第2話 お嬢様、こいつ刺してもいいですか?

「死んであそばせくださいますかってお前な! ご婦人のような言葉使いをしているが! 少しも俺に敬意が払われていないぞ!」


 喉元にナイフを突きつけられた、ピノ・アリーレンの元婚約相手、グロンド・ラッヘンは、膝を高速で震わせながら叫んだ。


「ええ、そうでございましょう。わたくしは、微塵も敬意を払っておりませんから」


 脅している張本人、灰色の短髪に、両耳にギンのラウンドピアス、黒の燕尾服を着こなしているアリーレン家の筆頭執事、デセオ・バーリッシュは、爽やかな笑顔のまま、グロンドの喉元にまた少し、ナイフを近づけた。


「ですが、お嬢様をお選びになった、御眼鏡だけは、賞賛致します。ですので、選択肢を増やしてさしあげましょう。失礼」


 デセオは、テーブルに置かれていたフォークを手に取ると、グロンドの目元に近づけた。


「目ん玉レアステーキにされたいか、痛みを感じる間もなく喉を切られたいか。お選びください?」


「どっちも死ぬよな!」


 グロンドはデセオを睨み上げた。


「ええ、ですから、死んであそばせくださいませと、申しましたよね?」


「何かお前が言うと上品どころか恐ろしいな!」


「そもそもですよ」


「ひっ!」


 デセオはグロンドの目蓋に軽くフォークを当てた。


女性レディを待たせたあげく、罵倒しお泣かせになられるとは、それでもあの名家五本指に入ると言われている、資産家の御子息様ですか? 紳士たるもの、先に到着しているべきでしょう。あ、まぁ、いいのか」


「ひいっ!」


 ナイフの刃がグロンドの喉元、ギリギリの位置で止まった。


「これから、お亡くなりになるのですから」


 デセオは紳士的に笑うと、グロンドを見下ろした。


「さぁ、いかがさないますか? わたくしとしては、痛みを感じる間もなく、お死にできる方をお勧め致します」


「嫌に決まってんだろ!」


「では、目ん玉レアステーキですか。それは喜ばしいですね」


「は!? ひっ!」


 グロンドの喉元に突きつけられていたナイフが、左目の真下に移動した。


「じわじわと、あーじわじわと! 痛みを感じながら! お嬢様を罵倒した事を後悔し! 死んであそばせくださいませ!」


「ひいぃ!」


 デセオは右手に持っているフォークを、グロンドの目元に平行して近づけていく、


「……デセオさん」


「はうっ!」


 その手を、ピノは柔らかな手で優しく包み込んだ。


「それはダメです。デセオさんが逮捕されて、いなくなるのは……、寂しいです」


「寂っ……」


 デセオはナイフとフォークをカランカランと床に落とすと、口を手で押さえ、頬を紅潮させた。


「俺、いえ、わたくしがいなくなると、寂しいですか?」


「……はい」


 ピノが恥ずかしそうに頷くと、


「ふおっ!」


 デセオは股間を押さえた。


「……そこの、クソンド様」


「クソンド!?」


「私は今、股間が、……間違えた。気分が高まっております。お嬢様を泣かせた事は、これで相殺されました故に、ご帰宅されたくば今の内に行かれてあそばせくださいませ」


「おっ、覚えておけよ! お前の父親に言いつけて! 町を歩けなくしてやるからな!」


 グロンドは、ガニ股で膝を震わせながら、五つ星レストランを後にした。


「もう忘れましたとも。今の俺は、お嬢様で頭がいっぱいですので」


 デセオは、恍惚感に浸り、天井を見上げた。


「お嬢様、お手洗いに行ってきてもよろしいでしょうか。少しお待たせしてしまうかもしれませんが」


「えっ、大丈夫ですか? 体調でも悪いんですか?」


 ピノは不安げにデセオを見上げると、手をぎゅっと握った。


「ひはっ! いやいや、大丈夫でございます。少し、荒ぶっている股間……、じゃなくて、

心を落ち着かせてくるだけでございます故。少々お待ちを」


 デセオはピノの両手をそっと離すと、紳士トイレに向かった。






 紳士トイレ。


 デセオは一目散に洋式トイレ室に入り、鍵を閉めた。そして、便座の蓋を開けないまま便器に座ると、己の下半身を見つめた。


「…………」


 真顔で考え込んだと思ったら、ガクンと頭を下げた。


(馬鹿だろ俺。何をお嬢様が握ってくださった手で、自分を慰めようとしているんだ。恥ずかしがり屋のお嬢様が手を握ってくださる事なんて滅多にないんだぞ! そんな貴重な今の手を俺ので汚してどうする! 手は洗うな! 一週間! いや、一ヶ月は!)


 美男の見た目に惑わされてはいけない。


 デセオは、ピノを盲愛している、変人、いや、変態であることを。

 

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