第27話

 翌日、私たちは太陽が伸びる前に起き、まだ太陽は顔を出していないが空は明るい時間に、準備を済ませて歩き始めた。ミウレによると、太陽が沈む前にはたどり着くことができるそうだ。

 本当にうれしかった。ずっと画面越しでしか姿を見ることができなかったアミにもうすぐ会うことができるのだ。マイク越しではないアミの声を聞くことができるのだ。あの艶やかな髪、白い肌に触れることができるのだ。

 しかし、少し寂しい気持ちもあった。アミの塔に着けば、この旅は終わってしまう。すべてが落ち着いたら、たまに外の世界に出ていけばいいと思っているが、この広い世界でミウレやハコベラともう一度会えるとは限らない。もう二人には会えないかもしれない。そう思うと、涙が出そうだった。

 複雑な気持ちを抱えたまま二人の後をついていると、ミウレは私に背を向けたまま話しかけてきた。

「今日も、寄り道していってもいい?塔はもう見えているし、日が落ちるまでに時間があるからさ。」

 ミウレの提案に私は「いいよ」と答えた。アミのことも心配だったが、ミウレとの時間も大切にしたかった。


 私たちは無言のまま歩き続けた。森の中では、狩りも同時にしていかなければならないので、会話は必要最低限にとどめていたが、もうそんなことをする必要はない。もうすぐ別れなければならないのは、お互いに分かっているはずなのに、何も言葉が出てこなかった。

 歩き続けていると、色とりどりの花々が見えてきた。森の中で花を見かけることもあったが、どれも地味で見つけても特に何も思わなかった。しかし、こんなにも色とりどりでたくさん生えていると、流石に感動した。花を踏まないように、そっと花々の中に忍び込むと、自分の周りだけ別の世界なのではないかと思うくらい、幻想的な景色が広がっていた。

「いい場所でしょ。」

 そう言うと、ミウレは全身を使って深呼吸した。ハコベラも大気の匂いを嗅いでいる。

「すごくいい匂いがする。きっとこの場所にはたくさんの花が咲いているんだろうね。」

花には香りがあるのかと思い、少しだけヘルメットを外して大気の匂いを嗅いだが、特にいい香りはしなかった。きっと、ものすごく繊細で、視覚から無駄な情報がないミウレにしか感じられない香りなのだろう。

「ああ、すごくたくさんの花が咲いている。」

 私はミウレの手を取って、一つの花の集まりに触れさせた。ミウレはその中の一輪の花の花弁を優しくつまんだ。

「ねえ、この花はどんな色?」

「それは桃色にほんの少し赤を混ぜたような、可愛らしい色をしているよ。」

「じゃあ、この花は?」

 ミウレは一輪一輪花を手に取ると、私に色を聞いてきた。色の概念が分からないミウレに、この説明で伝わるのかは分からなかったが、ミウレは理解しているらしく頷いていた。一通り周囲の花の色を聞くと、花に触れるのをやめた。

「小さいころは目が見えていたから、どの色の名前がどんな色か、少しだけわかるんだ。不思議だよね。ボクは記憶力がないのに、色の名前はちゃんと覚えているんだ。色の名前以外にも、目が見えていた時のことはよく覚えている。」

 私はミウレの額から目までえぐり取られた顔を見た。ミウレはなぜ自分が視力を失ったのかについて一切言わなかったが、私はこの頭を見ていると、脳の切除手術が関係しているようにしか思えなかった。先天的に目が見えないにしても、後天的に目が見えなくなっていたとしても、目を周囲の骨ごと取り除く必要はないはずなのに、どうしてだろうと、疑問に思わずにはいられなかった。

「この場所はずっと前に狩りに出たときに見つけたんだ。たくさんの花が咲いていることは匂いで分かったけど、それらがどんな花で、どんな色をしているかは分からなかった。いくらボクでも、花の気配まで察することはできない。どこに花が咲いているのか分からないから、花を踏んでしまいそうで怖くて近寄れなかったんだ。」

 ミウレは私に微笑みかけた。

「でも、今日はケイドと一緒だから、花を傷つけずに花畑の中に入ることもできたし、この花たちについて知ることもできた。ありがとう。」

「いや、お礼を言いたいのは僕の方だよ。こんな素敵な場所を紹介してくれてありがとう。ここの景色、君とここに来たこと、一生忘れないよ。」

「ボクも忘れたくない。……そうだ。昨日みたいに、この花畑に来たことを紙に書いてよ。そしたらボクも忘れない。」

 私は二つ返事で引き受けた。花畑の中に、花が全く生えていない、穴が開いているかのような場所があったので、ミウレの手を引いて花をよけながらそこに移動した。森の中では、歩きなれているミウレが私を先導しており、目が見ないことを忘れるくらい軽々と先に進んでいくミウレを何度も見ていたので、ミウレを引っ張って歩く自分が不思議だった。

 ふと振り返ると、いつもミウレの隣を歩いているハコベラも、この時はミウレの後ろについていた。私が花をよけて歩いていることを理解しているのか、いつもより慎重にちょこちょこ歩いていた。


 草むらに座り、私は一面の花畑の写真と、花畑の真ん中に佇むミウレとハコベラの写真をとった。そして、鞄から紙とペンを取り出して今日のことを書き始めた。

 ミウレはその間、座り込んでハコベラと花と戯れていた。その様子を、写真に収めたくなったので、私は端末を手に取り写真を撮った。写真を撮るときに音が鳴り、ミウレとハコベラが同時にこちらを向いた。私は何度も二人の前で写真を撮っているし、以前に外の世界の写真を撮っていることも説明していたので、今更この音に反応しないだろうと思っていた。

「写真を撮っていたんだ。」

「あ、写真か……。」

「写真を残しておけば、僕はミウレとハコベラの姿をいつでも見ることができる。君たちの姿をずっと忘れないようにするために撮ったんだ。」

 そう言った途端、ミウレは立ち上がった。

「え、ずるい!ボクもケイドの姿を知りたいし、忘れたくない。」

 目の見えないミウレに、どうやって自分の姿を知らせるか、私は必死に考えた。

「じゃあ、僕の見た目の特徴を、文章で残しておくよ。それをレイ姉ちゃんに音読してもらったら、ミウレは僕の姿を知ることができる。」

 そう提案するとミウレは飛び跳ねた。早速思いつく限りの私の身体的特徴を書き並べた。ヘルメットと分厚い上着を脱ぎ、ミウレに私の頭や顔、全身を触らせ、ミウレの視点からの私を話してもらった。「髪は柔らかいけどパサパサ」「肌がカサカサ」など、失礼なこともたくさん言われたが、それもなんだかミウレらしいと思えた。一通り書き終えて、ミウレに紙を差し出すと、ミウレは顔を曇らせた。どうしたのか訊くと、首をふった。

「こんなにたくさんケイドの特徴を書いてもらったけど、レイ姉ちゃんに読んでもらってボクが想像したケイドの姿と、本当のケイドの姿は全然違うんだろうと思うと、なんだか申し訳なくなって。」

 ミウレはうつむいた。

「ボクの目があったら、ボクの目が見えていたら、こんなことしなくてもケイドの姿を知ることができたのかな。」

 ハコベラが心配そうにミウレを見上げている。

「確かに、目が見えていたらもっと簡単に僕の姿を知ることができたと思う。でもね、ミウレ。目に見えることだけがすべてじゃない。目で見たことなんて信用できないんだ。目で見た情報は、脳で処理される。でも、脳が自分とは違う意思をもっていて、勝手に色を変えて処理したら、それは僕とは全く違う人になってしまう。目で見たものだけでなく、手で触れて感じたことも残し、二人で作り上げたこの紙の方がよっぽど本当の僕の姿をうつしている。そこから想像した僕の姿が、間違っているはずがない。目が見えないことを悲観しないで。ミウレは誰よりも、僕の本当の姿をみることができるんだよ。」

 自分の言いたいことがまとまらず、ミウレにうまく伝わったかは不安だったが、ミウレは笑顔で「ありがとう」と返してくれた。私は自分で言いながら、自分の考えを整理していた。水槽の脳は目で見ているわけではない。肌で感じているわけでもない。水槽の脳が感じているものは、全て自分が作り出した刺激で、直接脳が感じたわけじゃないのだ。そういうところに、水槽の脳と人間と大きな違いがあるのだ。ミウレと話していて、新たな発見が見いだせた。私のほうが感謝したいくらいだった。

ミウレは紙を大事そうに折りたたんで、鞄の中に入れ、私の目を見て

「そろそろ行こうか。」

と私の手を握った。名残惜しかったが、私はミウレの手を引いて花畑から抜け出した。

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