#11 冷たい合理

 足元に転がる肉片を、少女はなんの感慨もなさそうにじっと見つめている。勝利のよろこび、生き残ったことへの安堵。無表情の彼女からは、そういった感情がまったく伝わってこなかった。

 大太刀の切っ先を真下に向ける。


「クゥ、装身解除」

「あいあいさー」


 少女の纏う鎧がぱっと弾けて光の粒となり、大太刀の周囲に集まる。それはもとの大剣に姿を変え、どすんっと地面に突き刺さった。それと同時に少女はふつうの人間に、クゥはもとの小動物にそれぞれもどっていた。


 おわった──。


 里を襲った妖怪はすべて、少女によって討たれた。これ以上里人が傷つけられることも村が破壊されることもない。

 バンは諸手をあげてよろこびたかった。あらん限りの感謝を少女に伝えたかった。だが、彼の心に残るしこりがそれを許さなかった。


「なぁ、ちょっと聞きてぇんだけど──」


 バンが少女に疑問をぶつけようとする。

 そのとき、森に避難していた里人たちが大挙して押し寄せてきた。バンを押しのけて少女のまわりに群がり、口々に賞賛と感謝の言葉を述べる。そのまま胴上げでもはじめそうな勢いだったが、相手は敬うべき守り神であるから無礼を働くわけにはいかないと考えて自重したようだ。

 ちょっとした祭りのように盛りあがる里人たちに囲まれながらも、少女はうれしそうな顔ひとつ見せずに言った。


「なにをそんなによろこんでいる。うっとうしい」

「黒虎なる怪物をいともたやすく退治してくださったのです。村の者たちがはしゃぐのも無理からぬことですじゃ」


 守り人を代表して里長が答えた。


「怪物だと? まさか。いまのも所詮はザコだ。黒虎たちのなかではただの下っぱ。まあ、足軽みたいなものだ」

「な、なんですと……」


 里長は驚きを隠せない。

 守り人たちが敗北した妖怪たちよりもさらに強敵だった黒虎。しかし、それすらもザコだと少女は語った。里人たちの表情に影が差し、少女を取り巻いていた祭りのような熱気は急激に冷めてしまった。

 気まずい沈黙のなか、バンがおずおずと口を開く。


「あ、あのさ……」

「なんだ」

「その……ちょっと、やりすぎだったんじゃねぇかなって……」

「やりすぎ? なにが」

「さっきの、倒そうと思えば、最初の一発で終わったんじゃねぇのかなって。あんなにいたぶる必要、あったのかなって……」


 バンはためらいながらも途切れとぎれに言葉をつむいだ。

 本当ならこんなことを言うべきではないのかもしれない。やり方はどうであれ、少女は里を救ってくれたのだ。それでも、少年は聞かずにはいられなかった。


「どうした。黒虎に同情でもしたか。だがそんなものは無用だ。いや、即刻捨て去るべきだ。あれを見ろ、おまえの仲間だって食われているんだぞ」


 と言って、顔をくいっと動かした。

 少女があごで示す先には、妖怪に殺された守り人の食べ残しが転がっていた。力ずくでからだを引きちぎられた苦痛によって顔はゆがみ、張り裂けそうなほどに口をあけているが、その口から声が発せられることは二度とない。


「うっ……」


 少年は口元をおさえて顔を背ける。


「目をそらすな。これが現実だ」

「だけど──」

「やつらは敵だ。敵は殺す。情け容赦などいらない。徹底的に叩きつぶせ。ためらえば、自分が死ぬぞ」


 バンは少女の気迫に圧倒された。

 いったいなにが、この少女をここまで非情にさせたのだろうか。彼女と黒虎とのあいだに、どんな因縁があるのだろうか。

 あたりにはふたたび気まずい沈黙が流れる。そんななか、里長が助け舟でも出すように口を開いた。


「おびゃっこさま。あなたさまはこれからどうなさるおつもりで?」

「わたしは黒虎を一匹残らず狩りつくす。このあたりにはもういないから、旅に出ることになる」

「ならば、われらもお供いたしましょう」

「いや、いい。大勢で動くのはキライだ。それに──」少女は周囲を見やった。「戦力になりそうなのは傷ついているようだし、里の再建には人手が必要だろう。さあ、おまえたちは作業にかかれ」


 里人たちは少女の指示におとなしく従い、破壊された村の復興作業に取りかかる。

 しかし、バンはこの場に残っていた。


「おれは行くぜ」

「バンよ。おぬしはわしの跡を継いで里長になる者じゃが、まだまだ未熟。里で学び、修行し、みなをまとめていかねばならんのじゃぞ」

「だからこそだろ。守り人の使命は、おびゃっこさまを守ることなんだ。だったら、おれが行かなきゃなんねぇ」


 バンはまっすぐな瞳で祖父を見つめる。


「そうか、おぬしにもその覚悟が……」里長は孫の成長を実感してうなずいた。「おびゃっこさま。不出来な孫ですが、連れていってくださらんか?」

「ひとりくらいは構わん。すきにしろ」

「へっ。断られたって、勝手についてくつもりだったさ」


 バンはいかにもわんぱく少年らしく鼻をこすり、いたずらっぽく笑った。

「では、すぐに出発する」

「えっ、いまから? でも、まだみんなを弔ってねぇし……」

「そんなものは無意味だ。行くぞ」


 少女は聞く耳を持たない。バンに有無を言わせずに出発しようとする。


「おいっ! ちょっとくらい時間をくれてもいいだろ?」

「すでに死んだ人間に割いてやる時間などない。死を悼むことに意味などない。おまえがなにをしようとも、死者は絶対によろこばないんだ。死んでしまった人間には、感情が残っていないからな」

「それはそうかもしれねぇけど……その言い方は、ちょっと薄情じゃねぇのか?」

「いま生きている人間を助けるほうが大事だろう。死者を弔っているあいだにも、どこかでだれかの命が奪われている。助けられるはずの命を見捨てることのほうが、よっぽど薄情だとわたしは思う」

「でも……」


 バンは言い返せずに黙り込む。

 少女の言葉はつららとなって少年の心に突き刺さる。冷たいほどに合理的な言葉。この少女は人の形をしているが、本当は血の通わない氷像なのではないか。彼はそんな想像をして背筋が寒くなった。


「理解できたな。では――」


 と、歩きだそうとした少女がふらつき、後ろに倒れそうになる。

 そこにひとりの女性があらわれ、そのがっしりとした手で少女の両肩をつかんだ。


「おっと、大丈夫かい?」

「──ああ、すまない」 

「あっ、かぁちゃんじゃねぇか」


 倒れそうになった少女を支えたのはバンの母親だった。暖かな笑みを浮かべ、少女にやさしく語りかける。


「まあまあ、こんなにふらふらになっちゃって。これじゃあ旅立ってもすぐに倒れちまうよ。しっかり休んでからにしなさいな、おびゃっこさま」


 少女はバンの母にからだを預けたまま少し考え込む。


「……わかった、出発は明朝にする。これでいいな」

「あぁ、ありがとよ!」


 と言うと、バンはすぐに走っていった。村の再建をはじめた里人たちの手伝いをするため。そして、仲間を守ろうと戦って亡くなった者たちを弔うために。

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