第16話
アミが大けがをしてから、五日経った。
私は五日のうちに、アミの塔へ行く計画を固めた。シェルドから外の世界の地図データを送ってもらい、どう行ったら安全かを考え抜いた。私の塔とアミの塔の間に、一本の大きな川が通っていた。他にもいくつか川のような地形が見受けられたが、この川は他の何倍も幅が広かった。この大きな川を避けて通ることはできない。シェルドによると、大昔の人間は、川を渡るために、「橋」という建造物を建てたそうで、それを使えば泳がずに川を渡れるらしい。しかし、どこに「橋」が建てられているか、という情報は地図に残されておらず、「橋」は実際に外の世界に行って探さないといけなかった。「橋」をいかに早く見つけられるか、それがこの計画の肝だった。
塔から出るまでの計画も、順調に進んでいた。ちょうどこの五日間の間に、秘書の腕が外れ、修理する必要がでてきたので、ついでにメンテナンスと称して秘書の体を調べた。秘書は解体してメンテナンスをしている時でも意識があり、私の質問に逐一答えてくれて、簡単に秘書の構造を調べることができた。調べて初めて分かったことだが、秘書は戦闘用でも、監視用の人型ロボットでもなく、愛玩用のロボットだった。体の内部隅々まで解体してみても、銃や刃物は見当たらず、自爆用の爆弾もなかった。私を監視していると言っても、カメラがついているのは瞳だけで、それも特別上等なものでもなかった。どこかに触れると反応するレーザーのようなものを張って、それが反応するとアラームが鳴るようなシステムがあるのかと思って探してみたが、監視のための装置はカメラ以外見つからなかった。秘書はただひたすらに、人間を模して造られたロボットだ。思ったほど秘書に危険性がないことが分かったので、私は秘書の脚の付け根の金具をいじり、腰に衝撃を与えればすぐに脚が取れてしまうようにした。私が外の世界に行くのを、秘書が止められなければ良いだけなので、それだけでも十分だった。あとは、私が外の世界に出ようとしていることが、秘書に伝わらないようにするだけだった。おそらく父は、外の世界に出ようとしたことが秘書に見つかったから、殺された。秘書が自分を監視するものだという意識を欠いていたから失敗してしまった。この計画を成功させるために、外の世界に出ようとしていることを秘書に勘づかせてはいけなかった。
外の世界でてから、どういう道のりでアミの塔を目指すか、秘書からどう逃げて外の世界にでるか、この二つの計画と、秘書の体を解体して調査した結果を、シェルドに伝えた。シェルドは秘書を殺さなくても塔から出れるのなら、この計画の成功率も上がると言って、それ以降はかなり前向きに計画を支援してくれるようになった。
「お前が本当に外の世界に出て、外の世界を見て、生きてアミの塔にたどり着くことができたなら、アルフの無念も晴れる。絶対に、成功させてやりたい。」
決心を固めたように私の背中を押してくれたシェルドの強い眼光と、その言葉を、私は脳裏に焼き付けた。
この五日間で、アミは精神的に疲弊していた。折れた骨がくっつくまで、二ヶ月以上かかるそうだ。アミはずっとベッドに横たわっていることがストレスで、機械に手伝ってもらって、一日数回、部屋を一周する運動をしている。洗面所で体を洗うことも始めたが、ひどく時間がかかるため、それもまたアミのストレスの一端になっていた。食事も大変だった。さすがに栄養剤に飽きてきたのか、最近は私が提案したように二種類を混ぜて飲んでいる。栄養はしっかりとれているはずだが、日に日に元気がなくなっているような気がする。それに、彼女が寝ている時間も長くなった。
私と話していると、寝るタイミングがつかめないかと心配していたが、アミは眠たくなるとすぐに顔に出る。「少し休む?」と促すと、とろんとした目で頷く。
こんな状況でも、アミの寝顔は美しかった。「私が寝ているときは読書でもして、私の寝顔をなるべく見ないで」と言われているため、アミが完全に眠りにつくまでは本に目を落としている。しかし、すぅすぅと寝息が聞こえてくると、アミの寝顔をじっくり見てしまう。もちろん、申し訳なさはあるが、そんなこと考えられなくなるくらいに美しかった。五日間もまともに洗われていないのに、その髪は相変わらず艶やかで、白い肌もハリを失っていなかった。右頬の真ん中に赤いできものができてしまって、アミはそれをひどく気にしていたが、私からすればそのできものすら、肌の白さを際立させるものとすら思えた。
今日も、私はアミの寝顔を見つめていた。すぅすぅとわずかに聞こえる寝息と、わずかに動く赤い唇から、アミが生きていることを確認していた。
すると、エディゴからメッセージがきた。おそらく以前シェルドが言っていた保存食の話をしてくれるのだろう。私はアミに「食事をとって、風呂に入ってくる」と嘘のメッセージを残した。
「……なるほど、ケイド様のところには養鶏場があるのですね。燻製室はあるけれど、チップはない……。わかりました。ケイド様の塔でも作れる、鶏肉をつかった保存食をいくつか紹介しますね。」
エディゴに自分の塔の施設について説明すると、すぐに手元の本で保存食を調べてくれた。
前にエディゴと話した時から、私は少し彼のことが怖い。大体いつも顔には笑顔を貼り付けているから、本当に思っていることが分からないのだ。
「……と、まあこれだけ覚えておけば十分だと思います。」
一通り料理を教えてもらい、私はエディゴに礼を言った。
「いえいえ、お役に立てたのなら幸いです。」
エディゴは笑顔で続けた。
「それにしても、ケイド様から保存食について聞かれるとは思っていませんでした。どうして保存食に興味を持たれたのですか?」
私は頭に「?」を浮かべて彼の目を見た。エディゴは、シェルドから何の説明も受けていなかった。私が外の世界に出る為の計画を立てているから、エディゴに保存食のことを聞きた。その経緯を、シェルドはエディゴに一切話していなかったのである。どうしてシェルドはエディゴに説明しなかったのか、その意味をよく考えるべきだったが、この時の私はエディゴに説明がされていないのはシェルドのうっかりだと思ってしまった。
「いえ、私はアミの塔に行くつもりなのです。少しの間旅をするので、そのために保存食が必要で……。」
私はエディゴに、これまでのこと、私の計画を説明した。説明の最初から最後まで、エディゴの表情は貼りつけられた笑顔のまま変わらなかった。
一通り話し終えると、エディゴは笑顔を落とし、真顔で私に問いかけた。
「危険は多いですが、成功すればアミ様を助けるに最も理想的な状況を用意できる計画だと思います。ですが、ケイド様。あなたが管理している水槽の脳たちはどうするつもりですか?」
全く考えていなかった。アミや秘書に意識が向いて、水槽の脳のことなど全く頭になかった。どうしようか考えていると、エディゴは真顔で続けた。
「見捨てるつもりだったのですか?」
冷汗が噴き出るのを感じた。正直なことを言うと、見捨てるつもりだった。アミの塔に運んでいくことは無理がある。水槽は私の体より大きい、そんなものを五体も抱えて移動できない。しかし、エディゴの目には「見捨てる」と言わせない覇気があった。私は恐怖に包まれながら声を出した。エディゴの顔は、もう直視できず、私は徐々に顔をうつむかせた。
「見捨てます。アミを救うためなら。」
エディゴの目に軽蔑の色が浮かんだ。
「一人の人間を救うために、五人の人間を捨てるのですか。」
私ははじかれたように顔を上げた。
「エディゴさんは、水槽の脳が人間だと思っているのですか。」
「水槽の脳が、人生歩んでいる間は人間です。」
どういうことだろうか。水槽の脳が人生を歩んでいない時間、つまり次の人生を用意している時間は人ではないということか。
「ケイド様は、小説をもとに水槽の脳の人生を作っていると仰っていましたね?」
頷くと、エディゴは少し目を伏せた。
「ケイド様が管理しておられる脳は、人間の人生を歩んでいるものがほとんどだと思います。しかし、脳に伝える一生は必ずしも人間の一生である必要はないのです。脳の要求によっては、魚の一生を体験することも、鳥の一生を体験することもあるのです。」
盲点だった。水槽の脳には人生以外のものを体験させたことはなかった。
水槽の脳と人間は別のものと考え、同じものと扱われることを嫌っていた私だが、きっとどこかでは水槽の脳を人間だと思っていたのかもしれない。心の底から水槽の脳を人間扱いしていないのなら、数多ある生物の中でわざわざ複雑な人間の一生を選んで歩ませたりしないだろう。
「水槽の脳は、人でありながら人でない存在にもなれる特別な存在です。そして、水槽の脳の管理に携わることができる管理人もまた、特別な存在なのです。よく考えてみてください。あなたたち管理人は、人の人生を操る存在なのですよ。神に等しい。アミ様を助けるためとはいえ、そう易々と捨てていい役目ではないはずです。」
「神……。」
自分が今まで適当に進めていた仕事に重みを感じた。そうか、私は人の人生を操っていたのか。
「人の人生を操るものは、神なのですか?それだけでは神として成立しないのではないでしょうか。崇拝する人間がいなければ、神とは呼べないと思います。」
自分が分からなくなった。エディゴは笑顔になった。
「水槽の脳があなたたちを崇拝し、窮地のときは人生を創造しているあなたたちに祈っていることでしょう。たとえあなたたちが水槽の脳に作った人生に、祈るシナリオは含まれていなかったとしても、人間は祈る生き物ですから、管理人が与えた人生の中で別の神の存在を提示しない限り、彼らは自分たちの運命を定めている者、つまり管理人を無意識に神と認識して、心のどこかでは崇拝していると思います。」
背筋がすっと寒くなった。
水槽の脳が人間なら、彼らの人生をつくっている私は神なのか?
自分の知らないところで、私は崇拝され、祈られていたのか?
吐きそうになった。そんな私を気にも留めず、エディゴは笑顔で話す。
「水槽の脳以外にも、あなたたち管理人を崇拝する者はたくさんいます。人生を創り、与えることはすべての人にできることではありません。あなたたちは他とは違う存在なのです。あなたたちが脳に与える人生に、己の人生が選ばれることを強く望む者も多いのです。そのために一生を全うする者もいるのです。あなたたちは、たくさんの人に崇拝され、心の拠り所にされるような特別な存在なのです。」
エディゴは笑顔だったが、それはいつもの貼りつけた笑顔ではなく、心の底からの笑顔だった。私は怖くなってエディゴの顔を見るのをやめた。
自分が水槽の脳を見捨てて、アミのもとに行くことが、正しいことなのか分からなくなってきた。アミを救うために、五人の命を捨てるのか。いや、そもそもこの計画ではアミを救える保証はない。道中で私が野垂れ死ぬ可能性もある。アミの塔にたどり着いても、私が怪我をしたアミに適切な処置を行えるかどうかは分からない。
「アミ様を助けたいお気持ちはわかります。アミ様も管理者だ……。しかし、水槽の脳を捨てる決断はいかがなものかと思います。彼らにも人生があるのです。彼らは人生を司るあなたたち管理人を神と思っているのです。神に見捨てられた人々の気持ちを考えてみてください。あなたがいなければ、彼らは人生を歩むこともできない。今の話を聞いてもあなたは彼らを見捨てることができますか?」
もう、私はどうすべきか分からなくなった。まっすぐ私を見つめるエディゴに目を合わせることもできず、私は机の端をぼうっと見つめていた。
どのくらい時間が経ったのだろう。私の頭は何も考えられない状態で止まっていた。やっと動いた口で
「もう一度、考え直してみる。」
とつぶやいた。エディゴに聞こえているかはよく分からなかったが、私は力の入らない右手で端末を操作して、エディゴから逃げ出した。
壁に立てかけていた端末の画面は真っ暗になり、空虚な私の姿が映っていた。こんな頼りない私が、たくさんの人に崇拝されるような人間なのだろうか。水槽の脳は私のことを神と思っているのだろうか。私が水槽の脳を見捨ててこの塔を出たら、彼らは私を恨むだろうか。見捨てられたことにも気づかず、ただ虚ろに生き続けるのだろうか。私がアミの塔にたどり着けない可能性もあることを考えると、このままずっと脳の管理をし続けていた方が脳たちにとっても、私にとっても幸せなのではなかろうか。色んな考えがめぐり、不安が頭を支配した。アミと通話をつないで、アミの様子を見なければと思ったが、そんな気にもなれなかった。
全身に力が入らず、ただ頼りなく泣きそうな自分の姿を見つめていると、画面に何か表示された。シェルドからメッセージが来た。その通知を見た途端、少しずつ全身の力が戻ってきた。シェルドと話して、今の気持ちを整理したかった。
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