陣笠じぞう

望戸

陣笠じぞう

 さて。

 雪にうずもれたお地蔵さまに売れ残りの菅笠をかぶせてやり、一夜にして長者になった爺さんと婆さんの話は、人々の口から口へ瞬く間に駆け巡った。そのご利益に少しでもあやかろうと、老夫婦の家にはちょっとした名所名跡のごとく参拝客が訪れ、このところでは件のお地蔵様どころか、道端で見かけるどんな小さな道祖神にも必ず笠やほっかむりやその他さまざまなお供え物が途切れることがない。爺さんはもう雪道を遠くまで笠を売りに行かずともよくなった。押しかけた参拝客が、その何の変哲もない笠を我先にと買っていくからだ。

 老夫婦も、お地蔵さまも、笠を手に入れて満足そうな客たちも、一見三方良しのようであるが、しかしどんな物事にも裏で面白くない顔をする者は出てくるものだ。今回は隣村の古道具屋のおやじがまさにそうだった。おやじは今まで、売れ残った笠を爺さんから買い取ってはしかるべき値段で店先に出し、ささやかな儲けを得ていたのである。もちろん商いの全てをそこに頼っていたわけではなし、別に今すぐ商売が立ち行かなくなるというわけではないが、それでも「今まで買ってやっていたのに」という思いがあるから、おやじとしては何となく不本意な思いを抱えたまま、店の壁に打ち付けた釘をぼんやりと眺めている。以前はそこに爺さんの笠を引っかけて売っていたのだ。わずかばかりの在庫は早々に掃けてしまい、今は代わりに誰かが売りに来た古い陣笠を掛けている。が、最後にこのあたりで戦があったのはもう何十年も昔のことだ。

 すっかり傾いた冬の西日が店の入り口から番台へ低く差し込んだ。今日も目立った売り上げは無く、おやじはため息をついて暖簾を下ろす。


「おい、酒が空だぞ。もう一本」

 何気なく差し出した徳利は、おかみさんの大きな手にぱっと奪われてしまった。

「今日から晩酌は一合だけだよ。店だって閑古鳥なのに、またよくわからないものを仕入れて、結局売れ残っているじゃないか」

「馬鹿言うんじゃない。あの陣笠だって、きちんと御家紋の入った立派な品だぞ。見る奴が見ればわかるんだ」

「だからって、あんなに高く買ってやる必要は無かっただろ。どうせ西の合戦場から拾ってきたガラクタだよ」

 そういわれるとおやじはぐうの音も出ない。店に持ち込まれたときには確かに値打ち品だと思いもし、自分としては掘り出し物のつもりでいたのだ。だが、いざ埃っぽい店の中に飾ってみると、あまり価値のあるようにも思えず、おかみさんの言うようにただのガラクタにも見えてくる。

「ああ、あんな陣笠じゃなく、あの爺さんとこの笠を売らずに大事にしておけばよかったねえ。何かご利益があったかもしれない」

 言いながら、食事を終えたおかみさんがさっさと立ち上がる。もちろん、空の徳利はしっかり握ったままだ。おやじは塩辛い漬物を齧りながら、その背中を見送るばかりである。

 翌日の昼間、おやじは店番をおかみさんに任せ、ぶらりと外に出た。折悪しく降り始めた雪をしのぐため、頭には菅笠をかぶっている。地蔵の婆さんの作ではない。以前買い取った、全く別の売れ残りだ。……こうして別人の作をかぶってみると、婆さんの笠がいかに丁寧に、隙間なく編み込まれていたかがよくわかる。無論、だからこそおやじはわざわざあの笠を買い取っていたのだ。

「自分が使う分くらい、取っておけばよかった」

 独りごちながら歩くその懐には、かさばる風呂敷包みがしっかりと抱えられている。入っているのは例の陣笠だ。

 おかみさんに散々やり込められた後、煎餅布団の中でおやじは考えた。売れ残りの菅笠と自分のほっかむりをお地蔵さまに渡しただけで、あの爺さんたちは目玉が飛び出るほどの大金持ちになった。ならば売れ残りの陣笠だって、お供えして悪いことはあるまい。ガラクタ呼ばわりに少し心が揺らぎもしたが、なに、やはり品物の良さには自信がある。ともすると爺さんたちよりももっといいお宝をもらって、かみさんを見返してやれるかもしれねえ。

 しかし、おやじは事態をあまりにも甘く見ていた。

 行けども行けども、道すがら出くわすどんなお地蔵さまも道祖神も、果ては狛犬に至るまで、どれもこれもみんな菅笠をかぶっているのだ――もちろん、爺さんたちの噂を聞いた人々が、我先にとかぶせたものだ。場所によってはいくつもいくつも笠が重ねられ、まるで都にあるという五重塔のようになっているところさえあった。地蔵を拝んでいるのだか笠を拝んでいるのだか、もはやわからなくなりそうな勢いである。

 店を出てからもうだいぶ経っている。分厚い雪雲に阻まれているせいで分かりづらいが、どうやら日も傾いてきたようだ。いまだに陣笠をかぶせるべきお地蔵様を見つけられないまま、おやじはとうとう西の開けた場所までやってきた。かつて合戦が行われたという、その跡地である。戦いのあまりのすさまじさに、今でもぺんぺん草ひとつ生えないと人々から恐れられている場所だ。めったに立ち寄る者もいないのか、降り積もった雪には足跡一つない。

 さすがにこんなところにお地蔵さまはなかろう。踵を返そうとしたおやじの目に、ちらりと灰色のなにかが映った。もう一度よく目を凝らすと、雪にうずもれるようにして、苔の生えた石のようなものがひっそりと佇んでいた。

「しめた」

 あえて自分を勇気づけるように、おやじは大きな声を出した。いい加減寒いし暗くなってきたし、早く帰りたくて仕方なくなっていたのだ。そこでおやじはいそいそとその石に駆け寄り、降り積もっている雪を丁寧に払った。どうやら探していたお地蔵さまではなく、何やら文字の書かれた石碑のようであったが、夕方のわずかな陽光ではよく読み取れない。だが、こんなところにもっともらしく立っているのだから、何かしらいわれのあるものなのだろう。おやじは懐から取り出した陣笠をそっと石に乗せると、手を合わせて口の中でむにゃむにゃ念仏を唱え、そのままさっさと家路についた。

 その晩のことである。たった一本の熱燗では物足りなさを感じながらも、おやじはしぶしぶいつも通り床に就いていた。すると、どこからか声が聞こえてくる。

「もうし、もうし」

 仰向けになったまま、おやじは思わずぎょっと目を見開いた。天井ばかりの視界にぬっとあらわれたそれは、夜目にもほのかに白く輝く、一体の巨大な骸骨であった。それが狭い部屋の中で、体を折りたたむようにしてこちらを見下ろしている。視線だけを動かすと、骸骨は皮鎧に陣笠をかぶっている。その陣笠におやじは見覚えがあった。夕方、あのよくわからない石にかぶせてきたものだ。

「先刻はかくも優しきお心遣い、我ら皆恐縮至極。是非とも御礼を致したく、不躾ながら参上仕った」

 骸骨は窮屈そうに腕を曲げると、おやじの眼前に人差し指を差し出した。見るとその指骨の先には、小さな――といっても大人の人間の大きさの、一つのしゃれこうべが吊り下げられている。

「我ら皆冥府に落ちし者故、銭も宝も持ち合わせぬ。せめてこの髑髏一つ、感謝の印に差し上げたく」

 これにはさすがにおやじもかちんときた。笠地蔵の爺さんと婆さんは金銀財宝を受け取ったって言うのに、こちらは髑髏ひとつでは割に合わない。

 だがそんなおやじの心境など知る由もなく、骸骨は言葉を続ける。

「上等の漆を塗り、模様や螺鈿で飾り立て、貴殿の店に飾るがよい。表から一番目に付く所がよかろう」

「おい、そりゃ一体どういう意味だ」

 おやじがそう叫んで飛び起きた時、もうそこに骸骨の姿はちっとも見当たらない。たださっきのが夢ではない証拠に、枕元にひとつ、真っ白なしゃれこうべが置かれている。ぽかりと穴の開いた両の目をまじまじと見て、おやじはため息をついた。せめてこれがおんなじ目方の金だったらよかったのに、しかし貰ってしまったものは仕方がない。こうなったらとことん、言われたとおりにやってみるしかなかろう。

 翌朝すぐにおやじは店を出て、馴染みの小間物職人のもとへ向かった。何事かをやらかして城下の工房を追い出され、こんな辺鄙な場所で一人庵を結んでいる奇特な男だ。だが、細工の腕はピカイチで、酔狂な依頼ほど面白がる生粋の芸術肌でもあった。

 ひと月ほどして、職人はおやじの元へやってきた。背負っていた風呂敷包みを開くと、中から出てきたのは果たして件の髑髏である。黒く濡れたような漆で中も外も磨き上げられ、二つの眼窩は恐ろしさよりも畏怖を感じさせる。上品ながら凄みのある蒔絵、箇所は少ないながらも要所要所をきりりと引き締めるような螺鈿の輝き、まさに芸術品と言って差し支えのない出来栄えである。

 すっかり満足して、おやじはそのしゃれこうべを店内の一番いい場所にしつらえた。薄暗い店内にあって、その場所だけはいつでも戸口から陽射しが入り込み、髑髏の蒔絵や螺鈿はきらきらと美しく輝いた。今度の仕入れにもおかみさんはやはり嫌な顔をしたが、おやじはむしろ、売れなくていいとすら思っていた。それほどまでに髑髏は美しかったのだ。


 近隣の城主が古道具屋の前を通りかかったのは偶然であった。腹心だけを連れて雪兎を狩りに行き、一羽も仕留められずに帰路をたどっていた時のことである。沈みかけた陽の光が雲の切れ間からさっと差し込み、城主は目の端で何かがきらりと光るのを見た。馬上から首をめぐらすと、小汚い古道具屋が一軒、今にも崩れ落ちそうな様子でそこに建っている。暖簾の向こうをすかし見て、城主は思わず馬の歩みを止めた。店の中の一番いい場所に飾られていたのは他でもない、例の漆塗りの髑髏である。滑らかな漆の表面が光を強く照り返し、城主の目を引いたのだ。

 城主は自ら馬を降りて、ずかずかと店へ入っていく。部下たちもあわててその後に続く。

「おやじ。このしゃれこうべを買おう。幾らだ」

 大声で呼ばわると、慌てて立って出た古道具屋のおやじが身を縮めながら揉み手をする。

「相済みません、お殿様。それは手前どもの家宝で、売り物ではありませんので」

「そうは言っても、店に並べているではないか。金ならいくらでも出す。言い値で買おう」

 普段はこんな無茶な買い物をするような城主ではないのである。だが、一目見た瞬間、どうしてもこの髑髏が欲しくてたまらない。部下たちが驚いて口もはさめずにいる間に、古道具屋は真面目くさった顔で言う。

「どうしてもと仰るのなら、わかりました、お譲りしましょう。ただ代金として、その髑髏と同じだけの目方の金をいただきたい」

「そんなことは造作もない。後ほど必ず届けさせよう」

 城主は鷹揚に頷いた。

 かくして古道具屋のおやじはかねての望み通り、髑髏の目方と同じだけの金を手に入れたのである。おかみさんは大いに喜んだが、おやじは少し物憂げである。なんだか惜しい事をしたような気もするが、でもまあこれで財宝も手に入ったし、おかみさんにいいところを見せることも出来た。目刺しを一匹余計につけてもらっていい気分で酔っぱらっていたら、そのうちぼんやりとしたもやもやも消えてなくなってしまった。

 さて、城主が遠乗りをしていたのは兎狩りのためであったが、それはあくまでも目的の一つでしかない。もう一つの大切な目的として、隣の土地を治める領主の動きをそれとなく偵察するという仕事があった。城下はよく栄えてこともなく、城主の祖父の代から続く治世は平穏そのものである。幼いころから軍記物に憧れて育った城主は、今こそが領地を広げる絶好の機会ではないかとうずうず、内心辛抱たまらないのである。腹心の部下たちもみな野心的で、戦に向けた機運が城内でひそかに高まりつつある。

 城主は黒髑髏をたいそう気に入り、寝室の床の間に飾って、時間のある時にはいつでもそれを眺めていた。見る者に畏れを抱かせるような髑髏の威容はまさしく城主が理想とする武将の姿そのものである。髑髏とあの場で出会ったことこそ、開戦を後押しする神仏の導きとさえ思えた。

 その夜も、彼は髑髏を眺めながら布団に入った。明日には形だけの会議で開戦を決定し、城の内外に宣戦布告をする手筈となっている。

「頼むぞ、しゃれこうべよ。儂を勝利に導いてくれ」

 そう呟いて城主が眠りに落ちようとしたときである。襖を閉じ切ったはずの部屋で、不意に空気が揺らぐのを感じた。息苦しさを覚えて城主は目を開ける。はっと目をやると、床の間に置いていたはずの髑髏がひとりでに転がって、枕元に落ちている。と、髑髏の夜より深い黒色がむくむくと膨らみ、しゃれこうべはどんどん大きくなって、城主の頭を押しつぶそうとする。思わず情けない声を上げて、城主は布団を這いだした。床の間の刀掛けまで四つん這いでたどり着き、なんとか愛刀を手に取る。その間にも髑髏は巨きくなり続ける。襖がたわみ、床がぎしぎしと悲鳴を上げる。えいままよと目をつぶったまま、城主は膝立ちで刀を抜き放ち、髑髏の化け物に斬りかかった!

 軽すぎる手ごたえに恐る恐る目を開くと、そこには化け物など影も形もない。刀は枕を切り裂き、中の綿がぽろぽろと零れるばかりである。まるで自分の頭が斬られたようで、城主は思わず青ざめた。

 鞘に納めた刀を抱いたまま、城主は布団の上に胡坐をかいた。動悸はまだやまない。髑髏はまるでなにも無かったような顔で、相変わらず床の間に鎮座している。

「何かございましたか!」

 先ほどの声を聞きつけたのか、寝ずの番をしている警備の者が飛んできたようだ。襖を隔てて廊下側から、張り詰めたような雰囲気が伝わってくる。なにも無いと言いかけて、城主はしばし口をつぐんだ。

「……明日の会議は中止にする。出席する者たちに、急ぎ伝えてきてくれ」

 足音が遠ざかっていく。城主は刀を床の間に戻し、髑髏を手にとってしげしげと眺める。戦を目論んだ途端にこんな変事が起こるだなんて、あまりにも縁起が悪すぎる。開戦はしばらく延期するのがよいだろう。

 だが、不思議と髑髏を手放す気にはならなかった。結局彼は往生するまでその髑髏を持ち続け、生涯にわたって一度の戦も起こすことは無かったのである。


 話は古道具屋のおやじに戻る。ある昼下がり、おやじはまたぶらりと散歩に出かけた。気の向くままに足を進めていくと、どうしたわけか、また例の合戦跡にたどり着いてしまった。

「なんだ、ひどいことしやがる」

 石碑の前で、おやじは思わず顔をしかめた。おやじがかぶせていたはずの陣笠は地面に落ちてしまっている。それだけならまだしも、切れ味の良い刀でスパッとやられたような切り傷が、正面に深々と入ってしまっているのである。

 幸い両断されているわけではないので、おやじは陣笠を拾い上げ、砂埃を払ってまた石碑に乗せ直した。見ると、石碑の足元には数本の粗末な花が供えてある。もしかすると陣笠をかぶっているせいで、誰かが地蔵と間違えたのかもしれない。

 おやじもまた手を合わせ、ごにゃごにゃとひとくさり経を唱えると、ひとつ伸びをして歩き出した。雪に覆われた冬は終わりを告げ、季節は春を迎えようとしている。

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