苦手なあの娘

海星

苦手なあの娘

 雪の降る3月の夕方に私は高校時代のアルバムを見つけた。


 ほとんど機械的に、アルバムを開いてパラパラとページを捲っていく。


 こんなことをしている場合ではないと頭では理解しているが、眼前に散乱した荷物の山を思うと少しぐらい休憩しても良いのではと思ってしまう。


 留年することもなく大学の四年間を過ごして、卒業後の進路も順調に決まった。そこまではよかったのだが、いざ社会人になると思うと大学生活で何もやれていない気がして(実際に、私は在学期間に特質して何かを成し遂げたことはないし、多くの大学生も似たようなものであろうことは理解していた。)働き始めるまでの学生生活を謳歌しようと自分探しの旅に出たり、研究室で他の学生にちょっかいをかけて回ったりしていたのが、気がつけば引っ越しの準備がギリギリになってしまっていたのだ。


 就職先は、東京の大手企業のグループ会社の子会社の事務職だ。


 なんともパッとしない職だが、人生を無難に生きたいだけの私にはこのくらいが分相応というものだ。


 無意識に捲っていたいアルバムは、先生の顔写真から始まり卒業生一人一人の顔写真を経て、学校生活や行事の写真のページに到達していた。


 一年生の合唱祭の写真のページを開いた瞬間、私はとても懐かしい気持ちを思い出していた。それは、良い感情だったのか悪い感情だったのか今でも分からない。


 高校一年生の頃、苦手だった女子生徒がいた。


 清水恵美という名前の生徒で、初めて会ったのは入学式との時だ。

 会ったと言っても何か会話をしたわけではない。それに、お互いよく喋る方ではなかった。最初にどんな会話をしたかはもう覚えていないし、せいぜい簡単な挨拶程度だっただろう。


 私の清水への第一印象は、『冷たい女』だった。


 清水は身長が高くすらっとしていて、肌は白く、艶のある黒髪の彼女は、どこか雪女を思わせるような雰囲気を纏っていた。しかし、実際の性格は冷酷というよりは臆病であり、人と喋ろうとしないのは自分に自信がないからなのであった。


 私は、清水のそういった性格や容姿が苦手だったのだ。


 私のように背も小さく、運動部だったせいで筋肉は太く、肌は茶色く焼けているよな人間からすると、その容姿は羨望の対象であり、私が清水だったらもっと堂々と振る舞うのにと妄想に耽ったことすらある。


 そんな清水が、自分の白い肌を血管が透けて気持ち悪いと言ったり、背が高いと目立つから嫌だと言っているのを聞くと、自分まで貶された気がして腹が立って仕方がなかった。


 しかし、私の苗字は須藤で清水と出席番号が前後だった為、教室での席は前後だったし、班行動の時なんかでは行動を共にすることが多かった。


 清水は、とにかく笑わない女だった。


 それも私が清水を苦手としている理由の一つであったのかもしれないが、今となっては本当にそうであったか判断が出来ない。


 教室で誰かが冗談を言った時には、みんなが笑わなければいけない雰囲気になることがある。しかし、そんな時でも清水だけは無表情だった。他の生徒からは怖い人と思われているようだった。時には教師でさえ、清水と話すときにはどこか緊張しているように見えるときもあった。


 そんな清水が笑ったところを、たった一度だけ見たことがある。


 それは、一年生の合唱祭の練習の時だ。


 私の高校では、合唱祭、文化祭、芸術鑑賞会が毎年ローテーションで開催される。二年生のときに文化祭をやり、三年生の時に芸術鑑賞祭をやるのだ。多くの生徒は三年生の時に文化祭をやれることを望んでいたが、こればかりはタイミングの問題なのでどうすることもできない。


 私と清水はアルトのパートを担当していたが、お互いに問題を抱えていた。私はとにかく音感がなかった。カラオケの採点機能でいつも60点台しか出せないレベルなので、隣の子から、音程が分からなくなるからもっと小さい声で歌ってほしいと言われてからというもの、練習にも身が入らなくなっていた。清水は、自信のなさから大きな声を出すことができなかった。


 面倒なことに、私の在籍していたクラスはかなりやる気のあるクラスだったので、放課後まで練習をすると言い出して、部活のない人は半ば強制的に放課後まで合唱練習をさせられることになった。


 私と清水は部活もバイトもやっていなかったので、合唱練習に参加した。出来ることであれば参加したくなかったのだが、参加しないということはコミュニティから外されることを意味する。コミュ力の高い人であれば気にしないのだろうけど、私には参加しないという選択肢を取ることは出来なかった。


 他人の顔色を伺いながらの合唱練習は地獄だった。あんなにも時間が早く過ぎ去って欲しいと思ったことはなかった。


 ある生徒が、上達のためには個人のレベルを上げることが必要ではないかというような発言をした。


 その結果、一人ずつ歌ってみて下手な人は個別で特訓をするという方針に固まった。


 私は屈辱の中、やけくそ気味になりながら歌った。結果は聞くまでもなく個別特訓組だ。


 清水は歌うことが出来なかった。壇上で無表情のまま俯いていた。教室内はこれから葬儀でも始まるのかと思うほどにしんとしていた。重たい空気がどれだけ続いただろうか。実際には1分もたっていなかったかもしれないが、私には永遠のように感じた。私は、堪えきれずに清水を教室から連れ出した。「体調が悪いなら保健室行こうか。」とかそんな感じで連れ出したはずだ。


 私たちは保健室には向かわずに校舎と校舎の間の中庭のような場所に腰を下ろした。ベンチなんて気の利いたものはなく、コンクリートの上に直に座ることになったが、教室よりもよっぽど居心地が良かった。


 清水は、相変わらず俯いたまま消え入りそうな声で「須藤さん、助けてくれてありがとう。」と言ったが、私は自分が逃げたかっただけだと説明すると、黙り込んでしまった。日陰に冷たい隙間風が吹き込んできて、寒さに身を震わせていると、清水が風から私を守るように座る位置を変えた。


 なんとなく悪いことをしているような気分になって、気まずくなった私は気を逸らすために、清水に何で歌わなかったのかを聞いた。清水は恥ずかしいからだと言った。何が恥ずかしいんだと聞くと、分からないという。自分の歌が誰かに注目されたり非難されたりすると声が出なくなってしまうらしい。それを聞いて、私はまた腹を立てた。綺麗な声をしていて、音程だって取れているのにそんなの勿体無いよと無責任に言い放つ。しかし、実際に隣で聞いている時には正確な音程で歌えているし、声は小さいけど澄んだ綺麗な声をしていた。


 言ってから、言い方が少しキツかったかなと反省して、清水の顔色を伺ってみると、清水はなぜか笑っていた。私は呆気に取られて言葉を失った。それが、6年以上たった今でも鮮明に思い出せる清水の笑顔だった。


 それから、清水は私によく話しかけてくるようになった。私は、その度にあの笑顔が思い出されて、何故か見てはいけないもののように感じて清水と距離を置くようになった。会話をするときも目を合わせずに、そっけない返事しか出来なかった。この頃が最も清水のことを苦手に思っていたように思う。


 春が来て二年生になって、清水と別のクラスになった時にはホッとした。もうあの顔を見なくて良いのだ。嫉妬に胸を苦しめられることもなくなる。そう思っていたのに、清水のことを思い出すだけで胸を締め付けられるような苦痛に苛むことになった。


 この頃、私は勉強に身を打ち込むようになった。今までは、課題は提出期限ギリギリになるまでやらないタイプだったのに、この頃は何故か後回しにせずに打ち込むことができた。


 しかし、いくら勉強に打ち込んでいても、文化祭シーズンは別であった。本来であれば、学生が勉学に励んで文句を言われる謂れはないのだが、こういった行事の同調圧力の前には正論は無力だった。


 私のクラスでは、メイド喫茶をやることになった。私の衣装の担当になった。出来合いのものを使えば良いものを、折角だし一から作ろうよという意見に飲まれて貴重な放課後をメイド服を作ることに費やすことになってしまった。でも、作り出すと意外と楽しく、去年の合唱祭に比べたら何のこともなかった。


 問題は文化祭本番であった。当然のことだが、メイド喫茶のシフトは交代制であり、私もメイド服を着て接客しなければならないのであった。似合わないから裏方が良いと志願したものの、承諾されることはなかった。


 こんなことなら、自分用にシンプルなものも用意しておけば良かったと後悔しながらも接客をしていると、見知った顔と目が合った。


 清水は相変わらず冷たい雰囲気を纏いながら、俯きがちに歩いていた。そのまま通り過ぎるかと思いきや、受付の前で足を止めた。教室内を一瞥すると、また私と目が合う。受付の水野さんに何かボソボソと喋っているのが口の動きで分かった。水野さんが教室に顔だけを覗かせて私を呼んだ。嫌な予感はしたが、まさに的中で、清水の相手をさせられることになった。


 清水は、パンケーキと紅茶を注文した。注文の料理をテーブルに運んで、さっさと逃げようと思ったが、呼び止められる。「あ、あの、このオプションお願いします。」と言って指差していたのはメニュー表の『おまじない』と書かれた項目だった。冗談かと思い清水の顔色を伺うが、今度は目が合わなかった。心なしか雪のように白い肌に赤みが差している気がした。


 それから、二人の間には沈黙が訪れる。清水と一緒にいるとこういう沈黙が訪れることが多い。まるで、時代劇や洋画で先に仕掛けた方が負ける決闘のような重苦しい空気になるのだ。去年の合唱祭のことを思い出してため息を吐きそうになるが、こうなったとに清水はテコでも動かせないことを私は知っていた。


 ご唱和くださいと前置きをして「おいしくなーれ、萌え萌えキュン♡」と、今思い出しても恥ずかしくなるようなセリフを、さらに恥ずかしくなるようなポーズで披露した。


 清水は無反応だった。私は、せめてご唱和くださいませクソお嬢様と、メイドには似つかわしくないことを心の中で叫んで逃げた。


 会計に現れた清水は、いつもより30度くらい俯いていた。「いってらっしゃいませお嬢様」と言ってお帰りいただこうとしたが、清水は固まっていた。清水は何かを決意したかのように拳をぎゅっと握り締めると、「須藤さん可愛いし似合ってるよ。」とだけ言って、私の手に何かを押し付けて教室を出て行く。


 何だったんだろうと思いながらも、渡されたものをみると、握られたせいでくしゃくしゃになった紙切れだった。広げてみるとメモ帳を破ったものだということが分かった。それには清水の連絡先が書いてあった。


 清水がどうして私に連絡先を渡したのか分からなかった。ここに電話をかけろというこのなのだろうか。しかし、同じ学校に通っているのだから、用事があるのであれば教室に顔を出せば良いだけだ。


 その答えのヒントを得たのは、三年生に進級してからだった。


 私の高校では毎年クラス替えが行われる。学年毎の昇降口の前にクラス割が掲示されていて、全四クラスの中から自分の名前を探し出さなければいけない。周りの人達が自分のクラスを確認して教室に向かう中、私はようやく自分の名前を見つけた。今年は四組だった。一年生の時と同じだなと思い、清水の名前を見ていないことに気が付く。


 『須藤』と『清水』だから、自分の名前を探しているときに嫌でも目に入ってしまうはずだ。


 後で、二年の時の清水の担任の先生に清水の所在を聞いたところ、どうやら親の都合で東京に引っ越したらしということが分かった。つまり、私の気づかぬ間に清水は転校していたのだ。


 文化祭で連絡先を渡されたのは転校することが分かっていたからなのかもしれない。


 しかし、それが分かったからといって、私にできることはなかった。東京まで会いに行くほどの仲でもないし、連絡を取ったとしても何を話せば良いのか分からない。


 物理的な距離に隔てられた私と清水の間には、何の繋がりもなかった。


 授業中に綺麗な黒髪を見ていたのも、一緒に昼ごはんを食べたのも、合唱祭の練習を抜け出したのも、ただ同じクラスにいて出席番号が隣だったというだけの理由でしかなかったのだ。


 私はこの頃から、また勉強に打ち込むことが出来なくなっていた。正確には、授業や課題はきちんとこなしていたが、期限のギリギリまで引き伸ばしてしまうのだ。追い込まれるまでやる気を出せないという私の悪癖が復活したのだ。成績は多少落ちたが、地元の大学に進学する分には何の問題もなかった。


 この頃の私には、東京の大学を受験するという選択は頭の片隅にすらなかったように思う。


 アルバムは文化祭のページを経て三年生時の写真のページを開いていた。当然ながら、ページ内のどこを探しても清水は映っていない。文集のページをパラパラと捲るが、もちろん清水という名前はどこにもない。須藤という名前を見つけてページを捲る手を止める。将来の自分へと書かれたそれには10年後の自分へ宛てたメッセージが書かれたいた。


 『ギリギリにならないとやる気を出せない癖は治っていますか。やるべきことを後回しにすると必ず後悔します。だから、大切なことは絶対に後回しにしないでください。』


 全くその通りだなと思い、笑ってしまう。


 まだ、4年しか経っていないが、この頃の自分から何も変わっていないように思う。強いていうなら、今の自分の方が未来に対する強い焦りを持っている。私は何に焦っているのだろう。分からないけど、とても大切なものな気がする。何かやらなければいけないことがあるはずなのに、それが何かが分からない。


 気が付くと、アルバムは最後のページを開いていた。当時のクラスメイトや友達からの寄せ書きが書かれていた。今でも交流があるのはこの中の3人だけだ。人生には出会いと別れがあって、それは当たり前のことなんだということが分かった。今の大学の友達とも段々と疎遠になって行くのだろう。清水との別れは遅かれ早かれやってきていただろう。違う大学に進めば関わることは少なくなり、社会人になればさらに疎遠になる。そもそも私は清水のことが苦手なのだから、同じ進路を歩んだとしても疎遠になっていただろうと思う。


 過去の自分も言っていたし、そろそろ引っ越し準備の続きをしようとアルバムを閉じた時、メモ用紙が一枚落ちた。アルバムに挟まっていたのだろう。


 そのシワを丁寧に伸ばされたメモ用紙には、誰かの連絡先が書かれていた。いや、誰かではない。清水の連絡先だ。


 『やるべきことを後回しにすると必ず後悔します。』


 18歳の私は何を後悔していたのだろう。


 『だから、大切なことは絶対に後回しにしないでください。』


 18歳の私は未来の私に何を託したかったのだろう。


 22歳の須藤愛菜わたしにとってのは何だろう。それは過去と未来どちらにあるのだろう。


 窓の外を見ると、雪は降り止み、漆黒が空を塗りつぶしていた。


 私は、部屋中に散乱している荷物の山を一瞥してから、拳をぎゅっと握り締めて部屋を出た。



-END-

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