第16話 お嬢様、私の度重なる無知を、お許しください。

 土産屋『ズーズー』。

 ファレンダー国立動物園の土産ショップで、動物園オリジナルグッズから、動物をモチーフにしたマグカップやキーホルダーなどが売っている。


 もちろん、大人気の

 皇帝ペンギンカイザーピングイーンムムグッズもしかり。


「あっ! 見てくださいデセオさん!」


 肩までのウェーブがかった焦茶の髪をしているピノ・アリーレンは、『ムム特設コーナー』に走っていった。


「(走る姿、お背中、全てがお可愛いらしい。丸っとぽよっとしたお嬢様は、動くだけでお可愛らしい、いや、存在しているだけでお可愛らしい。毎日、俺の股間が危ういから、存在しないでほしい。いや! 存在しなければ愛せない! ……ああ、お嬢様は罪深きお方だ。)どうしました、お嬢様」


 灰色の短髪に銀のラウンドピアスをした、変態執事は爽やかな笑みで変態妄想をしつつ、ピノにゆっくりと近づいた。


「ムムくん等身大ぬいぐるみです!」


 ピノは百三十センチあるムムぬいぐるみを、欲しかった玩具おもちゃを買ってもらえた子どものように無邪気に笑い、抱きしめた。


「——……」


 デセオは、笑顔のまま停止すると、


「俺は馬鹿か!」


 ムム特設コーナーに頭を数回打ちつけた。


「お、お客様! 商品棚を壊すのはっ!」


 レジにいた店員が駆けつけようとし、


「あぁ?」


 鋭い眼光で斜め下から見上げられ、


「す、すいませんでしたー!」


 飼育員の時のように、怯えてレジに走っていった。


「デセオさんっ、どうしたんですかっ?」


 ピノはムムぬいぐるみを抱きしめたまま、デセオに走り寄った。


「お嬢様、わたくしの度重なる無知を、お許しください」


 デセオはじんわりと額が赤くなるのも気にせず、胸に手を当てゆっくりと傅いた。


「え、何がですか?」


わたくしは、もっと早く気づくべきでした」


「えと、だから、何がでしょう?」


「そのムムたん等身大ぬいぐるみを! 早くお嬢様にお贈りすべきだったと!」


「え……?」


 デセオは両手で頭を押さえ、天を仰いだ。


「男性なのに! お嬢様と思ってしまうほど可愛いムムたん! の! 等身大ぬいぐるみ! それをお嬢様が持つということは! 可愛いの相乗効果で! お嬢様がさらにお可愛らしくなる事に! もっと早く気づくべきでした!」


 デセオは声を張り上げ、懺悔した。


 だが、ここは土産ショップ。いくら入場者は少ないといえど、ゼロではない。よって、


「ムムを女の子だと思ってたの?」


「というか、可愛いの相乗効果って何?」


 周りの客が騒めき出した。


「デッ、デセオさんっ、恥ずかしいですよっ」


 ピノはデセオの燕尾服の裾を掴んだ。


「でしたら、その、ムムたん等身体ぬいぐるみを贈らせていただける事を、お許しいただけますか?」


「えっ、いいんですか? 大きいから結構お値段しますよ?」


「お嬢様のおかげで借金は返済でき、幾分貯えもございます。ぜひ、贈らせてください」


「——はいっ、ありがとうございますっ」


 どこか寂しげないつもの笑顔じゃなく、ピノの照れ臭そうに、でも、嬉しそうな笑顔に、


「おっふ!」


 デセオは股間を押さえた。


「だ、大丈夫ですかっ?」


「大丈夫でございます。では、お嬢様、少しムムたんをお借り致します。会計を済ませて来るので、少々お待ちください」


 デセオはピノの手から、ムム等身大ぬいぐるみを持ち上げた。


「はい、ここでムムくんのグッズを見ていますね」


 ピノはムムグッズを眺め始めた。それを確認したデセオは、両手でムムぬいぐるみを持ったまま、きれいな姿勢でレジに向かった。



 レジに向かう途中、デセオはふと足を止め、ムムたんぬいぐるみを正面に向けると、自分の目線まで持ち上げた。


「ムムたん様、あなたも罪深きお方だ。あなたがお嬢様といられると、お嬢様の可愛さが半端ない。可愛いの相乗効果中のあの笑顔はヤバい。どうしてくれますか」


「しょうがないよー、ピノお嬢様は世界一可愛いんだからー」


 デセオの高い声による、ムム腹話術である。


「確かに、お嬢様は世界一お可愛らしい。だが、あなたと一緒にいる中で、あんな笑顔を向けられてみてください、わたくしの股間が持ちませぬ」


「お嬢様と男女の営みをする前に爆発させちゃうのー?」


「いや、しない。おとこデセオ、いつか来るその日を夢見て、耐えてみせます」


「僕を見て自分を慰めていたのにー?」


「それは! あなたが可愛らしいから!」


 デセオは、変態だが美男である。

 燕尾服をきっちり着こなし、きれいな姿勢で腹話術にてぬいぐるみと会話をする様子は、


「ママー、あのお兄ちゃん、ぬいぐるみとおしゃべりしているよー、変なのー」


 とても目立つ。


「こらっ! 見たらいけません!」


 客の子供がデセオを指し、その親と思われる女は、子の手を引き、そそくさと土産ショップを出て行った。


「いかんな、お嬢様を待たせているんだった」


 デセオは、何事もなかったかのように、レジに向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る