#6 コッコ

「ん?」


 バンはひらひらと落ちてくる木の葉にふと注意を向けた。


 あれ? 葉っぱが──。


 いまの季節は夏、ここは木々の生い茂る森のなか。上から木の葉が落ちてきてもなんら不思議はない。それでも、少年は違和感を覚えた。


 じっちゃんのまわりにだけ、やけに落ちてきてるような──。


 バンは視線を上に向ける。

 里長のそばに生えている木、その上のほうに一匹の妖怪がへばりついていた。三角形の頭部にぎょろりと大きな目がふたつ。体色は幹に擬態するような茶色。手は鎌状になっていてぎらりと光る。


 カマキリだ──。


 細身だが人よりも大きな体をしたカマキリの妖怪。その巨大な鎌はたやすく獲物を引き裂くことができそうだ。里長を狙って静かに近づいている。


「あぶねぇっ!」

「なんじゃ、どうした?」


 里長は自分の身に危機が迫っていることに気がついていない。仮にいま気がついたとしても、もう回避の間に合うタイミングではなかった。

 ハンターの鋭い大鎌が獲物の頭部を目がけて振りおろされる。一撃必殺を狙った渾身の一振りだ。


「じっちゃん!」


 少年は助けようと手を伸ばす。


 ダメだ、間に合わねぇ──。


 そのとき、大鎌に向かって一筋の光が走る。


 これは、さっきと同じ──。


 少女の構えるブラスターから放たれた閃光が大カマキリの鎌に直撃。粉砕。ばらばらに砕けた鎌の破片があたりに飛び散る。


「ぬおぉっ!」


 不意の出来事に驚いた里長は転倒した。


「きえぇぇぇ!」


 自慢の鎌を砕かれた大カマキリは耳障りな甲高い悲鳴をあげ、木から地面に落下した。手足をわしゃわしゃと動かしてもがき苦しんでいる。

 そこへすぐさま放たれた第二射が大カマキリの頭部を消し飛ばす。首から体液が出ることもなく、体からは力が抜けていった。

 昆虫型妖怪、沈黙。


 す、すげぇ……あいつ、やっぱつえぇや! あの鉄砲さえあれば、どんな妖怪にだって勝てるぜ──。


 バンはしりもちをついた祖父に手を差し出しながら声をかける。


「じっちゃん、平気か?」

「うむ。ぴんぴんしとる。すこしばかり腰を打っただけじゃ」


 里長はバンの手を借りて立ちあがり、少女に向かって一礼した。


「おびゃっこさま。このおいぼれなんぞをお助けいただき、なんとお礼を言ったらよいか──」

「感謝など不要だ」


 少女は冷たく言い放った。


 相変わらずよくわかんねぇやつだなぁ。親切なのか薄情なのか──。


「しかし──」

「わたしの都合で助けたまでだ。おまえたちに滅んでもらっては困るからな」


 と言って、少女は里のほうに二、三歩進み、目を閉じる。


 なんだ……なにかを探ってるみてぇな──。


 少女が感覚を研ぎ澄ましてほんのわずかな音も気配も逃すまいとしている。バンにはそのように見えた。


「──いるな。この感覚、間違いない」

「いるって……なにが?」

「……コッコ……」


 少女はぎりぎりと歯を食いしばった。

 砕けそうなほどに噛みしめられた歯のすきまからこぼれ出た言葉は、バンの問いに対する答えではなく、無意識にもれ出たもののようだった。少女の小さなからだに収まり切らない激情が、言葉となって口からあふれたのだ。

 少女はひとり森を出て、里のなかへと歩みを進める。


「おい、待てって! ──行っちまった。コッコってなんだよ。ニワトリか?」

「ふむ、コッコとな。聞いたことがある」


 バンの祖父が言った。


「ほんとかよ、じっちゃん」

「うむ。たしか……人に仇なす妖怪だという話じゃ」

「それで?」

「それだけじゃが?」

「──もっとねぇのかよ! どんな姿をしてるとか、どっから来たとか、どうして人を襲うとか。なんかあるだろ!」

「知らんもんは知らん。里に伝わっているのはそれだけじゃ」

「ったく、肝心なところで役に立たねえんだから。やっぱりただのニワトリじゃねぇのか? コケコッコー、ってな」


 と軽口を叩きながらも、少年は内心穏やかではいられなかった。コッコとつぶやいた少女の様子が尋常ではなかったからだ。


 あいつならきっと大丈夫さ。トカゲもカマキリも、余裕でぶっ倒したんだ。どんなやつが相手だって、負けるはずねぇ──。


 少年は自分に言い聞かせる。だが、イヤな予感を拭い去ることはできなかった。


「バンにいちゃん!」


 幼い少女が森の奥から走ってきた。

 バンは駆け寄ってきた里の少女のあたまをなでる。


「ケガはないか? こわくなかったか?」

「うん! みんないっしょだからへーきだったよ!」

「そっか、よくがんばったな」


 バンのことを兄と呼んで笑みを浮かべるこの幼い少女は、彼の実の妹ではない。里の子どもたちはみな仲が良く、兄弟姉妹のように遊んだり面倒を見たりしていた。バンにとっては妹分ということだ。


「あれ、おびゃっこさまは? バンにいちゃんがおびゃっこさまをよんできてくれるって、おとーさんたちがゆってたよ?」


 少女はきょろきょろとあたりを見まわしておびゃっこさまを探す。


「もちろん。すっごくつえぇやつを連れてきたぞ。こわーい妖怪は、みんなそいつがやっつけてくれるからな」

「ほんとに?」

「ほんとさ。おれがウソをついたことがあるか?」

「うん、たくさん。バンにいちゃん、いっつもウソをついて、いっつもさとおさのおじいちゃんにおこられてるもん」

「あれ、そうだっけ? あははは……」


 バンは頭をぽりぽりとかき、笑ってごまかそうとする。

 こういうときには日ごろの行いがものを言うのだ。里長を継ぐことになる少年には、まだまだ自覚と里人からの信頼が足りていないのだった。


「やれやれ。世話の焼ける孫じゃ……」とつぶやき、里長がフォローに入る。「バンの言ってることは本当じゃよ。おびゃっこさまはわしらを助けにきてくれたのじゃ」

「ほんとなんだね。やったー!」


 幼い少女はぴょんぴょん跳ねまわり、全身でよろこびを表現する。


「ちぇっ。じっちゃんのことはすなおに信じるのな」

「これが人望の差じゃよ。おまえさんも里長になるのだから、心を入れ替えて精進せねばならぬぞ」 

「へいへい、わかりましたよっと」


 少年は頭の後ろで手を組み、つまらなそうに口を尖らせた。

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