第28話

 遠くに見えていた塔が、徐々に近づいている。昨日見たときは真っ黒な塔に見えて、自分が生まれ育った塔に帰ってきてしまったのではないかと不安に思ったが、近づいてみるとその塔は白っぽい外装をしていて、自分の塔とは別物であることがわかった。ミウレを疑っていたわけではないが、移動している間は同じ景色ばかり見ていたので、本当にたどり着けるのか不安だった。この白い塔を見た瞬間、そんな不安も言葉では表せないくらい大きな感謝に変わった。

 塔の中と、外の世界をつなぐ大きな門の前にやってきた。ミウレは無言のまま、私が持っていた荷物を受け取った。

「ついたよ。」

 荷物を身に着けて、ミウレは塔を見上げた。

「ミウレ、今まで本当にありがとう。」

 崖に落ちた私を救ってくれて、この塔まで案内してくれた。ミウレがいなければ、私は塔にたどり着かなかっただろう。色んな思いを込めて、私はミウレの方を向いて、深々と頭を下げた。

「ボクからも、ありがとう。ケイドと過ごした日々は、本当に楽しかった。ケイドの言葉で、救われたこともあった。本当にありがとう。」

 別れがすぐそこまできていることを実感して、私はぽろぽろと大粒の涙をこぼした。ヘルメットがあるせいで涙を拭うこともできず、ただうつむいてガラスに涙がおちる音を聞いていると、小さくてもしっかりとした腕で抱きしめられた。私はたまらなくなってその場に膝をついて、目の前の小さな体を抱きしめた。

 しばらくそうしていたが、ミウレが私の背から手を離した。

「ずっとこうしていても、いけないよ。ケイドを待っている人がいるんでしょ?」

 私は頷いて、立ち上がった。

「そうだ、ミウレ。今までのお礼にこれを受け取ってくれ。」

 私は鞄の中から父の耳飾りを手に取って、ミウレに渡した。ちゃらちゃらと音が鳴って、手のひらに広がった耳飾り。青色の宝石が太陽の光で輝いて、塔の中で見たときよりも美しく見えた。

 ミウレは手の中の耳飾りを慎重につついて、珍しく不安そうに私を見た。

「これ、絶対高価なものだよね。受け取れないよ……。」

「いいんだ。元々は死んだ父のもので、僕が買ったものでもない。それに、ミウレには本当に感謝しているんだ。受け取ってくれ。」

「お父さんの形見なら、なおさら受け取れないよ。」

 返そうとするミウレの手を、押し返した。

「もらってくれ。父は外の世界に憧れていた。自分の形見が外の世界に住む息子の恩人に渡るなら、父も本望だと思う。」

 ミウレは納得してくれたのか、手の中の耳飾りを見つめて「ありがとう」と呟いた。何度か耳飾りを耳に当て、どの耳にどうつけようか迷っていたが、最終的には耳飾りを二つとも左耳につけた。ミウレが動くたびに二つの耳飾りはぶつかって音を立て、きらきらと輝いていた。

「似合っているよ。」

 そう言うと、ミウレは照れくさそうに笑った。

 ハコベラに目を向けると、いつもミウレばかり見つめているハコベラが、珍しくまっすぐ私を見つめていた。ハコベラの目の前にしゃがんで、額を撫でてやると、彼女も自ら額を私の手のひらにすり寄せてきた。

「ケイド、ちょっとだけ頭のやつをとってみて。」

 ミウレに言われた通り、ヘルメットを外すと、ハコベラは待っていましたと言わんばかりに私の唇に飛びついて、口の周りをべろべろ舐めた。驚いて後ろに倒れこむと、ハコベラは私の上に乗っかった。

「ははは!これはすごいな。」

 その様子を見て、ミウレは大声で笑っていた。ハコベラの舌をよけながら、ミウレにどうしてハコベラがこんなことをするのか訊くと、ミウレは嬉しそうに「ケイドのことが好きなんだよ」と言った。そう言われると、口周りをハコベラの唾液でべたべたにされても悪い気はせず、私はそのままハコベラに好きなだけ舐めさせた。


 ハコベラが満足したようなので、私は起き上がって、ヘルメットを脇に抱えた。

「ミウレ、お別れだね。今まで本当にありがとう。楽しかったよ。」

 ミウレは首を振って、微笑んだ。

「お別れじゃないでしょ。きっと、ボクたちまた会えるよ。」

「そうだね。色々落ち着いたら、外の世界にも顔を出すよ。」

 ミウレは、塔を見上げた。

「今日からこの塔はボクにとって、特別な場所になる。不思議だね、今までボクにとってこの塔は、他の人と狩場を分ける目印でしかなかったのに、ケイドがここに住む今日から、ボクの特別で大切な場所の一つになる。塔の外見は何一つ変わっていないだろうけど、目に見えない塔の中が少し変わっただけで大事になるんだ。目に見えるものなんて、大したことじゃない。見えないものが本当に大事なものなんだね。」

「狩りに出るたびに、この門の前で君を呼ぶよ。ケイドには聞こえないかもしれない。返事はできないかもしれない。それでも、ボクは君に声をかけるよ。こう決まり事を決めておけば、この門の前で必ずケイドを思い出す。もう一度ケイドと出会ったときに、誰だか忘れてしまったなんてことは、絶対になくなる。」

「ありがとう。僕もミウレが傍にいてくれているかもしれないと思えば、つらいことだって乗り越えられる気がするよ。」

 ミウレはもう一度私を抱きしめた。そしてすぐに離すと、ハコベラの背中を撫でて、私に背を向けた。そして、振り返って

「またね!」

と元気よく走り出した。私も精一杯

「また会おう!」

と返した。ミウレは走りながら、私に手を振った。

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