第50章| プリーズ・トラスト・ミー <8>凄腕シゴデキの新人保健師!? その2 店長の間黒さん

<8>



「店長の間黒まぐろと申します」


店長ネイリストの間黒さんは、褐色の肌をしたスリムな女性だ。

いかにも明るい性格、といった陽気のようなものが全身から放たれている人だった。



彼女は、ちょっとごめんなさいね、と言って不織布マスクを外してペットボトルの飲みものを口に含んだ。



「ふー。お店が大盛況で、次のお客さんが来るまでの短時間しか話せないんですけど。わざわざありがとうございます」



「あ、はい。木須社長から、お店で風邪が流行っているとお聞きしたんですが・・・・・・」

まだ一人、施術を受けているお客さんが残っているので声を潜めた。



「そうそう。この店、ネイリストが4人いるんですけど、もう最近、代わりばんこで風邪になってダウンしてるんです」

間黒さんが眉をしかめる。



「この部屋は、少し、換気が悪そうな感じがしますね・・・・・・」


先ほどから滞在していて、やや空気が淀んでいるような感じがしていた。


狭い空間なのでお客さんで満員になれば、人口密度が高くなりがちなのだろう。

部屋の二酸化炭素濃度もわりと高いのかもしれない。



間黒さんが言った。

「ん~。ですよねぇ。ネイルサロンとかって、やっぱりオシャレな街に出したいじゃないですか? それで立地最優先で物件選んだんですけど、見ての通り、ここは古くて狭いビルなんです。内装はリフォームで小ぎれいにできても、構造はどうしようもないでしょう。窓がないから換気も限られてるし、冬はお客さんが寒くなってしまうので、常時ドアを開け放つわけにもいかなくって。

でも締め切っていたら、風邪はうつりやすくなりますよね」



「換気をすることと、湿度をある程度保つことが感染症の伝染防止には肝心かと思います。参考までにお伝えしますと、事務所であれば『事務所衛生基準規則』という法律がありまして、努力義務ではあるんですが、事業者は空調などがある事務所で、部屋の気温が17℃以上28℃以下、および、相対湿度が40%以上70%以下になるように努めなければならないとされています」



「へぇ~。さすが『凄腕シゴデキの新人保健師さん』!! よくそんなこと知ってますね~。うちの店は冬場の湿度はせいぜい25%くらいかな。加湿器はあるけど、乾燥してますね。もうあと何台か、加湿器を置いたほうがいいのかしら・・・・・・」



「そうかもしれませんね・・・・・・」



――――――――私は、別に『凄腕シゴデキの新人保健師』ではないんですけどねっ・・・・・・(汗)



身の丈に合わないタイトルを貰っているみたいで居心地が悪いなぁ・・・・・・。

勝手に作られた前評判で持ち上げられて、内心は恥ずかしさでいっぱいになりながら平静を装った。



「それと、手洗いなどはされていますか? 」手洗い場が見当たらないので、間黒さんに訊いた。



「あ~、施術の前にアルコール消毒はしてます。このシーズン、感染症対策はお客さんも気になるでしょ、だから敢えて毎回、お客さんの肌に触れる前に、お客さんの目の前でやるようにしてます」



「そうですか。それなら良かったです。でもノロウイルスにはアルコール消毒が効かないので、トイレの後や食事の前は、流水と石けんでの丁寧な手洗いをするようにして、万が一、お店で嘔吐や下痢の患者さんが出たら次亜塩素酸で消毒するようにしてくださいね」



「ノロウイルスの消毒のことは知らなかったです。メモしておこうっと。

あ~、あと。ネイリスト全員、手荒れがひどくて、アルコール消毒がめっちゃ染みるんですよね・・・・・・私たち手が商売道具だから手の保湿は一生懸命しているのに・・・・・・私も、ほら」



間黒さんが見せてくれた手は、よく見ると両手の指先、手の平、手の甲などに、小さなあかぎれのようなものが点々とできていた。荒れている部分は、皮膚が赤らんで、皮むけもあって痛そうだ。



「たしかに・・・・・・。保湿剤入りの手指用消毒液を使ったりしてもいいのかもしれませんね・・・・・・」



「そうですよね・・・・・・。やっぱり消毒剤が合わないのかしら。えーと、ウチの店ではどんなアルコール消毒液を使っていたかな? 

ここはお店が狭いから、アルコール消毒液とかジェルリムーバーとかは、各座席に小ボトルを置いて詰め替えているんですよね~。あとで製品を確認してみます。要検討ですね~」

間黒さんは熱心に聞いてくれた。



そのほか、マスクの正しい着用や、免疫力を保つために生活習慣を整えることなど、一般的な風邪対策の話をしたら時間切れだった。



「あっ、次のお客さんが来ちゃった。今の時期はクリスマスが近いから、時間のかかるアートをオーダーする人が多くて忙しいのよね~。足立さん、ごめんなさいね」


「いえいえ。・・・・・・でも、クリスマスまでは、まだ1ヶ月以上あるのに、ですか? 」


「ええ。『ジェルネイル』だと、塗ったネイルが1ヶ月は綺麗にもちますから。あんまり早くからクリスマスネイルにしてしまうのもアレだけど、直前にクリスマスネイルに塗り替えると短い期間しか楽しめないじゃないですか? だから今はちょうど、サンタさんとか、ツリーとか、クリスマスっぽい柄に塗り替えて、12月25日までたっぷり眺めて楽しみたい、っていうお客さんが多いんです」


「そうなんですね・・・・・・!! 」



私が自分で塗っていた『マニキュア』は、塗ったあと1-2週間もすると、すみっこのあたりから剥がれたりして汚くなって、除光液(リムーバー)でオフしたくなってしまうものだったんだけど。



(ネイルサロンでプロに『ジェルネイル』っていうのをやってもらうと、1ヶ月も宝石みたいに綺麗なネイルがキープできるんだな・・・・・・。知らなかった・・・・・・・・・)





「足立さん、今日はありがとうございました。ゴホ、ゴホッ」



帰りの挨拶をするとき、間黒さんも少し、咳をしていたのが気になった。



私の訪問で、少しでもネイルサロンの感染対策が改善したらいいんだけど・・・・・・。

そう思いながら、お店をあとにした。

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