第10話 全艦発進
その日の夕方、瓜生副長から連絡があり、俺は強行偵察艦『朧』に乗艦すべく、宇宙港に向かっていた。
弟は学校に行っており不在だったが、父親と母親は心配そうな表情で玄関まで見送ってくれた。母親は宇宙港まで行きたそうだったが、父親が静かに首を振っていたのが、今でも思い出される。
ブルーとグレイを基調にした宇宙港のロビーには、黒い詰襟の軍服を着た人間と、見送りの家族が多数集まっていた。
皆、緊張した面持ちで、重苦しい空気が漂っている。
『前衛艦隊から乗艦を開始してください。艦艇の名称と乗降口の番号を案内します。重巡「大隅(おおすみ)」二番乗降口、軽巡「日高(ひだか)」三番乗降口、軽巡「鈴鹿(すずか)」五番乗降口、駆逐艦「北上(きたがみ)」六番乗降口、駆逐艦「最上(もがみ)」七番乗降口、駆逐艦「天竜(てんりゅう)」八番乗降口』
乗降口ごとに設置されている大型モニターには、それぞれの乗降口に接続されている艦艇の姿が映しだされていた。
皆、大型回遊魚のような紡錘形で、宇宙港内部の照明を反射して銀色に輝いていた。
大きさは、重巡航艦と呼ばれる艦種が全長約四〇〇メートル、軽巡航艦と呼ばれる艦種が全長約三〇〇メートル、駆逐艦と呼ばれる艦種が全長約二〇〇メートルだ。
俺が乗る予定の強行偵察艦『朧』は普通の戦闘艦に比べると極端に小さく全長は一〇〇メートル。
『朧』は現在呼び出しをかけられている前衛艦隊には所属しておらず、俺は順番が来るまで宇宙港のロビーで待機することになりそうだ。
大和皇国政府は『恫喝には屈しない』という結論を下し、移民船の周辺に戦闘艦艇を展開して示威活動(デモンストレーション)を行うことになった。
二〇隻を超える戦闘艦艇が前衛艦隊と後衛艦隊に分かれて第二惑星に向けて航行するのだ。
別に宣戦布告をしたわけではなかったが、明白な挑発行為だ。
多くの軍人が、そして市民が、この行為に対して内心に不安と不満を抱えていた。
手の内をさらすことで、こちらの軍事能力が分かってしまい、相手が逆に自信を深めて、より強硬な態度に出る可能性がある。
一方、示威活動が効果を発揮したら発揮したで、まるで大昔の砲艦外交のように軍事力を背景に要求を通したことになり、倫理的に褒められたものではないからだ。
強硬派は相手の虚をつく奇襲攻撃、実力行使を要求し、穏健派は平和的な話し合いを求めた。
ある程度時間が限られる中、強硬派と穏健派の意見を調整した結果、結局どちらも納得しない中途半端な対応となってしまったらしい。
「鍛冶くん」
人ごみの中で、ふいに背後から不意に声をかけられ、俺はギョッとした。
「立花さん」
振り返ると、柔らかい笑顔を浮かべた立花千鶴が大きな黒い瞳を輝かせて、俺のことを見つめている。
黒い詰襟の軍服に白い柄、白い鞘の細身の刀を左腰に差した、いつもの姿だった。
俺も含め他の軍人は着替えなどを入れた雑嚢を携行していたが、彼女は手ぶらだ。
「お願いがあるの」
彼女は下から見上げるようにして俺の方に近づいてきた。
ほんのり甘い香りが彼女から漂う。
「どうしたの?」
俺の心の奥でアラートが鳴り、俺は思わず身を固くした。
「強行偵察艦『霞』の乗組員を助け出してほしいの、彼らはきっと生きているわ」
彼女の柔らかそうな桜色の唇は、そんな言葉を紡ぎだし、輝く黒い瞳は哀願の色を浮かべて俺のことを見つめていた。
「君は『朧』には乗らないの?」
俺は答えに困って、思わず彼女に別の質問をした。
彼女は悲しそうに首を横に振った。
恐らく命令違反のペナルティが続いているのだろう。
正式な懲罰は、まだ決まっていないのだろうが、彼女のやったことを考えれば当然の措置だ。
「ねぇ、約束して」
突然、彼女は俺の手を握ると、無粋な軍服の上からでもわかる豊かな胸に自分の手とともに押し付けた。
夢のようなシチュエーションであるはずなのに、何故か背筋に寒気が走った。
「敵艦に気づかれないように近づいて乗り移ることができるのは『朧』だけなんでしょ?」
確かに『朧』は海賊船として建造された経緯から、ステルス性能や強制ドッキング装置などの特殊な能力、装備を誇っている。
彼女はすがるような目をして、俺のことを見つめていた。
瞳の奥には暗い炎が煌いているように見える。
「それに『朧』の乗組員には、そういう任務を遂行するために、格闘術や剣術が得意な人間を集めたんだと聞いたわ。あなたや海賊の末裔の武者小路くんのように」
武者小路のことは、話題に上らないように気を使ってきた。
本人がとても嫌がるからだ。
奴の性格がひねている原因の一つはこれだった。
彼女は一体どこからこのネタを仕入れたのだろう。
「ごめん、約束できない」
確かに『朧』が特殊任務を命じられる可能性はあったが、それは俺が決めることではなかった。それに、そもそも強行偵察艦『霞』の乗員が生きている保障など、どこにもなかったのだ。
「人でなし!」
立花千鶴は急に声のトーンを下げると目に狂気の光を浮かべて俺の手を振り払い、身を翻して、俺のことを振り返ることもなく人ごみの中に消え去った。
周囲の軍人から『何事か』という視線が俺に集まる。
俺はため息をついて、しゃがみ込みたくなるのを必死でこらえた。
『俺に言うなよ』
俺は口の中でつぶやいた。
立花千鶴に対する思いは苦いものとなり、俺の胸の中は冷たくなっていった。
「今回の作戦行動を今一度確認する」
狭い階段状のコントロールルームで、俺たちは艦長の流川瑠偉少佐を囲み、直立不動の姿勢をとっていた。
強行偵察艦『朧』はまだ出港してはいない。
流川艦長は、垂れ目気味で、普段は眠そうな表情を浮かべることの多い穏やかな人だったが、さすがに引き締まった表情をしていた。
「現在、移民船『大和皇国』は第五惑星の周回軌道上にある。前衛艦隊は艦隊編成が終了次第、第二惑星に向けて出発する。われわれ後衛艦隊は『大和皇国』の護衛を最優先に展開、前衛艦隊の後を追う」
流川艦長はそこまで一気に言うと小さなため息をついた。
「すでに諸君は分かっていると思うが、相手は攻撃を躊躇しない。第二惑星まで行けば間違いなく戦闘になるだろう。各員、気を引き締めて任務に励んでほしい」
流川艦長は背筋を伸ばして敬礼した。
俺たちも慌てて敬礼を返す。
「なお、立花二等兵は自宅待機を命じられた。彼女は今回の作戦には参加できない」
副長の瓜生右近中尉が、骨ばった顔に苦悩に満ちた表情を浮かべて補足した。
「賢人、大丈夫?」
席に着こうとすると、斜め前の席の真田小夜二等兵が心配そうな視線を俺に向けてきた。
「何が?」
恐らく仕事のことだろうとは思ったが、彼女の瞳は立花千鶴のことでかき乱されている俺の心を見透かしているようで、思わずつっけんどんな言葉を返してしまった。
「火器管制担当、ひとりぼっちになっちゃったから」
小夜の言葉は素直で、気づかいに満ちたものだった。
俺は先程の立花千鶴とは異なる小夜の穏やかな瞳に安らぎを覚えた。
「そうだな。まあ、何とかなるよ」
俺は自分の態度を少しだけ反省し、頑張って朗らかな表情を浮かべた。
「そお?」
まだ心配そうな表情を浮かべている小夜は、それ以上は俺に問いかけたりしなかった。そのため、逆に俺は何かしゃべらなくてはという気分になった。
「小夜」
「ん?」
俺に背中を向けようとしたタイミングで声をかけられ、小夜は不思議そうに振り返る。
「心配してくれてありがとう」
俺が礼を言うと、小夜は少しはにかんだような表情をうっすら浮かべ、そそくさと俺に背中を向けて席に着く。
「う~ん、青春だねぇ」
小夜の隣に座っていた赤井先輩がニヤニヤ笑いを浮かべた。
「えっ、何がですか?」
赤井先輩の意味ありげな表情に、俺は思わず反応した。
俺にはさっぱり意味が分からない。
「はぁ? 説明してほしいの?」
「先輩、やめて」
赤井先輩が機関銃のように話し始めるのを遮るように、小夜が赤井先輩の腕をつかんだ。表情は見えなかったが、声は切迫した感じだった。
「我が艦隊の旗艦『出雲』(いずも)発進します」
葉隠先輩の声で、俺たちの心は仕事に戻る。
彼は、コントロールルーム正面の壁面に巨大な光学スクリーンを空間投影した。
そこには、銀色に鈍く輝く『大和皇国』最大最強の宇宙戦艦が、緑色に点滅する誘導灯に沿って、ゆっくり移動する様子が映し出されていた。
宇宙戦艦『出雲』は周囲に停泊している駆逐艦同様、大型回遊魚のような紡錘形のフォルムだが、大きさは他を圧する全長五〇〇メートルの巨艦だ。
三連装の高出力レーザー砲を合計八基、艦のあちらこちらに装備しているほか、艦全体を砲身に見立てた電磁誘導砲を艦首に二門、ミサイル発射管を左右の舷側に六門づつ計十二門、パルスレーザーミサイル迎撃装置も艦の前後左右に死角ができないよう、計二十四基設置されていた。
『大和皇国』の軍艦の中でも群を抜いた火力だ。
また、外殻部をなすチタン合金製の重装甲は『朧』の五倍以上の厚さを誇っており、宇宙巡航艦クラスの電磁誘導砲の直撃を食らっても耐えられるように設計されていた。
「すげえ、乗るんなら、ああいうのに乗りたかったよな」
雅春が空間投影されたスクリーンを見つめながら、思わずつぶやく。
我々が見守る中、宇宙戦艦『出雲』の巨大な姿はみるみる小さくなっていき、他の艦も次々に、宇宙港を後にしていた。
「本艦にも発進指令来ました」
「よし、発進しろ」
「微速前進」
「微速前進します」
流川艦長の指示とともに、我々はゆっくりとシートベルトにGで押し付けられる。
「旗艦『出雲』から指令、本艦は後衛艦隊の左翼上方に布陣せよとのことです。指示された座標を空間投影します」
葉隠先輩は、端正な漆黒の顔にうっすら汗を浮かべて硬い声を響かせた。
さすがの彼も惑星探査の時と違って緊張している。
薄暗いコントロールルームに空間投影されていた暗黒の宇宙空間の光学映像が切り替わり、白地に赤や青で艦艇の位置が表示されたコンピューターグラフィックの艦隊編成図になった。
それによれば、後衛艦隊のうち、俺たちの乗る強行偵察艦『朧』を除く一〇隻は、直径三キロの円筒形の移民船『大和皇国』の前方二〇〇〇キロの位置に、宇宙戦艦『出雲』を中心かつ先頭に『く』の字のような艦列を組むことになっており、その幅は六〇〇キロに及んでいた。
『朧』は、艦体左翼の一番端、かつ、艦隊の『上方』二〇〇キロの空間点を指定されていた。
そこは、秩序だった艦隊行動をとるポジションではなかった。
戦闘状態に突入した場合、ステルス艦という特性を生かして、主に攪乱を目的とした独自の行動をとることが要求されるのだろう。
「指示された座標に移動を開始せよ」
「移動開始します」
流川艦長の声が響き、赤茶色の髪の操艦担当、赤井先輩がゆっくりと艦を移動させ始めた。Gが俺たちの背中を優しくシートに押し付ける。
『強行偵察艦『霞』の乗組員を助け出してほしいの、彼らはきっと生きているわ』
ふと頭の中に哀願する立花千鶴の顔がよぎり、俺はその幻影を必死で振り払った。
「前衛艦隊、艦隊編成を終了。進軍を開始します」
コンピューターグラフィックの艦隊編成図は前衛艦隊も含めたものに切り替わる。
俺たち後衛艦隊の所属艦は、第五惑星の衛星軌道を周回しながら徐々に艦隊としての隊列を整えつつあった。
一方、前衛艦隊はすでに宇宙重巡航艦『大隅』を先頭に逆V字型の艦列を整え、第二惑星に向けて航行を開始している。
「艦隊司令部から緊急連絡!」
葉隠先輩のうわづった叫び声が突然コントロールルームに響いた。
「どうした?」
瓜生副長が非難するような視線を葉隠先輩に向けた。
「『エリュシオン共和国』が我が国に対し宣戦布告。各艦、臨戦体制に移行せよとのことです」
まったく予想していなかったことではないといえ、コントロールルームは、一瞬、水をうったように静まり返り、静寂が質量をもって俺たちにのしかかった。
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