#10 黒き鎧を纏いし戦士

『て、てめぇは、まさか……』


 黒虎は幽霊でも見たかのような驚いた顔をした。

 実際にはトラの表情から感情を読みとることなど、バンにはできない。声のトーンから驚いているように感じた、ということである。


 このバケモノ、あいつのことを知ってんのか――。


『まさか、狐憑きがまだ生き残っていたとはな』

「当然だ。おまえらを根絶やしにするまで、死ぬつもりはない」


 こいつら、やっぱ知り合いなんだ――。


 どう考えても初対面の会話ではない。旧知の間柄のようだが、思い出話に花を咲かせるような空気ではなかった。


『この、亡霊があっ!』


 黒虎、火球を発射。衝突コースに乗っている。

 だが少女は一歩も動かない。防御しようともしない。力を抜いて刀を下げたまま、ただ突っ立っているだけだ。


「あぶねぇ!」


 なんでよけねぇんだ──。


 火球は少女に直撃、弾け飛ぶ。


『ふんっ、ザコが──なにっ!』


 まともに攻撃を受けたはずの少女は傷ひとつ負わずに健在だった。弾け飛んだのは少女ではなく火球のほうだったのだ。


 いまのは、さっきと同じだ──。


 黒虎がブラスターの光を弾いたときと同じように、少女のまわりにも見えない壁が存在しているかのようだった。

 もしもそれらが同質のものだとしたら、少女にも妖怪の持つ神通力が備わっていることになる。狐耳が生えたこととあわせて考えれば、彼女も妖怪だ、という結論に至るのが自然というものだろうか。


 やっぱり、人間じゃねぇってのか――。


 この少女はいったい何者なのだろうか。人間なのか、妖怪なのか、守り神なのか。謎は解けるどころかさらに深まっていくばかりだった。


『ならば引き裂いてくれる!』


 黒虎、接近して格闘戦に切り替える。

 右から、左から。振りおろし、薙ぎ払う。黒虎は縦横無尽に自慢の爪を振りまわす。しかし、それらはすべて空を裂くだけで、少女にはかすりもしない。

 少女はまるで舞い散る木の葉の一枚のように、ひらり、ひらりと黒虎の爪をかわしている。鎧を着込んだ者とはとても思えない、静かで優美な動きだった。


 ほんとにあいつなのか――。


 バンの目にはもはや別人にしか見えなかった。髪や耳といった見た目の変化もある。だがそれ以上に、山道をくだるだけで疲労していた少女が、いまは鎧を身に着けて大太刀を持ったまま俊敏な動きを見せている。それが信じられなかったのだ。


 真っ白になった髪の毛、キツネみてぇな耳……白い、狐。だから、お白狐さまってわけなのか──。


 少女が反撃にでる。身をひるがえして爪を避け、そのまま後ろ蹴り。鎧に包まれた脚が黒虎の脇腹にめり込んだ。


『ぐおぉぉ……』


 黒虎からもれる苦しげな声。ブラスターの光を受けても平気だった黒虎が、ただの蹴りでダメージを負っている。

 少女はくるりと回転し、遠心力を利用した回し蹴りを繰りだす。自分よりも大きい黒虎の身体を四、五十メートルほど先まで蹴り飛ばした。

 村のほうへ向かって飛ばされた黒虎は、砂ぼこりを巻き上げながらごろごろと転がり、火事を逃れた民家に衝突したところでようやく止まった。


「つ、つえぇ……」


 バンの口が開いたままふさがらなくなった。

 少女のブラスターが妖怪たちを一撃で葬ったとき。その強力なブラスターをものともしない黒虎があらわれたとき。その都度、バンは彼らの強さに驚かされてきた。

 しかしいま、それらを軽く超える存在が目のまえにいる。超常的な力を持った少女は、人々を救済する守り神だと里に伝わるおびゃっこさまに間違いないだろう。彼女の戦いを間近で見たバンは確信を持った。

 ふっと少女の姿が消える。


 えっ、どこに──。


 気がつくと、少女は黒虎のそばまで移動していた。

 バンには少女の動きがまったく見えなかった。走ったのか、跳んだのか、その程度のことさえよくわからない。瞬間移動でもしたかのように、ほんの一呼吸のあいだに四、五十メートルの距離を移動していた。


 は、はやすぎる──。


 キャリーケースを引っ張り、少女のあとを追いかける。

 バンがたどり着いたとき、黒虎はすでにボロ雑巾のようになっていた。相当に痛めつけられたようだ。


「さて、そろそろ本番といくか」


 と、少女は手にしていた大振りの刀を構える。

 白銀の大太刀。その刀は大剣に比べるとずいぶんスリムになってはいるが、それでもまだかなりの重量があり、並みの人間には手に余る代物だった。それを少女は軽々と振りまわし、黒虎の皮膚を、肉を、骨を、いともたやすく切り落とす。


「おい……なんだよ……なんなんだよ、これ……」


 バンは青ざめた顔で目のまえのおぞましい光景を傍観する。

 それはもはや戦いではなく、赤子の首を捻るかのようななぶり殺しだった。黒虎の肉体を念入りに切断していく。足の一本いっぽん、耳、尻尾。まるで、少しでも悦楽の時を引き延ばそうとしているかのようだ。


「さすがだな。四肢を切り落としただけではくたばらないか」


 黒虎は頭部と胴体だけの見るも無残な姿に成り果てていた。血だまりのなかに横たわり、かすれた声を絞りだす。


『ま、待てっ。もうやめてくれぇ……こんなからだじゃあ、もう人を食うことなんてできねぇ。頼む、命だけは……』

「ふっ──」と、少女は黒虎を見下しながら冷笑した。「無様だな。黒虎ともあろう者が、人間に泣いてすがりつくとは」

『見逃してくれ。もうわるさはしねぇ。本当だ。約束す──ぐおっ!』


 少女は命ごいをする黒虎の顔面を踏みつけ、ぐりぐりと足を動かす。苦悶の声をたのしむかのような笑みを浮かべながら。


「ならば、死ぬまでその醜い姿をさらし続けるがいいさ」


 と言って、少女は黒虎の頭をどかっと蹴り飛ばし、興味を失ったように背を向けて去って行こうとする。

 地面に転がる黒虎はその様子を確認すると、いびつに口をゆがませ、ゆらりと浮びあがった。そのまま静かに少女に接近。彼女の首元に食らいつこうと、裂けそうなほどに口を大きくあけて一気に飛びかかる。


「あっ、あぶねぇ!」


 バンが叫んで危機を知らせようとしたが、そんな心配は無用だった。

 少女はこうなることを予測していたかのようにすばやく反応した。振り向きざまに一閃。黒虎をまっぷたつにぶった斬る。


『な、に……』

「アホか、おまえ。あんな三文芝居を信用するわけないだろう。それに言ったはずだ。わたしは、おまえらを根絶やしにすると」

『くそが……だがな、おれさまを殺したところで……てめぇらニンゲンに、未来はねぇんだよ──』


 最期の言葉を残し、黒虎はぼとりと地に落ちた。

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