2023.03.19(日)
2023.03.19(日)
昨日はほぼゲームの時間だったけれど今日もその傾向は維持するらしい。
日が替わったあたりから『ドラゴンクエスト(無印)』を再開。メルキドとドムドーラの二つの街の場所を混同してしまって、メルキドに向かうつもりがドムドーラについてしまって、あれ? メルキドって、ドムドーラと同じMAPになってるん? と思ってしまう勘違いが発動。(だいじょうぶ。リアル世界ではわたしはちゃんと地図を読める方ですよ)(たぶん!)
マップの光っている箇所を調べると〈ロトのよろい〉を発見。再度メルキドに向かう途中の沼地で〈ロトのしるし〉を拾う。そしてメルキドに到着したらゴーレムとエンカウントするも、〈ようせいのふえ〉があれば100%眠らせることができるから完勝。そこで〈みかがみのたて〉を購入。三つのキーアイテムを揃えて〈にじのしずく〉を入手。
あとは竜王の城に向かうだけというところまで進めて終了。レベルは17。つぎのプレイ再開時にはクリアすることができるか。
その後、Switch版『剣の街の異邦人』を再開。レベルは8のまま据え置いて、敵を倒してドロップ品をかき集め、店に売り払った資金で手持ちの装備の強化に時間を費やす。だいたいほとんどの装備品に「+6」をつけることができたあたり。ここまでくると、雑魚敵の攻撃は食らってもほとんど1ダメージだし、高速戦闘モードにしてもそうそうやられることはない。しかしときおりレベル帯の明らかに異なる敵が混じることがあったり、毒攻撃を食らうことがあり、すると大ダメージに直結するから終始安泰というほどではない。
純血種を討伐してあるから血晶を器の人に渡そうとしたけど、次は二個セットでないと受け取ってもらえないらしい。そういう決まりがあったか。
とりあえず、闇勢力に渡す予定。まずはやりたいように進めていこう。
朝食は、手抜き。
サッポロ一番味噌ラーメンと、エメンタールチーズ(半額)を半量と、なぜか食後にポテトチップス。身体に悪いメニュー。
食後にほうれん草を茹でるだけ茹でて、冷蔵庫に保存。これはあとの食事でちょっとずつ食べる予定。
食後しばらくして眠る。
昼前に起きて、ネットをしていると、高市大臣罷免(か?)というニュースが飛び込んでくる。軽く情報をさらったけど、そうあってほしいと思う人たちが大量の嘘に一抹の真実を含ませて本当らしく見せかけるいつものやり口だと思えて息をつく。大勢がというか多くの声とするものが世間に集まれば、それが本当らしい力を得て自分たちの好ましい方向に物事が向かうと思いたい人たちの願い、みたいなのが感じられて、よくあることだとも思った。ちなみにいま読んでいる『燃えあがる緑の木』の、新しいギー兄さんとオーバーの魂を重ね合わせてそこになにかを見いだしたがる村の人たちのマインドもこれに近いのだけれども。ちょうど今日、その箇所を読んでいたから余計にそんなことを考えてしまった。
ちなみに大江さんが亡くなったことについてYouTubeにいろんな発信をしている人たちがいるけれど、大江作品なんて本当に読んでいる人はいるのか? とか、左翼思想にどっぷりつかっていた人とか、〈九条の会〉の発起人であるから今の人たちからみたらどうだこうだ、という話をされていることがあったり、逆に文芸評論家で、ネット右翼こそ、三島由紀夫や大江健三郎などの作品をちゃんと読んで、自身の思想性を高めていく必要があるのではないかと問題提起されている方もあった。
わたしは自分で文章を書き始めたときに、市販されているプロの文章に比べて自分の文章があまりに貧弱であることを痛感して、そこから自分には書けないような書き方をされている作品に当たって、自分の文体を鍛え直したいと願った。埴谷雄高の『死霊』であり、夢野久作の『ドグラ・マグラ』であり、大江作品であり、三島の『豊饒の海』でありと、これまで読まなかった種別の本なども読むようにしてきた。海外でも『魔の山』や『カラマーゾフの兄弟』、『戦争と平和』、『ジャン・クリストフ』など新潮文庫から出ている古典物のいくつかを複数回読み直すことなどもしてきた。しかし思想というか、哲学や論文の系統のものは逆にわたしは立ち入ることはなく、ただどうすれば自分の思うことを文章に落としきることができるかということに専心するところがあった。
そのために心と体が一致するようにと、精神修養の書ともいえるような、老荘思想や、仏書などのいくつかにも親しむようになって、私心を取り払うにはとか、そんなところに関心を寄せるようにもなっていた。
サヨク・ウヨクでいえば、わたしはどちらなのかよくわからない。どちらにも優れた面もあれば行き過ぎた面もあるように思われ、どちらの側にも見るべきものがあると同時に、離れておいた方がいい考え方もあるように思われる。
ただ日本の歴史は日本語の歴史と思っているところがあって、昔から伝わって来た言葉を重んじたいという意味で、日本語を守りたい、物を書くときには言葉のいい面を自分なりに発揮させたいと願っている点から、あなたはどういう思想の人ですか、と問われたときには、〈保守〉だと答えている。
故西部邁さんの言葉に関する考え方には共感する面もあるし、小林秀雄の文章の多くは何度読み返してもいまの文章では得難いものが十二分に刻印されてあるように感じられる。中島敦の端正な文章はわたしの物を書くときの希望でもあるし、自分の好きな文章を集めた自分の本棚がもし奪われるようなことがあればきっと不幸のどん底に陥るだろう。
古いものも今のものと変わらず思慕する自分がいる。
現代は、文学が軽視されている時代といわれることもある。ちゃんと受け止めたい人だけが受け止めればいいのかもしれない。みんながみんな文学について考える必要はないのだろう。しかし日頃自分たちがどのような感覚で言葉を用いているのか、それを自己点検するきっかけが失われてしまうのはもったいないことのように思う。
デマの様なものに簡単に煽動されてしまうのも、聞こえのいい言葉にころっと騙されてしまうのも、文学の経験値が浅いところからくるもののようにわたしには思える。
こんな偉そうなことを書いているわたしも、いまだにコロナワクチンを一度も打っていないことについてこれが本当にいいことだったのか、悪いことだったのか、いまだに自身の判断を保留にしている。しかし、わからないものをわからないままにいったん据え置いて我慢するのもひとつの能力だと思いきりたい。
昼、『燃えあがる緑の木 第一部』の「第二章 童子の螢」、つづきを読む。
p.85
《――誰や知らんのですが、オーバーが昔のような葬い方やなしに、みんなと同じ葬いをされるのやというておりましたが! それは本当のことでしょうかなあ? オーバーまでが、火葬場で焼かれることになりましたらな。わたしらにはもう拠りどころはないですが! 追いつめられたような気持にな。土地の誰もがなりますよ。わたしらのところのバーチャンも、それだけは確かめてきてくれというておりましたが! いまこの人らのいうことを聞きましたらな、火葬場に予約が入っとるのを見た者がおるそうです。それでわたしらはな、サッチャンがどうされるものやろうと思うて!》
わたしもある程度の田舎棲みだから思うところだけど、この小説が発表されたのは平成五年(1993年)。だからこそ、田舎の連帯感がすこしずつ薄れているように感じられる時代でもあり、このような台詞のバックグラウンドがしっかりわかるようなところがあったように思う。たしかに令和のいまでも隣近所が何をしている、どこそこの家の息子さん、娘さんの子供がどこどこの高校に合格して云々みたいな噂話はふつうにされている。(わたしについてどんな噂話が囁かれているのか聴きたくはないけれども 笑)
しかし火葬場の予約まで確認されて、噂されるような部分、田舎の人間のメンタリティとして普通にあることで、いまもある程度残っていると思える。しかしそういうのが嫌な人はすでに都市部に移ってこちらに帰ってくることはない。そうして若い人が離れた農村部の共同体はすでに崩壊寸前といった印象はある。
しかしこの第二章、土地の人はオーバーの葬いが実際どのように進行していったものか、どのあたりまで把握しているんだろうということに着目して読んでいる。
のちにこういう箇所が出てくる。
p.134
《――不作為的に抽出した「在」の主婦のサムプルのような女たちがね、サッチャンに向けて火葬に反対だと申し立てるのを見たがね。きみのいうとおり、あの連中には、なんとなくさ、この土地独特のやり方で、遺体は焼かれない、とつたわっていたはずだよ。それでいてね、火葬場の煙突からの煙、鷹の出現、……そして岩鼻に立っている隆へ鷹が急降下する、というようなことが起こると、……確かに不思議な事態ではあるけれどもさ、みな雪崩れをうつようにそれにいれあげる。そこに奇蹟を見出す。これはどういうことなんだろう?》
人は見たいものを見たいように見る。受け止めたいように受け止める。いまでいうところの〈認知バイアスの偏り〉なのだけど、「在」に因襲のように存在する死んだ人の魂はどうなるかといった考え方について、それに則って考えたい気持ちと、学校でも学んだような理性的な学問的な考え方と、どちらが優先されるかというとき、一定の傾向を持った集団においては、前者が優先されることが多いように思う。しかし、この【いれあげる】という言葉の挿入がうまいと感じた。信じこむと書くよりも、妄信すると書くよりも、飛びつくと書くよりも、もっと静かだけど、強い内心の動機が秘められてあるような感覚が、この【いれあげる】には内在するようだ。
《みな雪崩れをうつようにそれにいれあげる。そこに奇蹟を見出す。これはどういうことなんだろう?》
〈総領事〉の台詞。
現代に置き換えれば、インターネットミームの発生する根本にもこれがあるように思う。大勢を扇動する人の裏にもこれを利用している節が見られるわけだし。
しかしこの小説は第二部・第三部と読みすすめるうちに、その「いれあげた」人たちが手のひらを返して冷淡になり、加害するところまで描かれる。
まだ三章の途中。
ひきつづき、読んでいこう。
夕5時入浴。
8時、夕食づくり。残っていた刺身用の鯛の冊でなめろうを作る。豚バラ肉、たまねぎ、トマト、ナス、ピーマン、トマトペースト、顆粒コンソメで、トマト煮を作る(液体は少な目)、そして朝に茹でたほうれん草、とうふとひじきの揚げ物(おろし添え)。
食後、しばらく昨日見ていたのと同じ配信者さんの『ディアブロ4』ベータテスト配信を視聴する。
その後、三連休で睡眠時間が不定期になっていて、調整のために再び眠る。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます