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2023年6月21日 14:53
人を殺して、自分も死ぬ型の自暴自棄殺人とでも呼ぶべき事件、増えましたね。1番怖いのは、具体的な動機がよくわからないので、最後まで気持ちがモヤモヤすることです。でも、精神病理の問題だとしてしまうと、全部が異常な者の異常な事件として、特異なものであると片付けられて安易に解決してしまいます。そして、変に納得して、忘却の彼方へ。こういう事件、本当の動機などというものは、分からなくて当然なのかもしれませんが、人がより納得しやすい説明が必要なのかもしれません。たとえ、それが間違っていようとも。
作者からの返信
実行犯の行動事由を言語化することの難しさは、それこそ、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公のような曲折の仕方をしてると思ってるところがあって、文学によって、書こうと思えばそうとう技巧を凝らして、ひとつの行為に無数の理由が数珠つなぎに結びあい、絡まり合っているさまを描ければ、その精神の状況を再現することはできるかもしれない、と思ってるところがあります。わたし自身、なにかをするときに、日本語の、文章そのままで物を考えてないんですよね。人に説明できないある計算というか、軽量というか、力学みたいなもので、自分のなかにあるもので推しはかって行動するのだけど、あとでどうしてその行動を取ったんだと説明を求められたときに、まず説明できない。言語化して物事を考えるのでなく、なにか言語以前の嗅覚みたいなもので行動を取り決めているところがあって、もしその主体が、邪だったりいびつだったりしたら、とても危険な行為に踏み込むこともあると思うんですね。わたしはそこで言行の歯止めとして仏教があって、あるいはお天道様が見ている式の道徳感・倫理観によって、おかしな行為は防ぐように自制されている。でもその歯止めが利かない主体であれば、現在の不満を一個人に担わせて、かれを自身の欲求の捌け口にしてしまうことがあるのかなと思いもします。もっと短絡的な回路による行動だったりするかもしれませんが、しかし細かく点検していけば、それは文学になるんじゃないかと思うところがあります。しかし現在の自身の不幸は、あいつが悪い、あいつがいなくなれば自分は気が晴れる、というのは、それのどこがおかしいのか、わからなくなっている人がぽろぽろ出てくるのは、今後の日本社会の先行きの不安を感じさせます。どうなっていくんでしょうね……。
人を殺して、自分も死ぬ型の自暴自棄殺人とでも呼ぶべき事件、増えましたね。
1番怖いのは、具体的な動機がよくわからないので、最後まで気持ちがモヤモヤすることです。
でも、精神病理の問題だとしてしまうと、全部が異常な者の異常な事件として、
特異なものであると片付けられて安易に解決してしまいます。
そして、変に納得して、忘却の彼方へ。
こういう事件、本当の動機などというものは、分からなくて当然なのかもしれませんが、
人がより納得しやすい説明が必要なのかもしれません。
たとえ、それが間違っていようとも。
作者からの返信
実行犯の行動事由を言語化することの難しさは、それこそ、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公のような曲折の仕方をしてると思ってるところがあって、文学によって、書こうと思えばそうとう技巧を凝らして、ひとつの行為に無数の理由が数珠つなぎに結びあい、絡まり合っているさまを描ければ、その精神の状況を再現することはできるかもしれない、と思ってるところがあります。
わたし自身、なにかをするときに、日本語の、文章そのままで物を考えてないんですよね。人に説明できないある計算というか、軽量というか、力学みたいなもので、自分のなかにあるもので推しはかって行動するのだけど、あとでどうしてその行動を取ったんだと説明を求められたときに、まず説明できない。言語化して物事を考えるのでなく、なにか言語以前の嗅覚みたいなもので行動を取り決めているところがあって、もしその主体が、邪だったりいびつだったりしたら、とても危険な行為に踏み込むこともあると思うんですね。
わたしはそこで言行の歯止めとして仏教があって、あるいはお天道様が見ている式の道徳感・倫理観によって、おかしな行為は防ぐように自制されている。でもその歯止めが利かない主体であれば、現在の不満を一個人に担わせて、かれを自身の欲求の捌け口にしてしまうことがあるのかなと思いもします。
もっと短絡的な回路による行動だったりするかもしれませんが、しかし細かく点検していけば、それは文学になるんじゃないかと思うところがあります。
しかし現在の自身の不幸は、あいつが悪い、あいつがいなくなれば自分は気が晴れる、というのは、それのどこがおかしいのか、わからなくなっている人がぽろぽろ出てくるのは、今後の日本社会の先行きの不安を感じさせます。
どうなっていくんでしょうね……。