第8話 お嬢様、あなたは大変お可愛いらしい。

「ピノお嬢様の専属執事になれた。それもお嬢様自らお声がけいただいて。暗殺者アサシンから足を洗い、執事になってよかったと、心から思ったぜ。お嬢様も笑顔で迎えいれてくれた」



『すごい! すごいよ! デセオさん! 首席で卒業したんだね! おめでとう!』



「俺は、あの時のお嬢様の笑顔を忘れない。何故ならば、心から笑ってくださったのは、あれが最後だったからだ」


 優しい笑みで過去を思い出していた、灰色の短髪に銀のラウンドピアスをした、デセオ・バーリッシュは、鬼気迫る表情に変わった。


「それからは、俺の誕生日などは、贈り物をくださり笑ってくださるが、いつもどこか元気がない。お嬢様の誕生日に俺が贈り物をしてもだ!」


 デセオは爪がめり込む程、右手を握りしめた。


「全て全て! テメェが原因だ! テメェらは豪華な食事! 賑やかな会話! その中に見せつけるようにお嬢様も入れ! 半分以下の質素な食事を与える! あれは最早! 拷問だ!」


 デセオは右手で壁を殴った。元々体つきもいい元暗殺者の拳は、壁にひびを入れた。


「他の執事やメイドも見て見ぬふり! やっぱり俺は思ったぜ! お嬢様以外はクソだと!」


 デセオが右手を払うと壁の破片がパラパラと落ちた。関節が赤くなったのを気にせず、彼はまた手を伸ばし、あるはずのないスイッチを押した。


「故に、お嬢様のいないアリーレン家など、クソ、いえ、クソ以下のカスーレン家。よって、仕える価値はございません。それに、わたくしはピノお嬢様の専属執事、お嬢様と常に共にあるのが、当然でございましょう」


 そう言って穏やかに笑ったデセオの笑顔に、怒気は含まれていなかった。


「ま、まぁいい。お前がついていてくれることで、減量を後押ししてくれるんだろうからな!」


「……ちっ」


「お前また!」


 わかりやすく舌打ちをしたデセオを見て、焦茶髪のリーゼント頭に、口髭を蓄えたピノの父親、カパル・アリーレンはさらに怒りで顔を赤らめた。


 そして、肩までのウェーブがかった焦茶の髪に、茶色の大きく可愛らしい瞳の、ピンクのパフドレスを着た寸胴体型なピノ・アリーレンは、


「はいっ、デセオさんっ」


 とにかく物分かりが良かった。何かを察して、爪先立ちになり、あるはずのないデセオのスイッチを押した。


「おお……、ありがとうございます。最早、阿吽あうんの呼吸でございますね。わたくしは嬉しゅうございます。……ふぅー」


 デセオはがっしがっしと頭をかいた。


「テメェはさっきから俺の話を一つも聞いてねぇなぁ。俺は! 今のお嬢様の体型は! 女性の魅力を最大限に引き出せる究極のフォルムだと思っている! そこに関しては感謝してもしきれねぇ! 筆舌ひつぜつに尽くしがたいだ! そう思っている俺が! 減量を後押しするわけねぇだろ! 寧ろ阻止するためについていくんだよ!」


「なっ、何ぃ!?」


「ま、あとは、元暗殺者アサシンなのを活かし、護衛も兼ねてだな。お嬢様はこんなにもお可愛らしい、どこぞのクソヤロー虫がうじゃうじゃ寄ってくるかもしれねぇ」


「……大丈夫、そんな人いないよ」


 ピノが悲しげに苦笑すると、


「そうだ! だから俺が婚約者探しに苦労したんだ!」


 カパルは賛同した。


「そうか、なら、やはりテメェはカスルだな」


「な、何だとぉ!」


「お前の娘に、変な虫がついているぞ」


「何!? どこのどいつだ!?」


 カパルは辺りをキョロキョロと見渡した。


「どこを見てやがる、ここだ」


 デセオは自らを指した。


「ここ?」


「そう、俺だ」


「お前ぇ!?」


「今だから言うがな、俺はお嬢様を性的な目で見ている。初めて会った時からずっとな」


「「えぇっ!?」」


 不仲と言えど、さすがは親子。ピノとカパルの声が重なった。


「テメェが知らない所で、お嬢様と会ったあの日から、俺は頭の中であれやこれやしている」


「こっ、この破廉恥執事が!」


「娘をデブ呼ばわりするテメェに言われたくねぇなぁ。それに大体、俺の中でデブっつーのは、百キロや三百キロの、自分一人じゃ動けねぇ奴のことだ。お嬢様はデブじゃねぇ。その証拠に毎日愛らしく動いてらっしゃる」


 デセオは恍惚の表情を浮かべ、天井を見上げた。


「お嬢様は動きなさるだけでお可愛いらしく、その度に俺は荒ぶるこか……、御魂みたまを鎮めるのが大変なくらいだ」


「神々しいような言い方をしたが! 荒ぶる御魂とはつまり! 股間ということだろうが!」


「そうだが」


「このド変態が!」


「何に怒っているのか知らねぇが。こういう時は喜ぶべきじゃねぇのか? 自分の娘に好意を持っている男がいることを」


「変態の好意などいらん!」


「ああ、そうかよ。残念だがな、お嬢様はこの変態と旅に出る、どっかの酷い父親のせいでな」


「うぐっ……」


「じゃあな、カスル。せいぜいお嬢様を追い出したことを懺悔でもして過ごせ」


 デセオはピノの背中をそっと押し、彼女の部屋に戻ろうとした。


「そうだ! 貧民執事!」


「は?」


 靴を脱ぎ、ピノの肩を押して歩きかけていたデセオは鋭い眼光でカパルを睨んだ。


「マ、手引書マニュアルはちゃんと残していくんだろうな! 執事たちへの!」


手引書マニュアル?」


 デセオはピノの肩から手を離すと、背中に手を伸ばし、彼のいう“執事スイッチ”を押した。


「そのようなものは、そもそもございません」


「はぁ!? じゃあ今までどうやって執事たちに指示をしてきたんだ!」


「……旦那様は本当に頭がお弱くいらっしゃるのですね」


 デセオは哀れげな視線をカパルに向けた。


「何回も言わせないでくださいませ。わたくし貧民街スラムタウン出身、読み書きは執事専門学校で習ったとはいえ、基本、苦手なのでございます」


「だからどうやって!」


「ここでございますよ」


 デセオは右の人差し指で、頭をトントンと叩いた。


「あ、たま?」


「そうでございます。手引書マニュアルわたくしの頭の中にございます。良くも悪くもわたくしは元暗殺者アサシン。人体の組織から、急所、毒薬の種類など、様々なことを覚えさせられました。故に、記憶力だけはあるんでございます」


「な、なるほどな……」


「よってわたくし自身が、生きる手引書マニュアルわたくしがいなくなるということは、手引書マニュアルもなくなるということでございます。良うございましたね」


 デセオは穏やか且つ爽やかに笑った。


「一つも良くないぞ! 執事たちの統一はどうしてくれる!」


「旦那様?」


 デセオは笑顔を深めた。


「いつか出版された書籍に、書いてあったではありませんか。“我が家の執事は超一流だ”、と」


「なっ……」


「たかが、筆頭執事、それも貧民の、そんな者が一人欠けたくらいで、統一されないなんて事はございませんでしょう? 超一流、なんですから」


「あば、あばば……」


 痛い所を突かれ、ぐうの音も出ないのか、カパルは言葉にならない声を、腹を空かせた魚のように口をパクパクさせながら発した。


「では、わたくしとお嬢様は、旅の準備もございますので、これで失礼致します」


 デセオは胸に手を当て傅き、体を戻すと、


「ささ、参りましょう、お嬢様」


 ピノの肩をそっと押し、彼女の自室へと誘導した。


「え、あ、うん……」


 ピノはカパルを心配そうにチラチラと見つつ、部屋へ戻っていった。


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