2話
ここは僕が数年前から住んでいるアパート。住人はたった5人だけであり、管理人1人と、同級生が3人住んでいる。家賃が安く、嵐吹高校からも近いため金のない学生にはありがたい物件だろう。
「ここが、翼が住んでいる家なのか」
「ここがそうなんですね」
「わぁ~、広いおうち」
3人がそれぞれアパートについて何かを言っている横で僕は玄関を開いた。
「ただいま、桜井さんいる?」
「いるけど、ちょっと待っててくれる? 今手が離せないから」
どうやらすでに帰ってきていたらしい。しばらくすると、エプロン姿の桜井がキッチンの方から出てきた。
「おかえり~」
あまりにも桜井に振られる人数が多すぎて、イケメンな彼氏がいるのではないかと勘違いしている人も多い。桜井はその噂を否定することはなく、逆に好都合だと考えているらしい。これでいい寄ってくる人は少し減るんじゃないかって。
アジサイには中学3年生の12月ごろにから住んでいて、管理人と僕を除けば一番このアパートに住んでいる時間がない。そんなこともあってか、僕は彼女と一番付き合いが長い。
「うわっ、可愛い女の子。それにエプロン姿凄く似合ってるし……」
ここにもう1人桜井の容姿に目を奪われた奴がいる。面倒事は起こすなよ、後処理がめんどくさいから。
「ありがとう。っていうかどうしたの? そんなに色んな人連れてきて」
エプロン姿を褒めてくれた小金澤にお礼を言った後、僕の後ろにお客が3人もいることに気づいたらしい。
「ちょっと訳ありでね。これからまた少し出掛けないといけないから、この子預かっててほしいんだ」
「この子?」
「
僕の後ろから恐る恐る顔を出す雫。同性であるからなのか、それとも桜井の穏やかな雰囲気を感じ取ったのか、理由は分からないが僕たちの時よりも警戒している様子はなかった。
「え、なになにめちゃくちゃかわいいじゃない!」
桜井は可愛いものには目がない。もの凄い速さで雫の方へと駆け寄る。
「怖がってるから、そんな近づかないの」
抱き着こうとした桜井と、それに怖がる雫の間に慌てて僕は間に入った。
「この子泣いた跡があるのが分かるけど、泣かせたの?」
「僕が泣かせると思う?」
「場合によっては」
場合によってはってなんだよ。こんな小さい子を泣かすと思われているのだろうか。
「雫ちゃんの子犬がいなくなったんだって」
「それは辛いことだったね……」
かわいそうに、と桜井は雫の頭をよしよしと撫でる。心地良いのか、雫は嬉しそうに撫でられている。その様子はまるで子犬のようであった。
「これから雫ちゃんの子犬を探しに行こうと思ってたんだけど、雫ちゃんを1人にさせるわけにもいかなかったからね。それで桜井さんにこの子を預けようと思ったんだ」
「なるほどね、確かにこんなかわいい子を一人で外にさせてたら危ないもんね」
桜井と2人きりにしておくのも違う意味で危ないような気もするけど、そこまで落ちぶれてはいないだろう。
もしかして、いつまでも桜井が彼氏を作らない理由は女の子が好きだったりして……。
「何か失礼なこと考えたりしてる?」
「いいえ、まったく」
そんな冗談は心の中で留めておく。
「分かった。じゃあ、あたしが雫ちゃんのことを預かっていればいいのね」
「うん、頼める?」
「問題なし」
桜井は笑顔で答えた。桜井が家にいてくれて助かった。誰もここにいなければ3人のうち誰かが雫を見てなければいけなかったからな。
「じゃあ、お兄ちゃんたちが帰ってくるまで待っていようか」
「うん」
「お姉ちゃんがホットケーキでも作ってあげよう」
「え、いいの⁉」
ホットケーキが好きなのだろうか、雫の目がキラキラと輝く。この様子ならば、雫をこの場に置いて行っても大丈夫そうだし、そろそろ探しに行くとするか。
「じゃあ、僕たちは行ってくる。行くよ小金澤」
「えっ、俺も?」
「何を言ってるの? 当たり前でしょ」
「え~、俺は桜井さんとこの家で話してたい」
それを許したら、なんのために桜井に雫を頼んだのか分からなくなるだろ。僕は抵抗する小金澤を力ずくで外へと連れ出した。
「あ、そういえば他の2人は?」
玄関から出ていく直前に僕は他の住人の居場所を尋ねた。玄関に2人の靴が見えなかったことからも、まだ2人は帰ってきていないのだろう。
「茜ちゃんはまだ帰ってきてないから、まだ学校に残ってるんだと思う。蒼衣ちゃんはさっき夕食の買い出し頼んだから、商店街の方にいるよ」
できれば他の2人も頼みたかったのだが、家にいないのならしょうがない。この3人で探すとしよう。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、行ってらっしゃい。あ、それと今日新しい子が来るみたいだから早く帰ってきてね」
「分かった」
新しい入居者か……4月になれば新しく嵐吹高校に通う子がくる。その中でこのアパートを借りる子がいたのだろう。
「じゃあ、探しに行こうか、小金澤。それと……」
「千尋、
「翡翠さんね、よろしく。僕の名前は月波翼、それでこっちが小金澤だ」
お互いの自己紹介を終えたところで僕たちは雫の子犬を探すことにした。
「なぁ、探すって言っても範囲が広すぎじゃないか?」
雫を桜井に預ける時間もあったため、子犬がいなくなってから大体10分ぐらいは経過している。ただ子犬というものは飼い主を置いてそう遠くまで行くものなのだろうか。
犬を飼ったことはないが、ある程度懐いているのならば自然に飼い主の匂いを辿って戻ってくる可能性がある。だから意外とこの辺りを徘徊していてもおかしくはない。
「そうだな、とりあえず候補としては、商店街の方か住宅街、それと川辺の方じゃないかな」
僕が3つの候補上げるとすかさず小金澤は口を挟んだ。
「俺たちの学校や公園は探さないのか?」
「僕たちは学校から帰ってきている時に雫ちゃんたちと出会った。あの場所から学校へまでは一本道。もしその道を雫ちゃんの犬が通っていれば、僕たちが見かけているからね」
「見逃しているかもしれないぞ。俺なんて話に夢中だったし」
「いや、僕が見かけてないから大丈夫」
話に夢中な小金澤と違って僕は小金澤の話をほとんど聞いていなかったしな。それに僕がそんなヘマをするはずもない。
「そっか、まあ翼が言うなら信じるよ」
よく会って間もない人を簡単に信じることができるな。それが小金澤雄輝という人間なのだろう。他人を信用しすぎてしまう、それが小金澤にとって長所でもあり短所でもあるのだろう。まあ、今回に限っては説得する時間を割くことができたし、こちらとしてはありがたい限りだ。
「俺は川辺の方を見てくるぜ。犬ならそういった場所が好きそうだし」
「なら、私はこの辺りを探してみます。この地域は来たばかりで土地勘がないので……」
「じゃあ、僕は余った商店街の方へ行くと言うことだね。見つけたら連絡してアパートに集合ということでよろしくね」
僕たちは目的の場所へとそれぞれ3方向へと走っていく。
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