第6話


 目を覚ました後、彼女は医者と両親に観劇に戻ってきてからの記憶がないと伝えた。それはエドヴィンに突き飛ばされた記憶がないという意味を含めてつもりだった。意図を組んだ両親は、安堵したようだった。医者にはまさか弟が姉を突き飛ばしたなどと説明できるはずもなく、階段から誤って落ちたことにしていたからだ。

 イザベラは実際は鮮明に覚えていたのだが、全く覚えてないフリをした。

 医者が帰り、そっと様子を窺いにきた弟はそんな事は知らないようだ。床に手をついて頭を下げてる。


「姉上!ごめんなさい。私はそんなつもりはなかったんだ。あの時姉上が死んでしまったらと思うとゾッとした。ただ姉上が羨ましくて仕方なかった」


 頭を下げたまま、エドウィンは詫びる。

 イザベラは、その姿にカタリナの弟を重ねた。カタリナの罪は家族にも及び、家族も死を賜った。イザベラは公開処刑であったが他の家族は毒を使われたと聞く。即効性のあるものだったと従者のルークから聞かされ牢獄で狂ったように叫んだ。

 あの時もカタリナと弟の関係は良いものではなかった。仲直りもできないまま弟を先に行かせてしまった。


 (間違いは繰り返さない)


「エドヴィン。顔を上げてちょうだい。私もあなたに冷たかったわ。これからは姉としてもっとあなたと時間を過ごすようにするわ。だから忘れてあげる。父と母には記憶がない事にしてるの。だから忘れましょう。私たち姉弟(きょうだい)じゃない」

「姉上……」


 床に膝をついたまま顔だけを上げた弟に、イザベラはベッドから降りると近づく。

 そして腰を落として抱きしめた。


「これからもよろしくね」

「姉上!」


 弟が泣いたのを見たのは十年ぶりだった。それくらい二人の心はずっと離れていた。


(今度こそ間違わない。騙されない)


 泣き続ける弟の背中を撫でながら、イザベラは心に誓った。


 


 ☆


 イザベラがそんな事態に陥っている頃、デイビッドは兄の突撃訪問に遭っていた。


「デイビッド、楽しんできたか?随分遅い帰りだったじゃないか」


 いきなり押しかけてきた王太子のチャーリーはにやにや笑いながらデイビッドに絡む。部屋には侍女はおらず、デイビッド付きの護衛騎士が壁と一体化しているように無表情で立っている。


「わざわざそんなことを言うために来たのですか?」

「ああ。弟の初めてのデートの感想を聞きたくてな。ミシェルにわざわざ人気の劇を聞いたんだろう?」


 兄チャーリーに全てを知っていると言わんばかりのしたり顔で聞かれ、デイビッドは面白くない。兄の婚約者ミシェルに口止めはしなかったが、こうもなんでも情報が筒抜けだと参ってしまう。次回は釘を刺すと決め兄に向き合った。

 長々と絡まれては敵わないので、簡単に報告してしまおうと諦めたのだ。


「劇は面白かったです。イザベラ嬢も楽しんでいたようです。私も彼女も嗜好が似ているようで、劇の感想を話し込んでしまいました」

「それはよかった」


 兄は満足そうに笑っているが、帰る様子は見せなかった。


「以上です。他に何か?」

「冷たいな。弟よ。次は誘っているのか?」

「は?もう十分でしょう?」

「何を言っているんだ。婚約しているからには、頻繁にデートや手紙のやりとりが必須だろう?」

「普通はそうでしょうね。けど、僕たちの場合は」

「イザベラがしようとした事、まだ忘れてないんだよな」

「……手紙でも書いてみます」

「そうだな。そうしろ。もしかしたら、先にお礼の手紙が来るかもしれんがな。じゃあ、ゆっくり休め」


 やっと気が済んだらしく、兄はスタスタを部屋を出ていく。

 それを見送りデイビットはため息をついた。

 その夜、彼は再び夢を見た。

 夢の中の彼女はやはりイザベラそっくりで、デイビッドに問いかけてくる。

 今日の夢は牢獄ではなく、どこかのお屋敷のようだった。


「ルーク。このドレス、王太子殿下は気に入ってくれるかしら」

「もちろんです。王太子殿下の色で、とても美しいです」

「嬉しいわ」


 どうやら夢の中のデイビッドは、イザベラの従者のようだった。彼女は青色のドレスをまとい嬉しそうに、部屋の中で舞う。


「今日はお披露目の日なの」


 彼女の笑顔は輝いていて、ルークの心が沸き立っているのがわかった。

 けれども反面、ルークというか、デイビッドはこの後の結末がなぜかわかっていて、嫌な気持ちになっていた。この後、カタリナは牢獄に入れられる。そして地獄の日々が始まる。

 そうして最後、彼女は処刑された。


「カタリナ様!」

「殿下!」


 自身の悲鳴で目を覚まして、護衛騎士が飛び込んできた。


「なんでもない。ひどい悪夢をみた。下がっていいから」


 心配そうな騎士にデイビッドはそう声をかけて下がらせる。


(夢にしては酷く現実的。しかもこの夢は今日見た劇に少し似ている。私もイザベラ嬢もどうしても物語の筋書き通り、王太子の婚約者を応援する気にはなれなかったな。あの悪女はカタリナ様の立場に似ている。だから悪女役の令嬢に肩入れをした。イザベラ嬢も同じで、二人であの令嬢について語り、王太子と婚約者を批判してしまった。まあ、僕の立場を思い出して、青くなっていた彼女も可愛かったな)


 自分の中に女性を可愛いと思う感情があったことにデイビッドは驚いていた。

 おかげで、夢で酷くうなされたことすら忘れてしまうくらいだった。





 

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