第22話

 猛烈な空腹感で目が覚めた。空腹感を感じるということは、私は生きているのだろう。瞼が張り付いて目を開けられなかった。かなり長い時間眠っていたのだろう。何とか開いた目であたりを見ると、空が広がっていて、端には石の壁が見えた。ここはどこだろうかと疑問に思うが、それよりも空腹とのどの渇き、そして徐々に感じ始めた背中の痛みを何とかしたかった。起き上がろうと腕を動かすと、自分の腕が思ったより軽かった。驚いて腕を見てみると、私は防護服を着ていなかった。慌てて起き上がろうと動くと、近くで声が聞こえた。

「まだ動いたらだめだよ!」

 どこかで聞いたような声だった。私は首を必死に動かして声の主を探した。

 一つ目の仮面をつけて、顔の上半分を隠した子供が私の顔を覗き込んだ。私は驚いて声を上げた。外の世界に人がいたのだ。

「よかった!目覚めたんだね。」

 驚く私を気にも留めず、子供は手を叩いて喜んだ。

「君さ、崖から落ちたんだよ?ボクは大声で叫んで止めたのに、君ってば止まらないから本当にびっくりしたよ。崖の真ん中にある棚みたいな場所に落ちたのと、君が着ていたでっかい服のおかげで背中を強く打っただけで済んだけど、そうじゃなかったら骨が折れていただろうね!」

 ぺちゃくちゃと元気にしゃべる子だった。最初は混乱したが、少し状況がわかってきた。とにかく、私は高いところから落ちたのだろう。しかし、この子供はいったい誰だ。

「でっかい服は、壊れちゃったから脱がせたよ。勝手にやってごめんね!」

 でっかい服というのは、防護服のことだろう。もったいなかったが、壊れたものを着て歩くのも危険なので、この子供の判断には感謝しかなかった。口を開こうとすると、子供が首を傾げた。

「あー、やっぱりボクのしゃべっている言葉分からないよね。ボク、おとぎ話の言葉は覚えられたけど、フク語は複雑で覚えられなかったんだ。でも頑張って伝えるから、なんとなく言いたいことを汲み取ってね。」

 ぺちゃくちゃと早口で話す子供に、私は返事が追い付かなかった。子供が身振り手振りで何かを伝え初めてから、やっと声を出すことができた。

「待ってくれ。さっきまでのお前の言葉はちゃんと伝わっているよ。」

 そう言うと、子供は表情を明るくした。仮面をかぶっているので、口の動きしか分からなかったが、それでも喜んでいるのが十分に伝わった。

「まず、状況を確認させてくれ。」

 口を開きかけた子供を制止するように続けた。

「僕は、あそこから落ちた。着ていた服もボロボロになった。それを君が世話してくれたということだね。」

 石の壁のてっぺんを指さしながら、子供にも分かるように状況を整理した。

 子供なんて相手したことがなかったから、これでちゃんと伝わってくれるか不安だったが、目の前の子供は嬉しそうに頷いた。

「本当にありがとう。ちなみに、僕が落ちてからどのくらい時間が経った?」

「そんなに経ってないよ。落ちたのは昨日の夜で、今は朝だから。」

 一晩私は気を失っていたらしい。こんなことになっていなくても、どうせ夜は何も行動できないだろうから、そこまで時間のロスがあったわけではない。私はひとまず安心した。

「ありがとう。」

 私は嬉しそうに私の顔を覗き込む子供に、精一杯微笑みかけた。

「自己紹介がまだだったね。僕はケイド・ルーヴェ。」

「ボクはミウレ。」

 そう言うと、ミウレはそっと私の上体を起こしてくれた。

「お粥を作ったんだ。一人分しか食器がないから、ボクと一緒のお椀とお箸を使うことになるけど、そこは我慢してね。」

 おかゆとは何だ。と思ったが、おそらく食べ物の一種だろう。目の前に鍋のようなものが見える。ミウレは私に背を向けた。ミウレのことが気になって仕方がなかった。ミウレは外の世界に住んでいる人なのだろうか、それとも私と同じように塔から逃げ出した人なのだろうか。色々質問したかったが、まずは腹が減って仕方がないので、ミウレが用意してくれる食べ物をいただくことにした。

ミウレが顔に着けているもの、私は仮面だと思っていたが、後ろから見るとそれは頭をすっぽり覆っていて、仮面というより帽子に近いものだと分かった。あんなに大きな帽子を、目が隠れるほど深くかぶっていたら、見えなくて食事の準備などできないと思うのだが、ミウレは手際よく準備を進めていた。

 ミウレは鍋からどろどろの液体をお椀に入れて、その上に何か乗せた。

「はい、どうぞ。」

 お椀と二本の棒を渡されたが、私はどうしたらいいのか分からなかった。とりあえずヘルメットを外して、それらを受け取った。

「えっと……ごめん。これはどうやって食べたらいいのかな。」

 手の中で二本の棒を転がしながら訊くと、ミウレはなぜか喜んだ。

「お箸を使ったことないんだね。ボクが教えてあげるよ!」

このくらいの年の子は人に教えられることばかりだから、人に教えることに喜びを感じるのだろう。ミウレは一生懸命、このお箸とやらの使い方を教えてくれたが、お箸は一度教えられたくらいではうまく使える代物ではなかった。

「アハハ!やっぱり使えないよね。ボクも使えるようになるまで結構時間かかったよ。とりあえず、今日はこれを使いなよ。」

 ミウレは腰に着けていた鞄から、匙を取り出した。

「ありがとう。これなら僕でも使える。」

 匙を手に取ったが、このおかゆをどう食べればいいのかはまだ分からなかった。どろどろの液体の上に、焼いた細長い生き物のようなものが乗っかっていた。この生き物も食べられるものなのだろうか。

 匙で生き物をつつきながら、ミウレに訊いてみると、また嬉しそうな顔をした。

「それはお魚だよ。なんのお魚まではボクも知らないけど、とりあえずとっても美味しいよ。焼いてあるから、ほぐして下のお粥と混ぜて食べなよ。」

 魚、聞いたことはある。水の中で生活している生き物だったはず。水が貴重品の塔の中ではまず食べられないものだ。ミウレに言われた通りに、匙で魚をつぶしてお粥と混ぜて、口の中に運んだ。

 優しいうまみが口の中に広がって、私は驚いた。正直あまり美味しそうには見えなかったので、期待はしていなかったが、それを申し訳なく思うくらいに美味かった。

「美味しい?」

 頷くと、ミウレはまた喜んだ。

「よかった。」

 お粥を平らげて、お椀をミウレに渡した。自分の鞄から飲み水をとって飲んでいると、ミウレはお椀にお粥を入れながら話しかけてきた。

「ケイドは、あのでっかい建物から来た人なの?」

「そうだよ。僕はでっかい建物、塔からやってきたんだ。」

 言いながら、ミウレはどこから来たのだろうと今更疑問に思った。

「ミウレはどこから来たの?」

 そう訊くと、ミウレは笑った。

「ボクはこのあたりの村に住んでいるよ。」

「住んでいる?この世界は空気に有害な物質が混ざっていて、それを大量に体の中に入れると死んでしまうんだぞ。そんな世界で生活なんてできるのか?」

 ヘルメットを被りながら話すと、ミウレはまた笑った。

「おとぎ話で聞いた通りだ。ケイドは本当にあの塔に住んでいる人なんだね。」

 驚きで困惑している私にミウレは優しく語りかけた。

「ケイドが思っているほど、ここは恐ろしいところじゃないよ。でも、ケイドが言う通り、ここで生きるには、人にとって有害なものと一緒に生きなきゃいけない。」

「教えてあげるよ。ボクたちはね、この世界で暮らすために色んなものを失ったんだ。」

 ミウレはお粥の上に焼いた魚を乗せた。

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