第38章|娘のハーフ成人バースデー<3>抜港(砂見礼子の視点)
<3>
――――――――その日の夕方。
・・・・・・さぁて、そろそろ自宅に帰ろうかな。
そう思ったときだった。
PC画面に向かっていた後輩社員の早乙女さんが声を上げた。
「あれっ・・・・・・台風予報出てる」
「えっ・・・・・・・・・・・・こんな季節に? どこで? 」
持ち上げかけた鞄をもう一度デスクに置いて、早乙女さんのほうに駆け寄った。悪い予感がする。
「台風・・・・・・ですかぁ!? 外、天気良かったですけど・・・・・・」
派遣の飛石さんも寄ってきた。
「香港天文台のページ見てみます」早乙女さんが素早くキーボードをタップする。
「飛石さん、台風は日本じゃなくてもっと南のほうの話よ。ああ・・・・・・ほんとだ。フィリピンから香港方面へ、西に向かって進んでるね・・・・・・。船のスケジュールに影響出ないかしら」
普通はこの季節に台風は発生しない。地球温暖化の影響なのかもしれない。そんなことより、私に関係あるのは天候不順による船スケジュールへの影響だ。早乙女さんがPCに表示させている画面を見ながら、頭の中で素早く計算した。
「・・・・・・ねぇ。『オタ・オタ商事』の展示会向け抱き枕をピックアップする本船のスケジュール、どうなってる? 」独り言のようにつぶやいた。
「運航スケジュールの変更情報、出てますかね」
反応した飛石さんが、船会社のホームページを開いてしばらく黙った。
「えーと、えーと・・・・・・更新情報、あった。『She omits Osaka, Kobe and Nagoya for recovery plan.』って書いてあります」
「Sheは船、omitは省略・・・・・・。つまり“リカバリープランとして、大阪、神戸及び名古屋の経由を省略します”ってこと・・・・・・“
私はいちどシャットダウンした自分の業務用パソコンをもう一度立ち上げた。
――――――まずい事態になった。
船便は、海の上を走る。海は、道路の上よりも環境が不安定だ。
国際輸送を担う外航船は、各国の事情にも左右される。
台風などの天候影響、港湾労働者のストライキ、海賊やテロなど危険事案の発生、港の混雑と停滞。
もしくは、船積み荷物が少なく、寄港しても採算が取れない場合など・・・・・・。
最初は寄港するはずだった船が、スケジュールを一方的に変更して港を飛ばして行ってしまうことがある。それが『抜港』だ。普段乗っている電車やバスではあり得ない感覚だけれど、船の世界ではよくあることだ。
そして、最近、日本の港が抜港対象になってしまう事案が増えている。
産業の空洞化による輸出物量の低下。少子高齢化による需要減、デフレマインド。
積載率の低下。港湾設備の遅れで大規模コンテナ船を受け入れられないというインフラの問題。
正直なところ、日本の港の世界的重要性・地位は低下している。
船会社は公共交通機関でもボランティアでもないから、乗組員に危険が及ぶ場合や各種都合で経済的メリットがないと判断した場合には、一方的な通告で抜港の措置を発動させてくる。
載せる予定だった貨物は倉庫に取り残される。
船から下ろすはずだった積み荷は、次に寄港する日本国内の主要港でまとめて下ろされたりする。
どんな山奥の限界集落にでも分け入って行き、手紙一通、小包一個を配達してくれる国内の配送サービスとはスタンスが違う。外航船の運航はあくまで資本主義的な国際ビジネスなのだ。
今回も船会社が『リカバリープラン』を取った詳しい理由は、ホームページには一切記載されていない。
台風襲来の見込みが分かったからショートカットして早めに航路を進めておきたいのか。
最近慢性化しているシンガポール港の混雑で、大きくずれ込んだ前航海からの累積遅延を回復したいのか。
または今回、地方港の積み荷数が少なくて採算に合わないと判断されてしまったのか。
私たちにはわからない。
ただ・・・・・・・・・・・・。
『オタ・オタ商事』の船積みスケジュールは、既に予定がギリギリになっていた。
もともと船便には遅れがつきものと踏んで、最初はゆとりある日程で横浜発の船便を使う輸送ルートを提案していたのだ。それが『オタ・オタ商事』の都合で貨物到着が遅れることになり、いったん最初のをキャンセルして、やむを得ず縫製工場に近い神戸港からの船積みに予定変更していたところなのだ。
しかも今回の輸送目的は通販ではなく、
わざわざシンガポールまで荷物を運んでも、展示会の開催期間に到着が間に合わなければ、輸送した意味はゼロになってしまう。できる限り間に合わせたい。
「早乙女さん、飛石さんっ。本船変更の申請手続き手伝ってくれる? 神戸港の倉庫にも連絡してコミュニケーション取っておこう! それから私は『オタ・オタ商事』にも連絡入れておく」
南のほうに季節外れの台風も発生している。天候次第で、最悪、船便はもう間に合わないかもしれない。いざとなったら『オタ・オタ商事』のスタッフが飛行機でシンガポール入りするタイミングで、できるだけ沢山の抱き枕を手荷物として持って行くしかなくなる。念のためその準備をしておいてもらう必要がある。
でもアダルトグッズだと認識されたらシンガポール入国時に没収されちゃうから、持って行く抱き枕の種類は慎重に選ばなきゃダメだということも・・・・・・一応、注意喚起しておいてあげたい。
ちらっと時計を見ると、定時は越えていた。
娘の誕生日パーティを予定している日にかぎって残業になってしまった。
あとで落ち着いたら、佑介に連絡して謝ろう。申し訳ない・・・・・・。
「『オタ・オタ商事』以外の積み荷にも影響がでますよね。急ぎのお客さんから優先的に私が連絡します。飛石さんも、手伝ってもらえますか? 」
早乙女さんが手伝いと残業を頼もうとすると、飛石さんの表情がさっと曇った。
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