#7 襲い来る黒い影
「あ、そうだ。ねぇねぇ、バンにいちゃん」
「うん、どうした?」
「バンにいちゃんにね、見せたいものがあったの。えっとね──これ!」
里の少女は懐からなにかを取り出し、バンに見せつける。
「えっと、ふつうの野イチゴだな」
「あれ? これじゃなくって──こっち!」
「今度は、ヘビの抜け殻か?」
「あれぇ? これでもなくって──」
少女はあれやこれやを取り出してはそこらへんにポイポイと投げ捨て、自分のまわりを散らかしていく。
「バンよ、こっちへ来るのじゃ!」
森と里の境界線あたりにいる里長が手招きしていた。
バンは「またあとで見てやるからな」と少女に告げ、祖父のもとに行く。
「どうしたんだよ、じっちゃん」
「遊んでいる場合ではないぞ。おびゃっこさまがわしらのために戦ってくださるのじゃ。見届けるのが守り人としての責任だとは思わんか?」
「おれたちのため、ねぇ。あいつ、頼まれなくても自分の都合で戦う、とかなんとか言ってなかったか?」
「そうだとしても、守り人の里を救ってくださることに変わりはない。おまえも黙って見守るのじゃ」
「わかった、わかった」
バンはふたつ返事をして茂みに隠れ、里の様子をうかがう。
おびゃっこさまらしき少女はあぜ道を歩いていた。
両側にひろがる田んぼは見るも無残な姿に成り果てている。秋になれば実った稲穂が黄金色のじゅうたんをつくるはずだったのだが、生長途中の稲は踏みつけられて泥水のなかに沈んでしまっていた。
突如として、田んぼの泥のなかから巨大な妖怪が姿をあらわす。
巨体をぐねぐねと動かし、泥のしぶきをまき散らしながら飛び出してきたのは、巨大ミミズの妖怪だった。その大きさは大トカゲや大カマキリの比ではない。大木のように太いからだで押しつぶそうと、少女に迫りくる。
少女は冷静に反撃。連射。巨大ミミズをハチの巣に変えた。
くずれ落ちる巨体。どばしゃぁん、と大きな音を立てて田んぼに倒れ込む。あたりに泥水の雨が降った。
その様子を遠くから眺める里長は、腕を組んで誇らしげにうなずく。
「おぉっ! さすがはおびゃっこさまじゃ」
「いや、まだだ。上だぁ! 上から来るぞぉ!」
バンが叫ぶ。
少女はその声に素早く反応し、ブラスターを空に向ける。片手で銃を構え、もう片方の手で太陽光をさえぎりながら、対空射撃。
上空からの奇襲を狙っていたのは大コウモリの妖怪だった。飛膜に被弾。大穴があいて飛行不能に。ふらふらと落下する先は激しく燃えている小屋で、かろうじて残っている屋根を突き破ってなかへ。
断末魔の叫びがあがる。呼吸もままならず、生きながらに体を焼かれる苦しみは、いかに強靭な肉体を持った妖怪といえども耐え難いものなのだろう。
叫び声は消え、小屋は崩れた。
「終わった、のか?」
「うむ。村を襲った妖怪はいまのコウモリで最後じゃ」
里長は自信を持ってうなずくが、バンの心のわだかまりはまだ消えていなかった。
ほんとにこれで終わりなのか──。
バンには先程の少女の態度が気がかりでならなかった。こんなにあっさりと倒せるような相手ならば、少女があれほど感情をあらわにするはずはない。やはりコッコという言葉がなにか重要な意味を持っているのだろう。
実際のところ、少女はまだ警戒を解いていなかった。コッコとやらの気配が消えていないのだろうか。
「ねぇねぇ、あったよ」里の少女がバンの背中を指でつんつんした。「バンにいちゃんに見せたかったのはねぇ、これなんだ」
「やっと見っかったのか。どれどれ──」
と、バンは振りかえろうとする。
そのとき、何者かの咆哮が山中に轟いた。まるで雷でも落ちたかのような吠え声は、はるか遠くまで響きわたる。鳥たちは一斉に飛び立ち、獣たちは我先にと走り去っていく。
「やっぱり、まだ残ってやがったのか!」
「バンにいちゃんってばぁ」
「わりぃ、またあとでな」
「もぉ、さっきもまたあとでってゆってたのにー」
後ろで幼い少女がぶぅぶぅ文句を言っているが、いまは構っている場合ではなかった。新たな敵が迫ってきているかもしれないのだ。
こだましていた雄叫びが消え、鳥や獣たちが逃げ去ったあとの森は、しんと静まり返っていた。その静寂を破るようにして、なにかが木々をなぎ倒しながら山のなかを突きぬけてくる。
森から黒い影が跳びあがった。村に向かって放物線を描いてやってくる。まだ火のくすぶる民家に着地。木造家屋の焼け残っていた屋根や壁が完全に粉砕され、あたりには灰や土煙が立ち込めた。
来やがった──。
煙のなかから、一匹の黒い獣がゆっくりと歩いてくる。
血液を連想させる赤みがかったドス黒い体毛に、紫の縦じま模様。多くの生き血をすすってきたであろう鋭い牙が、わずかに開いた口からのぞいている。
トラだ──。
一歩、また一歩と、獲物を求めて進んでくる。その足先では、少女の喉笛を引き裂こうとする爪がぎらりと光る。
「黒い虎の妖怪……黒、虎……そうか、あいつがコッコってわけか」
なにがニワトリだ。なにがコケコッコーだ。そんな甘っちょろいもんじゃねぇ。こいつは、やべぇ──。
少年は持ち前の野生の勘で危険を察知する。黒虎から発せられる強烈な威圧感は、すでに少女によって葬られたほかの妖怪たちとは比べものにならなかった。離れたところにいるバンにもこれだけ圧を与えてくるのだから、近くにいる少女の受けるプレッシャーはすさまじいものに違いない。
「なるほどのう。黒い虎と書いてコッコか。あやつが里を襲った妖怪どもの親玉というわけじゃな」
「たぶんな」
「まあ、おびゃっこさまなら心配いらんじゃろう。さっきの妖怪と同じように退治してくださるはずじゃ」
「あぁ、だといいけど……」
バンはなにもできない自分の無力さをもどかしく思いながら、茂みの陰から少女の戦いを見守り続ける。
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