第29話

 エディゴは、案内人のあとをついて冷たい廊下を歩いていた。エディゴの背後には二人の大男が構えていた。

「ついたぞ。時間は一時間だ。それ以上は認めない。」

 案内人はそう言うと、大男を連れてエディゴの前から立ち去った。彼らが遠くまで行ったことを確認し、エディゴは案内された部屋の中に入った。

「よお。」

 エディゴが囚人服を着たシェルドを見るのは、これが二度目だった。

「お元気そうで何よりです。」

 二人が顔を合わせるのは三か月ぶりだった。ガラスの向こうでいつもと変わらない笑顔を見せるシェルドに安心し、エディゴは目の前の椅子に腰かけた。

「あなたの釈放を求める者たちが、今日も裁判所の前で抗議していましたよ。」

 シェルドは深いため息をついて、力なく笑った。

「釈放なんて、俺は求めちゃいないのにな。まあ、いいや。きっと俺がこう言っても、そいつらは抗議をやめないだろうから。」

「……それで、本題は何だ?そんなことを俺に話に来たんじゃないだろう。」

 シェルドにまっすぐ見つめられ、エディゴはため息をついた。シェルドに隠し事など、できるわけがなかった。

「あなたの死刑が決まりました。毒杯の刑です。……死刑執行人はテーゼ様で、あなたの遺体の処理は私に任されました。」

 シェルドもエディゴもいたって冷静だった。

「毒杯の刑か。俺にずいぶんとお洒落で楽な死に方をさせるんだな。俺はてっきり斬首刑か、電気椅子かと思っていたよ。」

 毒杯の刑とは、大量の毒を飲まされて死に至る刑罰である。シェルドに毒杯をささげるのは、彼の妻であるテーゼ、シェルドの遺体を火葬場に連れていき、焼けた骨を集める役割はエディゴに任された。

「どんな処刑方法でも、あなたの生はここで終わってしまいます。」

「お前もテーゼも、罪に問われなかった。俺にとって、こんなに幸せなことはない。初めから俺も救われようなんて思ってない。」

 少しうつむくエディゴを、シェルドはまっすぐ見つめて、小さくため息をついた。

「欲を言えば、追放刑がよかったな。最期に外の世界の空気を浴びて死にたかった。裁判官も俺のしたことを分かっているんだから、そんなわけにもいかなよな。」

 裁判の様子をすべて見ていたエディゴは、力なく笑うシェルドを見て、唇をかみしめた。

「こんな時だけ、五級国民に生まれてこればよかったと思いますよ。自分が四級国民に生まれて、どれほど苦しんだか忘れていないわけではないのですが。」

 エディゴのつぶやきに、シェルドは笑った。生気のある笑顔だった。

「そうだな。地下に閉じ込められるのはごめんだが、外の世界で仕事ができるなんて、羨ましい限りだよ。こんなこと、当人らの前では言えないけどさ。」

 シェルドとエディゴは、研究の傍ら五級国民について調べていた。他の身分の者たちとは完全に隔離され、地下に閉じ込められて生活していることしか分からなかった五級国民だが、調べてみると、彼らは外の世界で宝石や貝などの宝飾品に使われるもの、植物や蚕など衣服に使われるものを採取していることが明らかとなった。

 天井を仰いで、だらしなく背もたれにもたれかかって、シェルドは大きくため息をついた。

「理想的な死に方ができるなんて最初から思ってなかった。でも、俺は幸せ者だよ。最愛の女が最期の晩酌に付き合ってくれて、最高の教え子の手で灰になれる。塔の中でこれ以上幸せな死に方はないさ。」

 エディゴは自分の手のひらを見て、シェルドを見た。そして軽薄な笑みを浮かべた。

「毒を飲んだくらいでは、あなたは死なないでしょう。」

 シェルドは驚いてエディゴを見て、高らかに笑った。

「そうだな。」

「……あなたは、私を生かしてくれました。私はこの恩を、一生忘れません。あなたが産み落とした、この本を一生かけて守り、あなたの意思を後の世につなげていきます。」

 エディゴが懐から一冊の本を取り出すと、シェルドは目を見開いて驚いた。それは十年かけてシェルドが作り上げた本で、一年前に出版された。シェルドや亡き仲間たちが行ってきた外の世界の研究をまとめたもので、出版されてすぐに話題となり、重版を重ねた。塔は早急にシェルドを逮捕し、本を禁書としたが、その対応が遅すぎるほどシェルドの著書は世に出回っていた。電子書籍としても出版されていたため、完全にこの世から消すことはできないと言われていたが、それでも塔は一年かけて、世に出回っていたシェルドの著書をできるだけ回収し、人々の記憶から消し去った。本来、この世にあるはずのない本なのだ。

「お前、よくここにそんなものを持ってこれたな。」

 エディゴは満面の笑みを浮かべた。右腕に着けられた青い腕輪が光った。

「上級身分の目を騙すことぐらい朝飯前ですよ。」

 エディゴが懐に本を戻すと、シェルドは肩の力を抜いた。

「その本を世に出したおかげで、俺と同じ意思をもつ者が増えたと思っている。しかし、肝心の本は消されてしまったから、いつかは消えてしまう意思だと思っていた。いくらみんなが言葉で意思を繋いでくれたとしても、伝承は文字にかなわない。」

 二人は、同時に穏やかに笑った。

「少し、安心したよ。これで俺の意思が死ぬことはない。」

 シェルドは机に手をついて、真剣なまなざしをエディゴに向けた。

「エディゴ、その本と俺の家族をよろしく頼む。」

 机に頭を打つほど深く頭を下げたシェルドに、エディゴはため息をついた。

「よしてください。あなたに言われなくても守り抜くつもりでしたから。」

 シェルドは顔を上げるなり、顔をゆがめた。

「俺は別に死んだってかまわない。だが、妻や娘たちを「死刑囚の家族」にさせてしまったことは本当に申し訳なく思っている。俺は死刑より、家族が俺のせいで罵声を浴びさせられることの方がよっぽどつらい。特にマリアはそろそろ十九になる。嫁入り前の娘に、父親が傷をつけてしまったと思うと、申し訳なくて申し訳なくて……。」

 うつむいて髪をかきむって、うめいている恩師をエディゴは冷ややかな目で見つめていた。

「大丈夫ですよ。テーゼ様はこうなることも覚悟の上であなたと結婚したと言っていましたし、マリア様も父親が犯罪者であることを気にするような男など、こちらから願い下げだとおっしゃいましたよ。」

 顔を上げたシェルドは、本当に情けない顔をしていた。エディゴは内心呆れたが、昔から変わらない彼の優しさに笑みがこぼれた。

「そうか、そうか、よかった。」

 時間をかけて話し合える機会はもうやって来ないことは、二人とも分かっていた。互いの家族のこと、今後の研究活動、それらはシェルドは本を出版する前にエディゴに一通りのことは伝えてあったが、その時と状況が変わったことも多い。エディゴは周りの現状を伝え、今後の対処の方針をシェルドに確認した。長年の付き合いからか、エディゴは「シェルドだったらどう対処するか」を熟知していた。

「相変わらず俺への理解度が高くて助かるよ。お前に任せておけば大丈夫だ。」

「もったいないお言葉です。」

 目をつぶって微笑んで、軽く頭を下げるエディゴを見て、シェルドは顔を曇らせた。

「一番損な役割をお前にさせてしまっているな。俺はよかれと思って、お前が研究に関与した証拠をすべて抹消した。今更こんなことを聞いてもしょうがないが、お前はこの結果でよかったのか。俺と一緒に死ぬ方がよかったか。」

 シェルドの問いかけに、エディゴは不敵な笑みを浮かべた。

「ケイド様が生きていたら、あなたと一緒に死んでいたでしょう。」

 エディゴの答えに、シェルドは唇をかみしめた。

「親と子を同一視すべきでない。それは分かっていますが、ケイド様はアルフ様の生き写しのような人でした。問題に真摯に向き合う姿はアルフ様そのもの。本人は否定していましたが、私はケイド様にも大衆を動かす力があると思っていました。」

 シェルドが曇った顔のまま頷いた。それを見て、エディゴは続けた。

「父親譲りの聡明さ、あなたが与えた知識と思考力、持ち前の着眼点の鋭さ、そして外の世界を歩いた経験、ケイド様は私たちの研究を引き継ぐにうってつけの人物であったことは間違いない。精神的な弱さや、悲観的に考えすぎてしまうところはありますが、その点は楽観的なアミ様がサポートしていけば問題ありません。ケイド様が外の世界の情報を私たちに提供し、アミ様とともに本格的に研究に参加したあの日、彼らが私たちの後継者になっていくだろうと、あなたも思ったことでしょう。」

「ああ、本当に……。あいつらがいれば安心だと思っていたよ。」

 シェルドは髪をかきむしった。

「ああ、どうして……。どうして死んでしまったのだろうか!」

 シェルドの声が、狭く無機質な面会室に響き渡る。エディゴはゆっくり瞬きをした。

「考えたってどうしようもない。あの日、彼らの死を知ることができただけでもよかったと思いましょう。」

 エディゴの目には、何も言わずに死んでいったアルフやリリカの姿が映っていた。シェルドはその目を見つめて、荒く息をつきながら「そうだな」とうめくように言った。

「……私は、人生のほとんどをあなたと共に生きてきました。もちろん、あなたの教え子になったことも、あなたの秘書になったことも、あなたの研究に参加したことも、自分の意思で決めたことなので、後悔していることなどありません。あなたと一緒に過ごしてよかったと思うこともたくさんあります。しかし、活躍を残したあなたの傍で在り続けたままの私で死ぬのは、少しだけ嫌だと思う自分もいます。せっかくあなたに与えられた残りの人生です。もちろん、あなたの意思を継ぎ、活動は続けるつもりですが、もう今までのように誰かの隣で生きる私で在りたくありません。これから私は私を主役として人生を歩んでいきたいと思います。」

 いつになく強い口調でシェルドに言葉をぶつけた。シェルドはしばらくエディゴの様子に驚いていたが、やがて懐かしそうに遠くを眺めた。

「そうだな。思えば、俺はお前が活躍できる場を奪っていたな。……すまなかった。」

 頭を下げるシェルドに、エディゴはまたため息をついた。

「私が求めているのは謝罪ではありません。あなたのことです、それなりの理由があったことくらいわかっていますよ。」

 シェルドは顔を上げると、ばつが悪そうに話し始めた。

「……言い訳がましくなってしまうが、いつか俺が罪に問われた時、お前が研究に参加していた証拠を残さないようにしていたら、そうなってしまったんだ。申し訳なく思っている。贖罪といったら聞こえがよすぎるが、俺のいらないおせっかいで生まれたこの先の人生、思う存分お前の好きなように生きてほしい。」

「言われなくても、そうしますよ。」

 二人は顔を見合わせた。この部屋に時計はないが、時間が迫っているということはお互いに理解していた。

 面会室の扉が強く叩かれた。エディゴは立ち上がって、踵を返して扉に向かっていった。ドアノブに手をかけて、エディゴはシェルドに顔を向けた。

「それでは、さようなら。先生。」

「ああ、気をつけてな。」

 ただの学生と教え子の関係だったころと同じように接しても、シェルドの胸の中には懐かしさよりも虚しさが広がっていた。

 エディゴはまっすぐシェルドをみつめ、深々と頭を下げた。エディゴは立ち上がると、監視官に会釈して、面会室から出ていった。

 エディゴは、一度も振り向かなかった。

 

「……エディゴ、お前はケイドの生死に関係なく、俺と一緒に死ぬつもりだったんだな。」

 そうつぶやくと、空っぽの面会室の天井を見上げ、シェルドは一筋の涙を流した。

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