第24章|港区の風 <1>高級会員制人間ドック!?

<1>



「番号札、5番の患者様~♥」



 温かみのある落ち着いたベージュとゴールドカラーを基調にした待合室のソファでそわそわしながら待っていると、制服姿の受付嬢がしっとりした声で私の番号を呼んでくれた。


「あ~っ、は、はいはいっ。5番。5番は私です」手を挙げる。


とはいえ、このクリニックの待合には私しか座っていなかったので、受付嬢も最初からこっちを見ていた。立ち上がろうとすると、彼女のほうからすっと近づいてきた。


「どうぞ、お座りになったままで……」


受付嬢の肌やお化粧は、そこらのデパコス売り場にいるビューティーアドバイザーさんよりも細部までしっかり整えられていた。


無理やり荒れた肌をファンデで塗り隠しているんじゃなく、素肌から手入れされていると感じる細かなツヤ。眉毛も自毛を生かしてナチュラルに整えてあるし、アイシャドウはムラのないグラデーション、アイラインは目を開閉してもスムーズに見えるように繋げられていた。もちろんまつ毛にはマスカラのダマひとつ見えない。


この人は多分マスクを取ってもちゃんと美人なんだろうなぁ、と思っていたら、そんな女性がすっと私の足元にひざまずいてくれたので、少しドキドキしてしまった。


「足立里菜様ですね。こちら、お預かりしておりました保険証をお返しいたします」


「あっ。は、はいっ。ありがとうございます」


受付嬢の胸の前に、両手の指を添えてうやうやしく差し出された健康保険証を、何度もお辞儀しながら恐縮して受け取ってお財布にしまった。



ーーーーー鈴木先生、紹介されたのがこんな高級クリニックだなんて、聞いてませんでしたよっ………!!



今日、私、足立里菜は、ペア産業医の鈴木先生の勧め(っていうか指示? )でこのクリニックにやってきた。先日、仕事場でを起こしたせいで、鈴木先生から、あらためて医療機関を受診するように、と言われてしまったのだ。



(……あの発作については、もうさんざん、色んな病院受診してるんだけどなぁ……)



数年前、北海道の精神病院で病棟看護師として働いていたころから、私は謎の発作に悩まされるようになった。タイミングはランダムで、突然、頭の中に他人の声のような音が響いて、発汗や頭痛、息苦しさ、めまいなどに襲われる。発作が勤務中だと仕事は中断せざるを得ないし、採血や手技介助の最中だったりすると患者さんや同僚に大迷惑をかけてしまう。それが理由で総合病院をクビになり、現在は縁あって産業保健師をやらせてもらっているけど、先日はついに鈴木先生の前で発作を起こしてしまった。


この症状には私もずっと悩まされていて、これまで何回も有名な病院や、名高いお医者さんのところを受診してきた……。けれど結局、病名も原因もわからないままだ。もう仕方ないかと半分諦めていたのを、やっぱり目の前で発作を見てしまうと驚くのだろう、鈴木先生は受診をするようにしつこく勧めてきた。



(発作のとき頭の中に響く声みたいな音は、どうやらそのとき近くにいる誰かの考えがテレパシーになって聞こえてるみたいなんだけど…………。)



この前、発作を起こしたときは、鈴木先生と会社の小部屋に二人きりだった。

その時は“”って声が聞こえた………。

あれは鈴木先生の心の声ってことなのかな………………。だとしたらいったい、どういう意味だったんだろう……………? それとも、聞こえる声はテレパシーだ、って思ってるのは、私の気のせいなのかなぁ………。うーん。わからない。



「それでは、こちら、診察室にご案内いたします」


「は、はいっ」


優雅に立ち上がった受付嬢に先導されて場所を移動することになり、私もあわてて荷物を持ち、付いていく。


クリニックの内部は隅々まで清潔感があって、およそ私の働いていた総合病院のイメージとはほど遠い。

病気を治しに来るところ、というよりも一流ホテルか高級エステサロン(行ったことないけど)みたいな内装だ。


ここは、勤めている赤坂の会社からもそれほど遠くない場所にある。診察室に向かう途中の廊下、窓の外に大きく東京タワーが見えた。鈴木先生の知り合いが個人的にやっているクリニックで、腕の確かな医者がいるから受診してみるようにって言われて来たんだけど……。



(この立地に、ゆとりあるスペース。そして見たところ今は私くらいしか患者がいない。余計なお世話かもしれないけど、これで採算が取れてるのかなぁ………………。)



このクリニックは、会員制の高級人間ドックやアンチエイジング医療など、自費診療をメインにしているらしい。

クリニックの住所と電話番号だけ教えられて予約を入れてみたものの、今日、いざ受診しようとしたら入口がすごくわかりにくくて、危うく迷うところだった。


医療機関などあるとは思えない都心のオフィスビルの隅っこに、一見クリニックとはわからないインターホン付きの扉が設けてあって、予約していることを伝えるとゲートが開いて中に入れてもらえる仕組みだった。


クリニックにたどり着いてから受付に置いてあるパンフレットを見たら「入会金300万円、年会費100万円~」って書いてあった。どうやら会社経営者や有名人など、高級感・接遇・セキュリティの厳重さに価値を感じてお金を払える人だけを相手に営業しているクリニックらしい。


なんの因果か、東京で働き始めてから私、こういう高級志向の場所に迷い込んでしまうパターンが多い気がしている。普段は庶民的な暮らしをしていて、いかにコンビニで予算を抑えつつ栄養バランスの良いご飯を買うか……みたいなことを、日々真剣に考えて暮らしているのに…………。



(鈴木先生に“診察費用は気にしなくていい”って言われたけど……大丈夫なのかナァ……)



もちろん最初は、自分の医療費くらいはちゃんと自分で払うつもりで来た。けれどこのクリニックが請求してくる額は、もしかしたら私の一か月のお給料では払えないくらいかもしれない……と、思わざるを得ない。


余るほどのお金が欲しいとも思っていないし、自分は今のままでも十分幸せだと思うんだけれど、こういう富裕層向けのサービスを見てしまうと、確かにこの世に貧富の差はあるんだなぁ……と、ちょっと気持ちが凹んでしまった。

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