第9話 すれ違いは唐突に

「はぁ〜」心地よい摂氏42度の適温の湯船に浸かり、だらしのない声が漏れる。


 女子と暮らすのって意外と気を使うところが多い。これは、実際に女性と暮らしたことのある男しか分からないだろう。他の女子達が俺に気を使っているとは到底思えないしな。


 俺が湯船に入るのは一番最後で、俺が入った後の湯船は何やら嫌だとさ。芹香が率先してそれを主張していたな。あいつめ。

 俺の前に入った人は、湯船を捨てて再度湯船を作り俺を呼んでくれる。ご親切なことに。


 だから、気を使っているかは別として、意識はしているんだろうな。だけど、それを嬉しがるのか悲しがるのかは別問題。


 シャンプーは全部で6つあり、ボディソープも5つある。全員が自分用のシャンプーやボディソープを備えており、ずらっと横並びに置いてある。俺はボディソープでは無く、固形石鹸派だが、時々誰かが使っている痕跡がある。まぁ、俺も時々使うからギブアンドテイクってやつだ。


 俺は、何種類もの良い匂いが混じった空間に鼻を奪われながら、両足をぱっかりと広げ、両手を出して豪快に浸かり全身を解放している。だからか、目がウットリとしてくる。


『慶喜様ぁ〜〜?』微かに聞こえる外からの声が閉まりきった瞼をピクッと開かせるが、まだ開眼しない。


『入りますよ?見ちゃいますよっ?』眠たい………疲れたからここにずっといたいよ。


『………本気ですよ?........慶喜様!?』やばい、意識が………


 風呂場のドアを豪快に開けて湯煙と共に真奈の声が聞こえた。


「慶喜さまっ!!」その叫びに流石に覚醒し、真奈を眼で確認すると咄嗟に股間を隠す。


「おいっ!ま、真奈っ。何してんだよっ!!」それを聞くと、『ふひゃ』と驚いた声を漏らして、俺に背を向ける。


「も、申し訳ございません!」湯煙が俺の体を隠してくれてただろうか?そんなアニメみたいな展開は起こってくれているだろうか?


「あのさ………」気まずそうな声色に『はい…』と気まずそうに返す。

「見て……ないよな?」男から言うのは需要がないだろうセリフを言ってしまう。


「………はい」か細い声で弱く肯定する。

「……良かったー……汚いものを真奈に目せたくなかったからな。真奈もう行って大丈夫だ。俺もすぐ上がるから」


「わっ分かりました!!」いつものメイドっぽい口調ではなく慌てた様子で逃げたため、そこでスッ転ける。


「真奈っ!?大丈夫か!?」俺は、咄嗟に湯船から出るが、自分が全裸だと思い出し、すぐさま湯船に戻る。


「……は…い……かっ、帰ります」ゆっくりと立ち上がりふらふらと出ていった。


 俺は、まさか女の子が風呂場に来るなんて思ってもいなかったから『ふぅー』と息を漏らす。あの様子ってことは見られたのかな………うぅ、一生の不覚。あんな盛大に湯船に浸からなければ良かった。


 ということが今日と明日の2日間頭にちらついていた。




 時刻を見ると22:35。最近はこの時間にベッドに入ることが多い。


 なぜかよく分からないが、全ての部屋は、同じ大きさでベッドも同じ大きさだ。だから、少し居心地が悪いと思ってしまう。


 私はメイドなのに皆様と同じ作りのところで寝るのは失礼じゃないかってつくづくここで思案しながら眠りにつく。


 だけど、今日は違うことが私の頭から離れない。


 もちろんその映像は、慶喜様の体だ。173cmで幼少期から磨き上げた逞しい体。細身なのにも関わらず筋肉が凝縮していて何もしなくても腹筋が綺麗に割れていて…………それに………。


 ダメだ…初めて男の人………慶喜様のアレを見てしまってその光景が頭から離れてくれない。慶喜様を少しだけ知れたと言う高揚感といけない謎の胸のざわめきを感じた。


 私は、自分でもどうしようもないくらい毛布を抱きしめて左右に勢いよく揺れてしまう。顔の赤みがより一層強くなっているだろう。



 



 



 皆様を仕えるメイドなのに、慶喜様に欲情してしまった。今まで、ずっと押さえ込んでいたのに、本当は謝罪の気持ちで頭が一杯になるべきなのに何を考えてるんだ私。


 慶喜様は、こんな私を側に置いていたら不愉快だろう。ただでさえ、私は色々なところで慶喜様にご迷惑を掛けているのに。昨日、慶喜様に嘘までついてしまった。恥ずべきことだ。


 メイドとしてこのベッドもこの部屋も与えられているに過ぎない、私と慶喜様には大きな壁があってそこからよじ登ることも壊すことだってできない。


 メイドでさっきまでの感情を抱くのはプロとして失格だ。幼少期からメイドをしているのに。色々な事を教え込まれたのに。教えてくれた皆様に見せる顔が無い。


 だから、思った_____________



 4月最後の投票は、NOに入れようと。



 慶喜様の横にいるべきでは無いと。



 このメイド人生を終わらせようと。




 雨にならないか一抹の不安があったが、天気予報通り今日は、晴れ。絶好のデパート日和とでも言うべきなのだろうか。

 今朝は、俺が作った少し焦げ目がついている目玉焼きとご飯と味噌汁で皆が少し『えぇ〜』と言った表情で食べていた。


 確かに料理というのはかなり奥深いな。どのタイミングでフライパンを離すかによって美味しさが変わってくる。なんとも気が抜けない。


 だけど、本来なら真奈が料理を見てくれて指示をしてくれるのだろうが、今日はなぜか……分かりきっているが俺の事を見てくれず、ぼーっとフライパンの卵を見ていたからタイミングが分からなかった。


 だから、声を掛けて昨日のことを……ってなんて言えば良いんだ?そんなことが頭の中に広がっていき声を掛けれずにいた。



 真奈の今日の異変は今、デパートの中にちょうど入ったみんなが思っている事だろうな。


「おい、どうすんだ?こっから」中に広々と広がる店の数々に目を奪われながら望が真奈に聞き返す。望の服装は、ピンクのゆるりとしたパーカーに白のゆったりとしたホワイトパンツ。意外に似合っているな。


「………」真奈がぼーっとしている。流石にメイド服ではなく、芹香が貸してあげたのを着ている。くすんだブラウンのシャツに下はホワイトのスカートを履いており、かなり可愛い。今まで、メイド服の真奈しか見たことがなかったから新鮮だった。


「メイドさん、大丈夫かい?」千明が心配そうに真奈の方に顔を向ける。千明はブラックのトップスにブルーのジーンズを履いていた。カッコいいな、俺もしてみようかなと思うが、どこか黒のタートルネックにしたくなりそうなのでやめておこう。


「はっはい。えっとですねぇ。まずは、服を見に行きましょう。2階の奥にあるそうなので、そちらのエレベーターから行きましょう」

「でも、そこにエスカレーターあるからそこからで良いんじゃ無い?」胡桃が誰も乗っていないエレベーターを指差す。確かに、わざわざ2階へエレベーターを乗る必要はないな。


「そ、そうですね。では、そちらの方へ行きましょう」そそくさと歩いて行くと反対のエスカレーターに登ってすぐに逆方向だと気づき、正しい方向のエスカレーターに乗る。それを見て芹香以外が真奈について行く。


「何かあったの?あの子」芹香が俺の側に来てそう問いかける。晴れて寒くないのに白のGジャンに落ち着きのある黒っぽいトップスを着込んで、ベージュのスカートを履いていらっしゃる。似合いますね、この方は。


「なぁ、俺の体を見たら芹香はどう思う?」


「…はぁ!?」


 素直な意見が欲しかったためにそう言ったが、どうやらその質問は不適だったらしい。そんな芹香の可愛らしい驚きは、周りの人の注意を惹いたが、女性はすぐに戻り、男性は芹香が可愛いため少し見つめながら立ち去っていった。


「悪い、そんなに驚くとは思わなかった」俺の声が張っていなかったのか芹香は気にかけたような顔で俺を見ていたが、歩き出してエスカレーターに乗るので俺は無意識にその後を追った。


「その質問を私にしても意味ないでしょ。本当に聞きたい人に聞かなきゃ」2階を見ながら俺に話しかけた。どうやら、理解するのは容易かったようだ。


「…………その人に聞けないことだったら、どう思う?」弱々しい声でそう投げかける。弱々しい声がゆらゆらと揺れているのを聞いたからだろう、彼女はそれを鼻で笑う。


「あなたの鬱陶しくて回りくどい喋りは健在じゃないようね。あなたは、聞いた後の先を読んでいつも話しかけるでしょ?だったら、答えは自明じゃないかしら?」彼女の言葉には優しさも大らかさが微塵も無かった。だけど、その言葉が俺の思考回路をガラリと変えさせた。


 そして、エスカレーターの踏み面が俺をスーと2階へ運んでくれた。


「ありがとう、芹香。……服装は俺がオーダーメイドで承る」

「だったら、あなたの服装は、あなたの体型を知り尽くしている彼女に任せてもらったら?」俺の先ほどの質問で推理したのか、真奈に目をやりながらニヤッと言う。


「ぐぐっ………今それ言っちゃう?」やっぱり彼女の言葉には、優しさの面影も無かった。だけど、俺がしっかりと見つめたい人の姿をしっかりと捉えさせてくれた。




「ねぇ、どう思うかな?明智君」胸元の横に2つの春らしいトップスと青っぽい夏っぽいトップスの選択を迫られる。私服なんて2着ほどしかないらしいからな。外に出る頻度が増えるならここで買う選択は正しいだろう。だが、胡桃のその選択には困るものがある。


「俺は、美的センスにあんまり自信がないからな。そういうのは芹香や千明に聞いてみたらどうだ?」横でパーカーを探していた望が『おいっ私も入れろっ!』と割り込んでくるが『あっちにクマのパーカーがあったぞ』と投げかけ彼女をこの場から剥がす。


「私は、男の子が好きな服装を知りたいんだけどな」ほれほれとトップスをこちらに近づけてくるので春色のトップスを指差す。


「へぇ〜、こういうのを女の子に来てもらいたいんだ?」なぜか俺を弄ってニヤニヤしてくる。

「いや、違うぞ?胡桃に似合っているのがこっちだと思ったからだ」俺が弄り返すと、何やら嬉しそうに夏っぽいトップスを置き、俺のもっていたカゴへと入れ込む。


「これに合うボトムスは何かな?」もう終わりかと思ったがまだらしい。俺も服を買いたいのだが。

「こういうのはどうだ?」かなり際どいくらいの丈感のスカートをちらりと見せる。彼女の表情は、何も変わらず『そだね』と言い、違うところを見に行った。


 どうやら、俺のセンスはアテにならないらしい。震えた手でそのスカートを元に戻した。


 近くの少し離れたところで真奈がブラブラと歩いていて良い服があったのか止まってそれを見ているので向かう。


「どうだ?何かいいのあったか?」真奈の横に立ち、少し不安ながらも聞いてみた。

「いっ、いえ。なんでもないです」先ほどまで目に止まっていた白のワンピースから手を離す。


「似合うと思うけどな。真奈に」彼女の顔を見つめるが目を合わせてくれない。少し胸が苦しくなってしまう。『合わせてくれ、真奈っ』と心の中で叫んでしまう。


「私は………お金が無いですので」嘘だ。お金はメイドの収入である程度は貰っている。高校生が1ヶ月に頑張って稼いだ金額の5倍ぐらいを幼少期から毎月もらっていると屋敷にいた時に聞いている。だから、彼女の部屋には、勉強本やカタログなど買ったものが置いてある。


「だったら、俺がこれを買う。そして、似合う人に渡すそれで問題ないか?」後でプレゼントとして渡すなんてキザすぎる真似をふと考えるがこれでは俺たちのすれ違った距離は縮まらない。きっと彼女は遠慮するに決まっている。


「……………それでいいです」先ほどまで俺と同じく弱々しい声が耳に届く。

「だったら、先に予告する。真奈にこの服を着てほしい」やっと目を合わせてくれた。彼女の潤んだ瞳が俺の奥底に沸々と眠っている想いを少し呼び覚ました。


「で、でもっ」俺からすぐに目を逸らす。


「だめか?」


「………ありがとうございます」渋々了承してくれた感が否めない。


 ………だめだ。少し距離が縮まったように見えたがまだ彼女は俺に壁を作っている。それを打破しなければ。

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