#9 装身
少年はあぜ道を走った。少女を救うために。最後の希望を手にして。
命を預けるには、だいぶ頼りねぇけどな──。
片手には眠り続ける小動物。もう片手には振れない大剣を縛りつけたキャリーケース。少女と少年、ほかの里人たちの命がかかっているにしては、この一匹とひと振りでは心もとなかった。
しかし、もうほかの可能性を考えている時間はない。鬼が出るか蛇が出るか。もうやるしかないのだ。
猪突猛進。バンはひたすらにまっすぐ走る。
「どわっ!」
前を歩いていた里長は、後ろから猛然とやってきた暴走イノシシにひかれ、田んぼのなかにダイブ。
「おっと、ごめんよぉ!」
「こりゃあ! 気をつけんか!」
泥だらけで怒鳴る祖父を捨て置き、バンは先を急ぐ。
『そらそらそらぁ!』
黒虎は攻撃の手─正確には攻撃の口と言うべきか─を休めない。
やっとの思いでかわす少女の足元に一発の火球が着弾、爆発。爆風によって吹き飛ばされ、水田に落ちた。
「しまった……」
『ざまぁねぇなぁ。泥にまみれて死んじまうなんてよ!』
少女はぬかるみに足をとられて動きが鈍っている。そこに黒虎がとどめの一撃を放つ。回避不能。
「うおぉぉぉっ!」
叫び声をあげながら全力疾走してきたバンが、少女に向かって飛び込んできた。そのまま少女を押し倒し、すんでのところで火球を回避。水浸しの泥まみれになりはしたが、ふたりとも無事だった。
「おまえ……」
「助けにきてやったぜ」
バンは泥のついた顔でにっと笑った。
『ちっ、かわしやがったか。ならばふたりまとめてあの世行きだ!』
やべぇ、次のはかわせねぇ──。
黒虎が二撃目の発射準備に入るまえに、少女はすでに行動していた。黒虎のほうに向けてブラスターを構えている。
『バカが。そいつでおれさまは倒せん』
にやりと口をゆがめる。
だが少女の狙いは黒虎ではなかった。目のまえの水田目がけてブラスターを発砲し、泥水の津波を引き起こす。
『なにぃ、ぐおぉぉ!』
泥流は油断していた獣を飲み込み、その視界を奪った。黒虎は顔についた泥を前足でぬぐおうとするが泥まみれの足ではうまくいかず、頭をぶんぶん振っても頑固な汚れはなかなか落ちない。
いまの内にと、ふたりは水田のぬかるみから抜けだして軽く泥を払う。
「ふぅ、あぶねぇとこだったな。あっ、そうだ。あれを持ってきてやったぞ」
と、キャリーケースを指さして言った。
「助かった。だがダメなんだ、クゥがいなければ……」
「それって、こいつのことだろ?」
バンは懐から小動物を取りだし、少女に手渡す。
「クゥ! 無事だったのか、よかった……」
少女はほおをゆるめた。常に無表情か怒ってばかりだった彼女の見せる、やさしい顔つきだった。
「でもよ、ずっと寝てるみてぇなんだ」
「大丈夫だ。いま起こしてやるからな」
少女がそう言うと、手のうえで眠っている小動物のまわりがぼうっと光りはじめた。
「光った……」
よくわかんねぇけど、あったけぇ感じがする──。
光がおさまると、小動物がくりくりとした目をあけ、小さな口で大きなあくびをした。
「ふわぁ──あららっ、ここはどこです?」
「なっ……こいつもしゃべるのか!」
しゃべるトラに続いてしゃべるイタチまであらわれた。こうなると、お次はなにが話しはじめるのだろうか。草か、木か、石か。もうなにがしゃべってもおかしくないぞ、とやけくそ気味に考える少年であった。
眠い目をこするオコジョに、少女が声をかける。
「寝ぼけている場合ではないぞ。戦闘中だ」
「なんですと! 敵はどこですか!」
オコジョは少女の手のひらのうえで二本足で立ちあがり、しゅっしゅっと前足を突き出してシャドーボクシングをはじめた。
「いやいや、ムリだろ。食われるだけだって」
「まだ寝ぼけているな。ほら、しゃきっとしろ」少女がムダに張り切っている小動物を指でつつく。「久しぶりの戦闘だが、いけるか?」
「はっ!」と、オコジョはようやく寝ぼけ状態から覚醒し、少女の顔を確認して言った。「はい、もちろんですとも!」
気をつけの姿勢をとり、びしっと敬礼。細長い胴体と短い前足がなんともアンバランスだ。本人はいたって真剣なのだろうが、どこかおもしろおかしく見えた。
「よっしゃ、おれも負けてらんねぇな。ちったぁ役に立つぜ」
「必要ない」
少女はぴしゃりと言い切った。
「って即答かよ! いまだって助けてやったじゃねぇか」
「もう助けは必要ない。すでに勝ちは決まっているからな」
「はぁ? なんでそんなことが言えんだよ」
「あとはわたしたちに任せておけ。いくぞ、クゥ」
「承知しました!」
クゥと呼ばれた小動物は威勢よく返事をしたあと、少女の首にしゅるりと巻きついた。首を一周し、尻尾の先を前足でつかむ。すると、小さな獣は飾り気のない質素な装飾品のように姿を変えた。
へんげしやがった──。
キツネやタヌキなど、姿を自在に変えることのできる妖怪がいるという話を、バンは聞いたことがあった。この小動物もその類なのだろうか。
「そんなんで勝てんのか? 首輪なんかつけてよ」
「わたしは飼い犬ではない。せめてチョーカーと言え」
「ちょぉかぁ?」
「まあ、いい。おまえは離れていろ」
少女はバンの持ってきたキャリーケースに近づいた。
『ぐおぉぉぉっ! ふざけたマネしやがってぇ!』
黒虎が吠えた。文字通り自分の顔に泥を塗った相手を血眼になって探す。
「やべぇな。あのやろう、めちゃくちゃ怒ってんぞ。はやくなんとかしてくれ!」
「言われなくともわかっている」
少女は大剣の柄を握る。
「おい、そいつは振れねぇんじゃなかったのかよ!」
「振れないだろうな。ふつうの人間には」
「だったら──」
「だが、わたしは……」
大剣をつかんだまま目を閉じる少女。
なんなんだよ。こいつ、人間じゃねぇとでも言うつもりなのか――。
少女はかっと目を開く。その瞳は金色に輝いていた。
そして、唱える──
「装身!」
少女の声に応えるかのように、大剣がぱっと弾け飛んだ。
爆発したのか……いや、ちがう──。
弾けた大剣は無数の光の粒となって少女のからだを包み込み、鎧を形作っていく。少女の首から下を覆い尽くす黒々とした鎧。
それと同時に少女のからだにも異変が起こる。
黒髪が新雪のように白く染まり、ざわざわと伸びてゆく。そして頭頂部には、ふたつのふさふさな狐耳。
額に巻かれた鉢巻のような防具。その後頭部側にあいた穴が長く伸びた白髪をひとつにまとめ、獣の尻尾のようなポニーテールをつくっている。
大剣が鎧に変わり、役目を失った縄は地面に落ちたが、少女の手に残されたものがあった。刀だ。その長さは大剣と同じく身の丈をこえ、厚みは通常の何倍もある。いわば大剣は、少女を守る鎧であり、大太刀をおさめる鞘でもあったのだ。
大剣はなまくらで振ることも叶わなかった。しかし、大太刀の研ぎ澄まされた刀身は物語る。これは生物の命をいともたやすく断ち切る存在である、と。
『それは、鋼血の膚……!』
鎧を纏った少女の姿を見て、黒虎が震えた声でつぶやいた。
こうけつの、はだえ──。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます