第19話

 本格的に、アミの塔へ向かう準備が始まった。

 まずはエディゴに教えてもらった保存食を作った。養鶏場の鶏が死んだときにしか鶏肉を食べない私が、鶏を殺してまで保存食づくりに精を出すのを、秘書は少し不審がっていたが、「料理の楽しさを覚えたんだ」とごまかした。

 アミの塔にたどり着く成功率を上げるため、私は方角に関する知識をつけ、計画を改めた。地図によるとアミの塔は、私の塔からまっすぐ西に向かったところにあるらしい。方位磁石というものがあれば、西がどの向きにあるのか常に把握することができ、最短ルートを行くことができるそうだ。

「もし、方位磁石が見つからなければ、タイヨウを見つけるんだ。」

「タイヨウ?」

「どういう原理なのかは分からないが、タイヨウは朝になると東の地面から出て、朝と昼の間は空と呼ばれる青色の領域を照らしているらしい。夜になるとツキと交代するように西の地面に沈むそうだ。タイヨウが沈みかけると、空は橙色になるらしい。空が橙色になった時にタイヨウに向かって歩けば、西に向かって歩いていることになるさ。」

 空にはタイヨウというものがついているのか、父から空の話は聞いていたが、タイヨウの存在まで知らなかった。私はますます空への興味が高まった。しかし、タイヨウなどアテにできるのだろうか。タイヨウがどのくらいの大きさなのかは知らないが、もし見失ってしまったらどうにもできない。それに、タイヨウが沈む時間にしか行動できなくなるのは御免だった。そんなに多くの時間は残されていない。なんとしても方位磁石を見つけなければならない。

 もう一つ、アミの塔に向かうために必要なもの、ヘルメットと防護服。シェルドは地下倉庫にあると言っていたが、実際これらが見つかったのは地下倉庫の前のごみ箱だった。ごみは数日に一度、焼却処分されるのだが、その前に機械によるチェックが入り、ごみとしても処理できないものは端に寄せられる。本来なら塔に住む人間が、チェックではじかれたモノの処理を行うのだが、私はそこまで手が回らず、長年放置されていた。

二着の防護服とヘルメットを手にしたとき、秘書が慌てて「それは焼却処理できなかったごみです。」と、聞いてもいないのに説明してきた。きっと、父が地下倉庫から持ち出した防護服とヘルメットを、秘書が廃棄しようとゴミ箱に棄てたのだろう。

「服のように見えるけど、何に使う服なの?」

 防護服だと分かっていたが、あえて秘書に訊いてみた。秘書がどんな説明をするのか、興味があったのだ。

「それは大昔、外の世界での労働を命じられた者たちが着用していた服です。それを着ても外の世界の有害物質は防ぎきれないので、今はどこの仮国でも使用が禁じられています。」

「ふぅん」と浅く返事をしておいた。秘書が言っていることが本当か嘘か気になったが、あまり追及しても怪しまれるだけだった。あとでシェルドに確認しておこうと思って、その場は興味ないふりをして乗り越えた。

「でも、大昔に使われていたものなら捨てるわけにはいかないな。貴重なものだ。綺麗にして地下倉庫にでも飾っておこう。」

 私がそう言うと、秘書は分かりやすく慌てた。こんなに感情をあらわにする彼女は珍しかった。機械のくせに。

「残しておいても、なんの役にも立ちませんよ。棄てましょう。」

「じゃあお前は、この塔にある何の役にも立たないものはすべて捨てるべきだと思っているのか。」

 秘書はたじろいだ。小声で「いえ、そんなつもりはございません」と言った。私はここまで人間らしい秘書を見たのは初めてだったので、面白くなってしまって、心の中で笑ってしまった。

 少しの間にかなり準備が整った。しかし、一番大きな問題は解決していなかった。

 あまり時間もないので、脱出は明後日の朝に決まった。服と靴、鞄を用意した。自室のクローゼットを整理すると嘘をつくと、秘書の目もごまかすことができた。ばれないように薬や栄養補助食品もできるだけ詰め込んだ。

 今日できることはすべて終わらせて、椅子に座って一息つくと、ちょうどシェルドから着信があった。

 応答すると、シェルドも一仕事終えた後のような表情をしていた。

「お疲れ様。アミはどうだった?」

 準備に忙しい私の代わりに、今日はシェルドがアミの面倒を見ていた。

「少し元気はなかったけど、ほとんどいつもと変わらない様子だったよ。」

「そうなんだ。それにしてはすごく疲れているように見えるけど?」

 シェルドは深いため息をついた。

「あいつの寝顔に驚かされた。アミは、静かに眠るんだな。寝息も聞こえず、ピクリとも動かないもんだから、俺はてっきり死んだかと思って焦ったよ。」

 アミの寝顔は美しいが、初めて見ると確かに生きているようには見えない。

 シェルドはアミの容態を、私は今日行った脱出の準備を報告した。秘書が使えないと吐き捨てた防護服とヘルメットの特徴を、事細かに話すと、シェルドは「いや、十分に機能する型の防護服だと思うよ。」と笑った。

「防護服とヘルメットが見つかっただけよかったよ。」

 私からの報告をすべて聞くと、シェルドは椅子の背もたれにもたれかかりながら安堵した。そして、思い出したように付け加えた。

「あ、そうだ。塔から出たら、俺に連絡してくれ。塔の外で端末が使えるのか気になるし、ケイドの無事も確認したいから。」

「わかった。」

 シェルドは、目線をそらして少し照れながら続けた。

「それと……端末には写真が撮れる機能がついているんだ。使い方は教えるから、もしよかったらそれで外の世界の写真を撮ってくれないか。アルフもそうだったと思うが、俺も外の世界への興味が尽きないんだ。」

 私は、エディゴの話を思い出した。シェルドの仮国では、法律によって外の世界への興味をそそるものすべてが禁じられている。法に触れると分かっていても、外の世界の研究を進めているほど、外の世界に興味があるシェルドに写真なんて見せたら涙も流しかねない。

「わかった。」

 承諾すると、シェルドは子供のように目を輝かせた。シェルドのためにも、アミのためにも、そして自分のためにも、何とかしてこの塔からでなければいけないと思った。

「ありがとう。」

 さっきまでの輝かしい表情は、一気に暗くなった。

「もう少し後になったら、二人にも話そうと思っていたんだが、実は俺の仮国では外の世界に興味を持つことすら法律で禁じられている。」

 エディゴから一度聞いた話だった。シェルドから同じ話をされた時は、知らないふりをしておくようにと言われたことを思い出して、大げさに反応をしようかと思ったが、普段あまり嘘をつかない私がそんなことをしては、不自然極まりないだろう。できるだけ平然を装って「そうなんだ」と返したが、それでも少し変だと思った。シェルドはそんな私の様子など、気にしておらず、そのまま続けた。

「本当は俺もケイドと一緒に外の世界にでて、二人で探検したいくらい外の世界に興味があるんだ。けど、こんな法律のせいでこの気持ちを表に出せないし、外の世界に出ることもできないから。自分なりに調べて想像していたりしたんだ。写真でも外の世界が見えるなんて夢のようだ。」

 シェルドは私の不自然な様子に目もくれず、目を輝かせて外の世界について語る。こうなるとシェルドは少年のようだった。

「あ、そうだ。さっきアミには確認したんだが、ケイドの塔は外の世界につながる扉に鍵はかかっているか?」

 扉の鍵のことなど、すっかり忘れていた。外の世界につながる扉に鍵がかかっていないはずがなかった。確認しに行かなければと思ったが、ただでさえ脱出の準備で秘書から不審に思われている今、確認するのはリスクが大きかった。

「アミの塔は、アルフがアミの塔に行こうと計画を立てていた時に、いつアルフが来ても困らないように、リリカが鍵を外しておいたそうだ。ケイドの塔でも、アルフが鍵を外してあるかもしれないが、その辺確認したのか?」

 ふと思い出して、私は自室の本棚からファイルを取り出した。もう一年ぐらい触っていないが、このファイルには塔内の見回りを行った時の記録を残してある。

 様々な確認事項が並んでいる。水槽の脳の数、機械の数……様々な項目の中で、私は外の世界につながる扉の鍵についての項目を探した。

 画面の向こうのシェルドには、私が何をやっているかは分からない。何度か呼びかける声が聞こえたが、全部無視して必死に探した。見つけたときには、思わず「あった……」と声をもらした。

 大扉の鍵という項目の隣に、施錠されていないという走り書きがあった。そのページには日付も書かれており、それは今から約一年前だった。

「一年前の塔内見回りの記録では、施錠されていないと書かれている。」

 嬉々としてシェルドに報告する。シェルドも表情を明るくした。

 おそらく、見回りでチェックだけしておいて、後で施錠しておこうと思ってそのまま忘れ去ってしまったのだろう。今回はそれで救われたからよかったものの、自分のずぼらさには本当に呆れた。

「じゃあ、大丈夫だな。扉の鍵の設定には、指紋認証が必要だ。秘書に勝手に設定を変えられていることもないだろう。」

 頷くと、シェルドは深呼吸をしながら背もたれにもたれかかった。

「よかった。これで不安要素はほとんどなくなった。……あとはよい未来をイメージしていれば大丈夫だ。それはきっと現実になるから。」

 シェルドの言葉を信じて、できるだけ明るい未来をイメージした。

 外の世界はどうなっているのだろう。父が言っていた、美しく広大な空、たくさんの水が広がっている海、木がたくさんある森、宝飾品よりも美しいと言われる花、それらを見ることができるかもしれないと思うと心が躍った。外の世界に出ることが、本当に楽しみになってきた。

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