第7話 すれ違い

「エアロックの気密、確認せよ」

「エアロックの気密、確認完了」

「乗降口、分離」

「乗降口、分離します」

 副長の瓜生右近中尉の指示に従う操艦担当の赤井亜里沙先輩と真田小夜の硬い声が、コントロールルーム内に響いていた。

 二人の顔は青ざめ、緊張でひきつっているように見えた。

 特に普段から表情が豊かな赤井先輩の緊張ぶりは、とても分かりやすい。

 俺たちは毎日出港手順を訓練していたが、実際に強行偵察艦『朧』を動かし移民船から出たことなど、実は今まで一度もなかったのだ。

 つい最近まで、移民船は光速の一〇パーセントに迫る速度で恒星間空間を航行していた。

 移民船を出た瞬間に一定程度の質量を持つ星間物質に接触でもすれば、特殊な防護機能を持っていない艦艇は破壊をまぬがれないだろうし、下手に航行すれば移民船に置いてきぼりを食らって宇宙の迷子になってしまうだろう。

 今までは、そこまでのリスクを払って貴重な推進剤を消費する訓練を行う必要がなかったのだ。

「艦内ガス交換システム、稼働確認」

「ガス交換システム、正常稼働中です」

 背後から優し気な立花千鶴の声が聞こえてきた。

 強行偵察艦『霞』の乗組員であるイケメンの上等兵を思い出し、俺の胸にモヤモヤとした薄暗い感情が沸き上がってきた。

「空調システム確認」

「えっ、空調システム問題ありません」

 俺はハッとしながら目の前に空間投影された小型モニターを確認し、声を響かせた。

 室温は二十二度、湿度は五十パーセント。長袖の上着を着るにはちょうどいい環境のはずだったが、緊張のせいか暑苦しい。

 火器管制担当は戦闘時以外は基本的に暇だ。

 そのため、艦内の生命維持関連設備の保守管理や食糧品の管理なども火器管制担当の仕事として割り振られていた。

「進路確認」

「進路確認。障害物なし。オールグリーン」

 索敵担当の葉隠治忠先輩だけは、他の連中とは違って笑顔を浮かべていた。

 実際に宇宙空間を旅することが楽しくて仕方ないらしい。

「シートベルト着用の最終確認」

「大丈夫です」

「着用を確認しました」

 バラバラと雑多な回答が瓜生副長に返された。

「艦長、発進準備完了しました」

 瓜生副長がいつも通りの堅苦しい表情を艦長に向ける。

「強行偵察艦『朧』発進せよ」

 流川艦長は口元を引き締め、正面に空間投影された宇宙港内部の映像を睨みつけながら、低い声で命じた。

 さすがの艦長も強い緊張を感じているようだ。

「推進剤、噴射開始」

「推進剤、噴射します」

 赤井先輩の声が響くと同時に、推進剤の噴射に伴う微かな振動が室内を覆う。

 初めての経験だ。

「艦体固定解除」

「艦体固定解除します」

 小夜の声と同時に俺たちの背中は激しくシートに押し付けられた。

 正面に空間投影されていた宇宙港内部の映像が、あっという間に背後に流れ去り、俺たちは漆黒の宇宙空間に包まれる。

 情けないことに、俺は、温かく安らぎに満ちた世界から、奈落の闇に捨てられたような気分に襲われた。


「第二惑星への軌道に乗りました。加速を終了します」

 赤井先輩の声とともに、俺たちの身体をシートに押し付けていた強い力は、きれいさっぱり消え去った。

とても長い時間のように感じられたが、時刻を確認すると、実際には数分の出来事だったということがわかる。

 強烈なGが消え去ると、胃が浮き上がるような不快な浮遊感とともに、軽い吐き気が襲ってきた。背筋にも正体不明の震えが走る。

 正面に空間投影されたモニターは、宇宙船の進路を映した真っ暗な光学映像から明るいコンピューターグラフィックの航路図に切り替わり、天体観測の結果把握した赤色矮星グリーゼ六六七Cとその周囲をめぐる多数の惑星や衛星をデフォルメして映し出した。

 その中で強行偵察艦『朧』の航行するコースは白い点線で表現されている。

それによれば、『朧』は第五惑星へと向かう移民船から離れ、楕円軌道を描いて第二惑星に向かっており、帰りは第二惑星の重力カタパルトを利用して第五惑星に戻るようになっていた。

「御苦労。目的地の第二惑星までは七日間ほどだ。これより二交代勤務体制に移行する」

 流川艦長の声が後ろから響いてきた。

 振り返ると、先程まで表情の硬かった艦長は、無事目的地への軌道に乗って安堵したのか表情を緩めている。

「最初の組は、俺、赤井一等兵、武者小路二等兵、立花二等兵の四人。もう一つの組は、副長、葉隠一等兵、鍛冶二等兵、真田二等兵の四人だ。休息も重要な仕事だ。副長の組は直ちに休息に入れ」

 同じ担当なので当たり前だが、俺は立花千鶴とは違う組になったことに胸をなでおろした。

「では、お言葉に甘えて失礼します」

 瓜生副長は立ち上がりキビキビとした動作で艦長に敬礼すると、水中を泳ぐ魚のように無重力空間を移動して、コントロールルーム後部の出口に向かった。

 葉隠先輩も同様にして副長に続く。

「失礼します」

 俺も立ち上がると、ゆらゆらする不安定な身体を必死で伸ばしながら艦長に敬礼した。

 振り返ったタイミングで、こちらに視線を向けていた立花千鶴と目が合った。

 彼女は屈託のない笑顔を俺に向けている。

「お先に」

 彼女の笑顔に抵抗することができず、俺は彼女に声をかけた。

「ごゆっくり」

 キラキラ光る優し気な瞳が俺の胸をかき乱した。

 勝手に盛り上がって、勝手に傷ついた俺は哀れというより滑稽だ。

 きっと立花千鶴は俺のことを同僚として認識しているだけで何の感情も抱いていないだろう。

 俺は陰鬱な気分に突き落とされながら目を伏せて、コントロールルームを後にした。


「賢人」

 居住区に向かうアイボリーの廊下を手すりを使いながら泳ぐように移動していると、背中の方から小夜の声がした。

「ん?」

 手すりをつかんで移動をやめて振り返ると、いつものように表情の乏しい小夜が近寄ってきた。

 俺の心はささくれ立っていて、とてもじゃないが笑顔を浮かべることなどできなかった。

「何?」

 俺の不機嫌な感情をはらんだ声に、小夜からは、すぐに返事がなかった。

 声をかけたきり、それ以上話そうとしない小夜に俺は多少の苛立ちを感じる。

 そう言えば祭りの夜もこんな調子だった。

「具合、悪いの?」

 やっと小夜が口を開いた。

 しかし、そういう小夜の方が、どう見ても具合が悪そうだ。

「別に」

 俺は不愛想に答えた。

「じゃぁ」

 小夜は何かを言おうとしたようだったが、また黙ってしまった。

 何だかよくわからないが面倒くさい。

「何?」

 俺は再び小夜を促した。

「じゃあ、お饅頭たべる?」

「はぁ?」

「私、作った」

「なんだかわかんないけど、くれるっていうんなら、もらうけど」

 俺は、もらえるものは、もらう主義だ。

 その瞬間、微かに小夜の表情が輝いたような気がした。

「じゃあ、お部屋に届ける。待ってて」

「あっ、ああ」

 俺はあっけにとられて、うつむきながら急いで居住区に向かう小夜を見送った。

 

 俺の居室のチャイムが鳴った。

 居室は個室ではあったが、当然のようにとても狭く、寝袋を固定するための鉄パイプで組まれたベッドと旅の荷物をしまう人間の大きさくらいのスチール製ロッカー、A3サイズの広さのスチール製の机が無理やり詰め込まれているだけの空間だった。

 内装はブルーとグレイを基調にした落ち着いた雰囲気で、室内灯の光は弱々しい。

 基本は寝るためだけのスペースだ。

 俺は、くつろぐために上下紺色のジャージに着替えていた。

「これ」

 居室の引き戸を開けると、白いジャージ姿の小夜が、薄桃色のハンカチで包んだお弁当箱らしきものを俺の方に差し出した。

 気のせいか少しはにかんでいるようにも見えた。

「ありがとう」

 俺はドア越しに手を伸ばして包みを受け取った。

 特に、それ以上の言葉が思い浮かばなかったので、そのまま引き戸を閉めた。

 例え邪な気持ちがなくとも、異性をベッドしか座るところがないような薄暗い居室に連れ込んだりしたらマズいだろうと思ったのだ。

 さっそく包みを開くと、深さのあるアルマイト製のお弁当箱で、ふたを開けると桃の形をした可愛らしいお饅頭が二個入っていた。

「へえ、凝ってるな」

 二つに割って頬張ると、中のあんこにはゴマの風味がついていた。

 とても美味しい。

 将来、菓子職人になりたいという話を赤井先輩にしていたのを小耳に挟んだことがことがあるが、これならすぐにでもプロになれそうだ。

 小夜のおかげで少しだけ気分が紛れた。

 俺は、その夜、安らかな眠りに落ちた。


 翌日、勤務交代のために廊下を移動していると、前方に真田小夜の姿を見つけた。

「小夜」

 昨日のお饅頭のお礼を言おうと、後ろから声をかけたが反応がない。

「小夜」

 手すりを使って加速し一気に近づいた。

「何?」

 いつものように無表情の小夜が、気のせいか、いつもよりも不機嫌そうに振り返った。

 体調が悪いのか、睡眠が不足しているのか、顔色もさえない。

「お饅頭ありがとう。美味しかった」

「そお」

 俺としてはにこやかに話しかけたつもりだったが、小夜の御機嫌は回復しない。

 会話が煮詰まってしまった。

 少しの間、俺は無言で小夜を見ていたが、彼女も無言で俺を見つめ返した。

 しばらくして、彼女はプイと俺に背を向けて移動を再開した。

 俺も黙って、彼女の後を追う。

 意味が分からない。

 俺は何か悪いことをしたのだろうか?


「いやぁ、こうして宇宙を旅することができるなんて夢みたいだよな、鍛冶」

 四人しかいないコントロールルームで、不機嫌なオーラを身にまとう小夜に悩まされていた俺にとって、朗らかに話しかけてきてくれる葉隠先輩は救いの神だった。

「確かに、実際に移民船の外に出た人間は、ここ数百年間いなかったですよね」

 俺は自分の席に座ったまま、葉隠先輩の話に応えた。

「未知の惑星を探査した人間として、俺たちはきっと大和皇国の歴史に残るぞ」

 葉隠先輩は漆黒の顔をこちらに向け、白い歯を見せる。

「かもしれませんね」

「俺はさ、歴史に名を遺したいんだよ。やはり人間、歴史に名を遺す以上の幸せはないよな」 

「そうなんですか」

 歴史に名を遺すなんて俺としては考えたこともなかったので、どうしても歯切れの悪い返事になってしまう。

「鍛冶はそうは思わないか。真田はどうだ?」

「えっ」

 急に話しかけられて、小夜は狼狽しているように見えた。

「未知の惑星に向かう『朧』を操縦できて、幸せを感じないか?」

 葉隠先輩は朗らかだった。

「あの、私の幸せは『朧』を操縦することじゃなくて」

「別のこと?」

 畳みかけるような葉隠先輩に、小夜はなぜか下を向いてしまった。

「先輩、小夜の幸せは菓子職人になることで、宇宙船を操縦することじゃないみたいです」

「違う」

 俺は助け舟を出したつもりだったが、小夜は不機嫌そうに俺のことを睨んだ。

「違うの?」

「お菓子を作るのは好き。でも、お菓子を作れれば幸せなわけじゃない」

「そうなんだ。俺は小夜の作った饅頭食べたときは幸せだったけどな」

「賢人の馬鹿!」

 小夜は突然、大声を上げると、うつむいて黙ってしまった。

 気のせいか肩を震わせているように見える。

 普段、無口で、無表情の小夜にしては、珍しく激しい反応だ。

「鍛冶」

 突然、後ろから俺の名を呼ぶ声が聞こえた。

 いつもとは違い、やけに物静かだったが、瓜生副長の声は威圧感たっぷりだ。

「はい」

 俺は慌てて返事をしたが、声が裏返ってしまった。

「真田に何かしたのか?」

 恐る恐る後ろを振り返ると、いつもの鋭い視線がさらに鋭い。

 明らかに何かを疑っている視線だ。

「な、なにもしていません!」

 これが怖いから俺は小夜を部屋に入れなかったのだ。

 瓜田に履を納れず李下に冠を正さず、我ながら正しい対応だったと俺は思った。

「本当か?」

 ものすごい圧力だった。

 まるで犯罪者に対する尋問だ。

「本当です」

 そう答えたのは俺ではなく、小夜だった。

 目が赤かったが、しっかりと瓜生副長のことを見据えていた。

「真田、鍛冶のことを庇ったりしなくても、いいんだぞ」

 瓜生副長は、小夜の強い口調に多少たじろぎながらも、俺を犯罪者のように扱い続けた。

「鍛冶君は何もしてません」

 そういうと、小夜は軽く唇をかみ、再びうつむいた。

「そうなのか?」

 瓜生副長の目は冷たい光を放って俺を見つめていた。

「は、はい、誓って、何も」

 俺は心臓をバクバクさせながら、瓜生副長の目を見つめ返す。

「そうか、ならいい」

 瓜生副長はそういうと、不機嫌そうな表情を浮かべて自分の座席の背もたれに体を預けると、軽く目を閉じた。

 尋問が無事に終わったことに、俺は胸をなでおろした。

「小夜」

 少しの時間をおいて、俺は小声で小夜に話しかけた。

 しかし、返事はない。

「小夜」

 少し大きな声で話しかけると、小夜はやはり不機嫌そうに顔を上げた。

「なに?」

「何か気に入らないことがあったんなら言ってくれよ。直すようにするからさ」

 俺が小声でささやくと、小夜の表情はみるみる歪んだ。

「賢人、ごめんね」

 絞り出すようにつぶやくと、小夜はまたうつむいてしまった。声が震えている。

 一体、小夜がどうしてそういう態度をとるのか、俺には全く分からない。

 俺の方から、あれこれ問いただすわけにもいかず、小夜の方から話してくれるのを待っていたが、その日は小夜が再び口を開くことはなかった。

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