第36章|砂見礼子の奮闘 <1>営業同行 その1
<1>
すっかり秋の気配が深まった街。スーツ姿でも首元などにうっすらと肌寒さを感じる気温だった。普段はオフィスの中でデスクワークをしている身だから、昼間に外を出歩くのは新鮮だ。
「・・・・・・『オタ・オタ商事』。ここだな」
一緒に歩いていた灰原さんがメモを手に、ビルの上の方を指さす。秋葉原駅からしばらく歩いたところにある、煤けた色の雑居ビルだった。
先日、管理職会議で私が提案した『社内交換留学案』は、中小企業ならではの機動力なのか、元チームの業務に遅滞が出ないようにする、という条件のみで意外とあっさり認められた。
そして交換留学生の第一号は、当然ながら言い出しっぺの私が指名された。今は営業チームから一名、楠木さんという男性営業マンが貿易事務チームに来ていて、貿易事務チームの私、砂見が営業チームに行って、灰原課長に同行して働いている。
普段、社内では横柄な雰囲気を纏っている灰原課長だけれど、外ではそれなりにちゃんと感じの良い営業マンを演じているらしかった。午前中にはお得意先様のところを3件回った。自社の名入りカレンダーを手みやげにご挨拶にお伺いして、来年も引き続きよろしくお願いしますと頭を下げていた。
灰原さんはたぶん私と同じくらいの年齢だろう。40代半ばくらい? 少しパーマがかかった頭髪にうっすら白髪が交じっている。お客様の前ではヘラヘラした気弱なキャラを演じていたけど、私と二人きりになると普段どおり、眉間に皺が寄って、不機嫌そうに口が曲がっている。
「うちのホームページに問い合わせしてきたんだ。どうやらマンガファン向けのグッズ販売で儲かってる会社らしい。砂見さん、こういうの詳しい? 」
「いえ、特別詳しいってことはないですねぇ・・・・・・」
喫煙所で灰原さんが私の悪口を言っているのを聞いたときには、営業同行でコテンパンにいじめ抜かれるんじゃないかと内心、ビクビクしていた。前日にスマホの録音アプリの位置を入れ替えて、ハラスメントの気配を感じたら居合抜きのように素早く録音開始ができるように、こっそり自主練習したくらいだ。
だけど、ここまでの営業同行では、特にひどい仕打ちは受けていない。今の時代だし、社内関係者だし、気に食わないと思っただけで明らかなイジメ行為ができる会社員は減っているのかもしれない。
とりあえずは身の安全が守られる社会になっていなければ、あとからやってくるマイノリティ組には発言権などなくなってしまう。
いまが令和の時代で良かったと、本当にホッとした。
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