第29章|誰も知らないふたりの話 <4>鈴木風寿の学生時代(鈴木風寿の回想)
<4>
「お疲れ様です」
「あっ、鈴木先生! お疲れ様です~~」
仕事を終えて『株式会社E・M・A』に戻り、事務所にいるメンバーに軽く挨拶をしてから個室の会議室に引きこもる。
椅子に腰掛け、小さく溜息をついた。あぁ、今日もよく働いた。
産業医の仕事は非常に面白い。やりがいがある。
それでも一日に6件、7件と会社を回ると少しは疲れる。
鞄からノートPCを取り出した。鞄の奥底に赤いものが見えた。
――――――あ。『プクミン』のキーホルダー・・・・・・・・・。
これを見ると大学生の頃、花蓮と過ごした時間を思い出してしまう。
今日は東京湾を見たから、なおさらに。
――――――――――――――――――・・・・・・・・・・・・
俺の親父は、俺が大学生の頃に脳出血で突然倒れた。
父は会社経営者だった。
父が創業して一代で大きくした会社は横浜にあった。そこそこの規模があり十数名の従業員がいた。
が、所詮は中小企業だ。
事業継承の話をする間もなく、ある日突然、
親父が倒れたとき俺は九州の医学部に進学したばかりで、まだ学生だった。
緊急的に事業の運営は父の弟が主体となり対応することになったが、あいにく市況が悪かった。事業拡張に打ってでようとしていた矢先の出来事で、一時的に自己資本が薄くなっていたことも災いした。
父という操縦者を失って事業が傾き、家計も急速に苦しくなっていった。
父は自ら身体を動かすことも、喋ることもできないまま、しばらくして亡くなった。
問題は個人的に父が、弟、つまり俺の叔父から事業の運転資金を借りていたことだった。ちょうど計画していた事業拡張の軍資金として、億単位の金を父に貸していたという叔父は、父の死後、他界した借り主の代わりに俺に金を返して欲しいと言ってきた。
「悪いけどうちにも子供がいて、これから学費や結婚資金が必要なんだ。風寿くんは医者になるんだから、働き始めたら稼げるんだろう? 」
叔父は、わざわざ飛行機に乗り俺に会いに来て借用書を見せた。
「卒業までは待ってあげるから、お父さんの代わりに借金を返して欲しい。借金返済をチャラにするような方法もあるかもしれないが、法律のルールと家族のルールは違う。きっちり返済してくれればいいんだから。親族を裏切らないようにしてくれよ・・・・・・」
俺自身も今後、専業主婦だった母親を養っていかなければならないとは覚悟していたが、親父の行いのせいで
かくして俺は医学部の課程が半分も終わらぬうちに、卒業後に稼ぐ予定の給料を、借金返済のあてにされる状態となった。
医学部進学のため実家から遠く離れて暮らしていたので、学費のほかに生活費がかかる。
仕送りに期待できなくなったので取り急ぎ月10万円の奨学金を借りはじめ、部活はやめて毎日アルバイトに勤しんだ。運転免許までは取ったが、とても車など買えないし、買っても維持できないので自転車で移動する生活にした。
しかし、俺も大学に行くまで知らなかったけれど、田舎の公共交通インフラは非常に脆弱である。
高台にある学校までの通学路には坂も多く、雨や台風のたびに体力を削られた。
そして田舎は基本的に時給が安く、車を持っていないと医学生の家庭教師にいい時給を支払える遠くの個人宅までたどり着けないのも収入的にかなり痛手となった。
貧富の差は努力の差だという意見もあるが、稼ぐ手段がない立場に一度転落すると、そのあと這い上がるのは容易ではない。
親父が死ぬまでは、経営者の子供としてかなり裕福な生活をさせてもらっていた。
それがある日を境に突然、生活費にも困るようになり、ギャップに戸惑うことも多かった。
箱入り娘で社会経験がなく、生活力の乏しいまま嫁いで主婦になった母は、父の他界をきっかけに精神的にすっかり弱ってしまったようで、電話をすれば長々と自分の話をして泣くばかりで埒が明かなかった。
飛行機代もないので、横浜にある実家の様子、母の様子、不渡りを出して結局は倒産してしまった父の会社のその後を直接確かめに行くこともかなわない。
とにかく目の前の日々の生活を回して、卒業まで耐えるのが最善ルートなのは明らかだった。順調に進級し、医師免許を取って、働き、社会に貢献して、給料をもらい、稼いだ金をできるだけ多く早く、叔父に返していかなければ・・・・・・・・・。
ところが、分からないことだらけの中で必死にもがきながら日々を過ごしていたら、徐々に夜、眠ることができなくなり、食事が食べられなくなり・・・・・・・・・ついに学校に行けなくなった。
ある日を境に身体が鉛のように重くなり、意思に反して動かなくなってしまったのだ。
こんなんじゃダメだ。こんなことじゃダメだ。甘えるな。
悲しくて一人暮らしの部屋でただ座って涙を流した。
最初は自分がどういう状態なのかも判断できなかった。
当時は今ほどの情報化社会ではなかったので、インターネット、SNSの情報は限られていた。
しばらく音信不通となった俺を心配して様子を見に来たクラスメイトの通報を受け、教務課の職員が訪ねてきて、精神科を受診することになった。
【うつ病】と診断された。
精神科の教授は、親身にはなってくれたが、最後は自分でなんとかするしかないよ、と言った。
――――――――わかっています。もちろんその通りです。ご迷惑をおかけして申し訳ありません。
教授の善意でしかない励ましの言葉すら、自分を責めているように思えて、あの頃、俺はいつも外来の最後に謝っていた気がする。
そして、精神科で処方してもらった薬を飲んでも症状は治らず、このままではとても働くことなどできないじゃないか、どうしよう、と感じて絶望した。
口癖のように毎日、疲れた、疲れたと独り言をつぶやきながらも眠れなかった。
もういっそ命を終わらせてしまいたい、と思うようになった。
そんな時に偶然、大学病院の屋上で声をかけてきた人がいた。
『川瀬花蓮』。大学病院で働いている精神科の女医だった。
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