第30章|貿易事務 砂見礼子の困惑 <1>はじめての1on1面談
<1>
「えっと・・・・・・早乙女さん。今日はちょっとあたらまって、ハナシを聞かせてほしいと思います」
「はーい」
私は『ブルーテイル商運株式会社』の会議室で、後輩女性社員、早乙女さんと向かい合って座った。
一応私、この前なぜか「課長」になったので、それらしく『1on1面談』というものをするところだ。
1on1は、上司と部下が一対一で定期的に話をすることで、本音を引き出し、問題解決を進めていくための面談。私自身も受けたことはある。ただし管理職として実施するのは初めてだ。
「早乙女さん、仕事をする上で何か困っていることとかある? 」
私が尋ねると、彼女はうーん、と考えるように言った。
早乙女さんは30歳になったばかりだ。まだ若くて、余計な贅肉がついていない。それでも細いウエストのくびれを強調する服を着ないのは、私たちの世代とファッションが違うなと思う。
コギャル、アムラー、エビちゃんOL。
ギリギリまでたくし上げた制服のミニスカート、ヘソ出し、ローライズのスキニーパンツ、パステルカラーのツインニット。
私が若かった頃に流行していた、女性らしい身体のラインを見せるファッションはだいぶ鳴りを潜め、今の若い子は緩いサイズ感の服や長いスカートを好んで着ている。
中年で身体のラインが弛んだ私も、これ幸いと、流行に乗るフリをしてダボダボの服を着るようになった。
「何でも言ってね。どうせこの前までは同じ立場で愚痴も言い合ってたわけだし」私は笑顔を作った。
でも内心では、あまり調整に労力がかかるようなめんどうごとは言わないでね、と思っていた。
いまどき、管理職だからと権力を笠に着て部下の言い分を無視することは許されない。これを機にと不満をぶちまけられたら、その収拾をつけるために私の仕事が増えてしまう。
ちなみに私自身はこれまで『1on1面談』で本音でトークしたことなんて一度もない。
『ブルーテイル商運株式会社』はかしこまった会社ではないけれど、逆にものすごく先進的で開かれた会社でもない。もし私が部長との面談で、
「会社に神棚って必要ですか? 社長に相談して撤去してしまってもいいと思うんですが」とか、「子供の面倒をみたいし体力的にもキツいので、絶対に定時には仕事を切り上げたいと思っています。16時過ぎたら次の仕事を頼まないでください」とか言ったら、大問題になるに違いないからだ。
会社には会社の力学があり、暗黙のルールがある。
チームの構成員として迎え入れてもらっている以上、上席に逆らっていい思いができることはほとんどないはずだ。
私は早乙女さんの言葉を待った。
「正直・・・・・・、給料、もっと上げてほしいです」
「うんうん。それはわかる」私も同意した。
確かに、私たち貿易事務の仕事はそれほど給料が高いわけではない。
しかし一方で私は、彼女の要望に安堵していた。早乙女さんの給与を決める権限は私にはない。
部長マター、人事マター、社長マター。どこが最終決定権を握ってるかわからないけど、私にはどうしようもない。どうしてあげることもできないので、受け止めて終わりにできる話題だ。
「今ってネット通販で、何でもすぐに欲しいものが手に入るじゃないですか。早ければアマゾソで注文した次の日の朝には品物が自宅に届く。それって、間接的には私たちのおかげもあると思うんです。全国の物流倉庫に、お客さんが欲しいものを適量、届ける。そのために必要なものを、必要なタイミングで海外から輸入している。私たちの仕事は常に、急な荷物のねじ込みやキャンセルに振り回されてる。あのパンデミックの時だって、マスクや衛生用品ができるだけ早く輸入手配できるように頑張った。私たちは毎日必死で荷物を捌いてる。でも誰も私たちのことを見ていない。給料も上がらない」
「そ、そうだよね・・・・・・」
早乙女さんの言っていることはまったく正論だった。
「それに私たちの部署、残業も多すぎですよね。なんで人を増やすって言って、いつ辞めるかわからない派遣さんを入れることで対処するんですか」
「あ・・・・・・で、でも
私の先輩だった女性社員の崎田さんが家庭の事情で会社を辞めてしまって、代わりに40代派遣社員の飛石さんが私たちのチームに加わっている。まだ研修中ではあるけれど、貿易事務の経験があると聞いている。
「ワークライフバランスも微妙ですよね」
「そ、そうかな」
「正直、砂見さんを見ていて、私は子供は持てない、って思っちゃいます。砂見さんは、女性を前面に押し出して、ママを言い訳にして、ずる賢く仕事から逃げるタイプではないって、見ていてわかります。だから、可能なかぎり遅くまで頑張って働いて、走って帰って、帰宅したらお子さんの面倒を見て、また朝から働いて・・・・・・ってやっているんですよね? 時々、顔が死にそうに疲れてて心配になります。
私にはとても砂見さんみたいな働き方はできないし、共働きしないとお金が足りなくて子育てができないなら、結婚も出産もしたくありません。もともと女のほうが生理の日もあるし体力もないのに、子育てすると二倍働かないとならないなんて・・・・・・」
「で、でもね。子供がいるとそれはそれで楽しいのよ! 」
独身で子供がいない高齢の女性社員の前では絶対に言わない本音を、
確かに子育ては、他人から見れば奴隷労働と同じだろう。
自分の都合が通らない。スケジュールはかき乱される。どんなに尽くしても給料は発生しない。
でも我が子の成長や寝顔は愛おしい。
結婚前に時おり襲ってきた、言いようのない孤独感とも無縁でいられる。
「子育て、私はあんまり興味ないですね・・・・・・。まぁ、いずれこの会社は辞めて、もう少しゆとりを持って働けるような、他の仕事に転職したいと思ってます」
「そっか・・・・・・うん。それはそれで、早乙女さんの人生だから・・・・・・転職もいいと思うし」
・・・・・・・・・・・・。
面談のあと、ぽつんと一人残った会議室で、もし早乙女さんも辞めてしまったらいよいよ仕事が回らなくなるなぁ・・・・・・と、ぼんやり考えてしまった。
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