第8章|右肩上がりの市場価値 <10>鈴木先生の寝顔
<10>
金曜日の夜。
私は先輩保健師達が帰ってしまったあとの事務所で、居残って、考えていた。
―――『ジュリー・マリー・キャピタル』の江鳩さんのこと、気になる。
今日の面談を受けて鈴木先生は、
「就業制限(時間外労働禁止)」
という産業医からの会社宛て意見書を書いて、栗栖さんに送っていた。
でも……本当に、休職させなくても大丈夫なのかな。
江鳩さんが元気になってくれるために……。
保健師として、私に、何ができるんだろう。
他にも、この一週間の間に回った会社、合計、約20社くらい……。
特に問題が起きていない会社もあるけれど、宿題を頂いて持ち帰った会社も、複数ある。
それぞれの会社、それぞれの悩みごと。それぞれの報告書。
「あ~~……アタマが追いつかない……」
机の上に、突っ伏した。
――――そういえば、『サクラマス化学株式会社』の南アルプス工場で、鈴木先生が言っていた。
――――“人間の『脳』の集中力は、長時間は持たない事が知られています。起床から13時間が経過した時、人間の集中力は低下し、ほぼ『酒気帯び運転』のときと同レベルになる。”――――
時計を見ると、夜7時。
「もう起きてから13時間経過したよ……ダメだこりゃ」
そういえば、鈴木先生はどうしているんだろう。夕方くらいには資料室で見かけたけど……。
気分転換がてら、私は席を立った。
オフィスの中を歩く。
『株式会社E・M・A』のオフィスは、社員数のわりに広い。
受付のエントランスも広々としているし、保健師のデスクがある事務所、社長室、副社長室、資料室などがあり、面談にも使える個室がいくつか設置されている。
(鈴木先生、いるかな)
他のメンバーは既に帰宅しているようで、フロアは静まり返っていた。消灯しているエリアも多い。
資料室をのぞいてみたけれど、人の気配はない。
(個室のほうに、いるかもしれない)
個室もいくつかタイプがあって、完全に外から見えない部屋と、ガラス張りで、一部に目隠し用のすりガラス状フィルムが貼られたタイプの部屋がある。
ガラス張りの個室のひとつに、人の気配があった。
(ノックしてみるか)
――――コンコン。
(……返事がない)
――――コンコンコンコン。
(……あれ。大丈夫かな。もしかして、病気で倒れてるとか……ないよね??)
そっとドアを開けてみた。
「あ……」
個室の長ソファの上で、鈴木先生が、寝ていた。
すーすーと寝息を立てている。熟睡中みたいだ。
スーツのジャケットを脱いで、机の上に放り出してある。
メガネもデスクの上。
(ね……寝顔。)
私は、鈴木先生の、初・メガネなし顔をこっそり凝視した。
やっぱり、先生、けっこうカッコイイ、と思う。
鈴木先生、目線が鋭くて、普段はちょっと近寄りがたい印象だけど、会社訪問中、愛想笑いしているときは、雰囲気が和らぐ。
そして、無防備な寝顔は…………。
鈴木先生の呼吸の音と一緒に、上下する胸。だらんと横に垂れた、黒と灰色のストライプネクタイ。お腹の上には、読みかけの本が伏せられて載っている。その上にある、男性らしい、
すー。すー。 鈴木先生の寝息。
(き、き、き……。貴重な睡眠シーンを、み、見てしまった……家では、こんな感じで寝てるのかな……)
なんか、うっかりいいものを見てしまった感じで、胸が高鳴った。
鈴木先生って、結婚してるのかな。彼女いるのかな。年齢いくつなんだろう。
一時的にペアになったばかりの私には、知らないことだらけだ。
(しばらく、見ていたくなっちゃうなぁ……)
「ん……??」
そのとき、鈴木先生が、身体をもぞもぞさせた。寝返りを打ちそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます