第9話
翌朝、朝食をとるために部屋から出ると、いつものように秘書が出迎えてくれた。一枚の布を体に結び付けて、服の様に着ている。その布も、布から覗く肢体も少し汚れていて、髪もぼさぼさと広がっているのが気になった。秘書は女性を模した人形を改造したものだ。人間の肌に近い素材が使われていて、髪も本物の人の髪を使っている。定期的に洗ってやらないと、見ていられない姿になる。
「朝食をとったら、体を洗ってやるよ。」
「お願いします。」
秘書は頭を下げた。それを横目で見ながら、ついでに私も風呂に入ろうかと考える。
朝食を終え、風呂場に移動する。風呂場といっても、そこは天井から雨のように水が降ってくる狭い部屋で、入れるのは二人が限界だった。
脱衣所で秘書の服のような布を脱がす。何度もしている作業だが、何度やっても罪悪感と緊張、恥ずかしさを感じる。美しい体があらわになると、いつも見とれてしまう。
自分も裸になって、水を流しながら秘書の体を布で拭く。秘書が機械であることを知らない人が、今の私たちを見たら、男女が仲良く体を洗い合っているように見えるのだろうか。
秘書は人間と大して変わらない見た目をしている。動き方もなめらかで、とても機械とは思えない。話し方だけは、抑揚や間がなく、どうしても機械らしさを感じてしまうのだが、今のように黙っていれば人間としか思えない。秘書が機械であることをよく理解している私ですら、この時は秘書が人間の女だと思ってしまう。
たまらなくなって、秘書を抱きしめた。肌の質感こそは人間のものに近かったが、温かさがなかった。秘書は何も言わずに私の背に手をまわした。
体を洗い終わり、布で体をふいて、私は服を着て髪を乾かした。髪を乾かしながら、秘書にはどんな服を着せようか考えていた。前に秘書を風呂に入れたときは、時間がなかったので、適当に布を巻きつけた。少しかわいそうなことをしたので、今日はちゃんとした服を着させてやることにした。洋服箪笥の中で一番目立っていた、赤色の華やかな、裾がひらひらしている服を着せることにした。着せてみると、肌の白さと脚の細さが際立って、先ほどまでのみすぼらしい姿からは想像できないくらい美しい女性になっていた。心なしか表情も明るく見える。
そのまま秘書と一緒に部屋に戻ったが、秘書が今までとは違う女性に見えて落ち着かなかった。
部屋に戻ると、机に山積みになっている仕事の資料が目についた。昨晩、脳の生命維持に関わる機械がエラーを起こした。機械は問題が発生してもすぐには停止しないようにできている。しかし、そこまで時間があるわけではないので、エラーが発生したら早急に対応しなければならない。部屋の本棚の奥に眠っていた機械の説明書を引っ張り出して、エラー番号から問題を特定、今回のエラーは些細なもので、解決に時間はかからなかった。すべて片付くと安心してしまい、そのまま眠ってしまったので、机の上は昨日の乱れ切った状態そのままになっていた。
さすがにこの机では、今日の授業を受けることも、仕事を進めることもできない。ため息をついて、机の片付けに取り掛かった。仮国がつくられた時にはすでに、情報を紙ではなく端末の中に保存する技術はあったはずなのに、こういう機械の説明書などは紙媒体のものが多い。しかも、ご丁寧に劣化防止加工まで全ページに施してある。ページをめくる感覚すらも楽しんでもらうために、あえて紙の本を出版する気持ちはわかるが、めったに読まない説明書は、紙ではなく端末の中にぶち込んだ方がいいのではと、説明書をつくった人たちに心の中で文句を言いながら片付けを進めた。
昨日の騒動がある前よりも、机はきれいになった。脳の管理を父から引き継いで、何もわからなかった頃、机に直接書いていた機械の操作方法のメモが久しぶりに目についた。長持ちするインクで書いたため、あれから何年か経っていても掠れてすらいなかった。そのメモをなでると、昔の思い出が頭に浮かんだ。昔と比べると、最近の自分は仕事に対して怠惰になっている。以前は、仕事をしていないと他にやることがなくて、さみしさに耐えきれなくなるから、時間も忘れて仕事に没頭していた。今は、そうではない。シェルドも、アミもいる。この世界について学んでいるし、趣味として読書もしている。仕事がすべてではなくなった。しかし、これでよかったと思っている。仕事がつまらないわけではないが、他のことをしているときの方が、自分が誰にも縛られない自分の人生を生きられているような気がする。水槽の脳たちには少し申し訳ないが、私が以前のように仕事に没頭する日はもう来ないかもしれない。
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