残して置こうと俺は地面を蹴って駆け寄った。

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