第1章|無職の女 足立里菜 <3>都営新宿線その2

<3>

 

―――――苦しい!苦しい!苦しい!


 頭の中に、声が大音量でグワングワンと響く。

 警報が無限エコーしているみたいで、意識が緊急事態に占領される。


 

―――――苦しい!苦しい!苦しい! 苦しいよ!




 どうしよう。まさか今、来るなんて。


私は、電車に乗るのを一瞬ためらったけど、覚悟を決めて、恐る恐る、新宿線の車両に乗り込んだ。


どうせ逃げることなんかできない。だって、これは私がもらってしまった、『呪い』なんだから。



 生まれた時からこうだったわけじゃない。


日高の精神科病院で働いていた頃から、この症状が出るようになってしまった。

発動条件さえ、よくわからない。いつだって意図しないタイミングで、「テレパシー」は急に襲ってくる。

 わかっているのは、の感情が、私の脳に伝わってきているらしい、ということ。



―――――苦しい!苦しい!苦しい!



 多分今、私の周りにいる「誰か」が、苦しい、苦しい、と、心の中で激しく叫んでいるはず、と思う。



 今、私がいるのは電車の中だ。

 それほど混雑していない電車。


 車両の中には数十人が居て、ほとんどは座席に座っている。

 発信源を、探せるかもしれない。



 意識を「声」にフォーカスさせてみる。でも、実際の声ではないから、方角がハッキリしない。動き出した電車の揺れでよろけないように、細心の注意を払いながら、車両内をゆっくり歩いてみた。



――苦しい。胸が苦しい。苦しいよ!


 電車が動き出してからも、頭の中の声は続いている。

そして声と同時に、脳みその奥から、急ピッチで踏切のサイレンが鳴り続いているようで、私の血圧も一気に上昇しているような感じがする。



呼吸が苦しい。酸素が足りない。顔が熱い。



 “なんでこの人、座らないでコッチをジロジロ見てくるわけ……?”



そんな疑念が込められた、見知らぬ乗客達の視線の痛さと、居心地の悪さを感じながら、両サイドの人々に目配りして、慎重に車内を歩く。


(この人……じゃないみたい。)


(この人……でもない。)


変な汗が流れる。この感覚のせいで、無職になったっていうのに。私、どうしてほっておけないんだろう。



テレパシーは、いつ来るかわからない。自分ではタイミングがコントロールできない。


でも、来れば必ず気が散るから、私は、目の前の仕事に集中できなくなってしまう。



この“テレパシー病(私が名付けた)”を“発症”してから、何軒もの病院を受診して回った。精神科も。神経内科も。町医者も、名医と言われる先生も。


けど、診断はつかなかった。そんな病気はありませんね、そう言われ続けた。

これは、私の妄想なのかな?

一生、治らない?



「……あ……。」



 車両の中ほどで立ちすくむ私の視界の先に、1人の男性がいた。


 声の主。きっとあの人だ。そう思った。


 車両の端に、臙脂えんじ色のシャツを着た、肥った高齢男性が座っていた。眉間に皺を寄せて、激しく汗をかいている。心なしか、座席上の巨体が傾いているように見える。

周囲の人は各々おのおの、スマートフォンに夢中だったり、知ってか知らずか目を閉じていたりで、その男性の変化に気付いている様子はない。



(どうしよう……)



ガタガタガタ、という走行音が規則的に鳴る車内で、縦型の手すりに縋りつきながら、ちらちらと例の男性の方を見た。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る