第8話

 シェルドの授業を受けるようになって、一年と少しが経った。

「じゃあ、始めようか。ケイド、昨日読んだ本はどうだった?」

「面白かった。……でも、主人公の死には驚いた。どうして死を選んだのかも、主人公が追い求めていた問題の答えも分からなくて、主人公の最期まで描かれているくせに疑問がたくさん残ってどこかすっきりしない終わり方だった。」

以前、シェルドにどんな本が好きだと聞かれ、本のジャンルにまつわる知識も少なかった私は返事に困った。

好んで読む本はほとんどなかったが、仕事のために読んで、いい物語だったと思えた本を頭の中に並べ、それらの本の特徴を考えると、みな「主人公の最期まで描かれている物語」だった。主人公が生きている限り物語は続くのではないかと思ってしまうのだろう。今後を読者の想像に任せる終わり方は、たくさんの可能性を考えられる終わり方であるのだろうが、どうも私は後味の悪さを感じでしまう。

ジャンルと言うには難しいが、そのまま素直に主人公の最期が描かれている物語が好きだと言うと、シェルドはそういう本を知っている限り教えてくれた。

最近は、その本を自分のために読んでいる。趣味としての読書は楽しかった。仕事のために読書をしていた時は、仕事にどう使うかばかり考えて、本の内容について深く考えることはほとんどなかった。それが分かっただけでも、自分にとって大きな収穫だと思う。

「まあ、賛否が分かれる本ではあるな。どうだ、これで終わり方へのこだわりはなくなっただろう。」

 シェルドの思い通りになってしまったことに少しの悔しさを感じ、への字に口を曲げる私を笑うと、シェルドはアミに視線を向けた。

「……私も本を読んだよ。」

 アミは笑って私たちに読んだ本を見せてくれた。アミが本を読みきるのはこれで五冊目だ。

「お、読み終えたか。どうだった?」

 アミが読んだ本は、少し前に私も読んだ本だ。同世代で、育ってきた環境も似ているアミが、その本にどんな感想を抱いたのか、ずっと気になっていた。

 感想を聞いてみると、自分とは違うとらえ方をしている所も多かった。しかし、それを聞いてもアミの意見を否定する気はなく、むしろ新たなとらえ方を知れて得した気分になった。

しばらくアミとその本について話をした。シェルドは黙って私たちのやり取りを見つめていた。話が落ち着いたころ、シェルドがやっと口を開いた。

「一つの本について、誰かと話し合うのは楽しいだろう。」

 私とアミは、同時にうなずいた。

「俺はお前たちにこの楽しさを教えたかった。俺とアルフ、リリカが出会い、仲良くなったのは、こういうやり取りがきっかけだった。」

 急にシェルドの口から親の名前が出てきて、私たちは驚いた。私たちの表情を見て、シェルドはくすっと笑った。

「今日は授業の前に、少しだけ思い出話でもしようか。」

 今までに見たことがないほど、穏やかな笑顔だった。

「俺たちが出会ったきっかけとなった本、それは『トストロの建国』という本だ。」

「この本は、仮国時代の初期に書かれた本で、作者は人生の半分を地上で過ごした人だ。舞台は外の世界、『大都会』と呼ばれる栄えた地域の『スラム街』という貧しい人たちが集まる街に住む少年が主人公だ。外の世界の自然や社会を知ることができる。」

 私に外の世界の話をしていた時の父の姿が思い出される。

「この本は、ものすごく古い。書かれた当時はそれなりに人気のある本だったそうだが、今の世の中でこの本を知っている人はほとんどいない。俺はこの本を学校の本棚の裏で発見した。学校の図書として登録されていなかった本だったので、そのまま俺が家に持ち帰って、俺だけが見つけた宝物として、誰にも貸さずに独り占めしていた。何度も読んで、内容もしっかり理解した後になると、この本についてだれかと語り合いたいという気持ちがわいてきた。」

 真剣に話を聞いている二人に、シェルドは微笑みかけた。その笑みには少しの悲しみがあった。

「友人たちにこの本を勧めてみても、とてつもなく長い本だからか、そんな時間はないと断られた。周りの人に『トストロの建国』を読んだことがあるかと聞いてみても、みんな首をかしげるばかりだった。一人だけ、俺のすすめで『トストロの建国』を読んでくれた人がいたから、そいつと時間を忘れて語り合った。彼と語り合う時間も十分に楽しかったが、もっとたくさんの人の意見や感想を聞きたくなった。俺はこの本の感想を語り合うためのコミュニティを作って、全世界に公開した。それで集まったのが、アルフとリリカだ。」

 自分の親の話が出てきて、少し緊張した。今からシェルドが語る父は、私の知らない姿だ。

「最初は本について語るだけだったが、育った環境の違う者同士だったこともあって、次第に他の話もするようになり、俺たちはあっという間に仲良くなった。」

 シェルドは楽しそうに父やリリカとの思い出話をしてくれた。私の知らない、友人と接しているときのアルフの姿は、私の知っている父親としてのアルフの姿とは少し違うような気がした。父の話なのに、他人のエピソードを聞いているような気持ちになるが、随所に父らしい一面もあって、そのたびに確かにこれは父の話なのだと再確認する。親には子に見せていない一面が多すぎる。子である私も、親に見せていない一面があるのだから、きっとお互い様だろう。親とたくさんコミュニケーションをとってきたアミでも、初めて聞く話は多かったのか、一つ一つのエピソードに何かしら反応していた。

 私たちの反応がよいから、シェルドも話すことがすっかり楽しくなってしまったのだろう。思い出話をしただけで、もう普段の授業が終わる時間になっていた。時間を大切にするシェルドが授業に関係のない話でこれほど時間を使うなんて、とても珍しいことだった。

「もうこんな時間……。今日はもう授業はできないな……。」

 アミが一瞬うれしそうに目を輝かせたが、シェルドにみられて顔をそらした。

「こんなにも夢中になってしまうとはな……。」

「でも、僕は父さんやリリカさんの話が聞けてうれしかった。」

 私の言葉に、アミは優しく微笑んで、うつむいた。シェルドも悲しくも優しい笑顔を浮かべていた。

「そうだな。たまにはこういうのもいいかもな。ぼちぼち二人の話もお前たちに話してやるよ。」

 切り替えるように、深呼吸をしていた。

「今日はもう終わりにするが、少しだけ明日の予定について話そう。今まで俺はこの世界の歴史について話していたが、明日からは社会の仕組みについて教えていこうと思う。前半は歴史、後半は社会という構成になる。把握しておいてくれ。」

 そこまで言った後、シェルドは何か思い出したようにハッとして、顎に手を当てて何か考え始めた。

「あと……これはまだ決まっていないことなんだが、明日の授業には俺の知り合いを呼ぼうと思う。特別講師ってやつだ。今思いついただけだから、来てくれるかどうかはわからないが……。」

 急なお知らせに、顔を見合わせて驚いている私たちを気にもしていないのか、シェルドはずっと「断られるかな……。いや、どうにかして……」と独り言をもらしていた。

「まあ、とりあえず明日も同じ時間に通話の用意をしておいてくれ。」

 明日来る「特別講師」について、大した説明もなしに終わろうとしている。シェルドにはこういうところがある。授業に関係のない話は手短に済ませてしまうのだ。私たちはそのシェルドの性質で困ることもあった。

「ちょっとまって、その明日来る特別講師ってどんな人なの?」

 通話終了の手続きをしているシェルドを、アミは必死に呼び止めた。シェルドは少し悪そうに微笑んだ。

「俺の秘書だ。」

 それだけ言って、シェルドは画面から消えた。それだけの情報では、その人が何を教えてくれるのかもわからない。私とアミは呆れた顔をして、顔を見合わせて肩を落とした。

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